ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』書評

#書評 #小説

 ストーリーは大きく二つに分けられる。ファンタージエンが虚無に飲まれてゆく中、アトレーユがその解決法を求める前半部。そしてアトレーユの冒険を読んだ現実世界に住む少年バスチアンがファンタージエンに飛び込み、世界を救ったあとで元の世界に戻ろうとする後半部。

 初めて読んだのは子供の時で、読んでゆくうちに正体不明の不安を感じたのを覚えている。前半のアトレーユの冒険は読んでいて楽しい、よくある冒険譚であるが。後半のバスチアン編は主人公が記憶を無くし、人格をも変貌させながらファンタージエンを旅する過程は、まさにエンデにしか書けないファンタジーと悪夢の世界だ。

 この本で忘れられない箇所がある、バスチアンが仲間の全てを失った末にたどり着く「元帝王たちの都」にまつわる章だ。この町は、主人公バスチアンと同じように現実世界からやってきた人々が住んでいるのだが、みな過去の記憶を無くして廃人と化しており、無意味な作業に従事している。

 彼らが元の世界に戻るためには、彼ら自身の「自分の物語」を語る必要があるが、廃人であるために、かれらはアルファベットブロックをランダムに並べることしかできない。しかし猿は皮肉交じりに、その可能性はゼロではないと主張する。曰く、廃人たち、つまり元帝王によるアルファベットブロックの無意味な羅列がごくたまに意味のある単語になることがある、従ってこのままずっとこの遊びを続けていれば、ある日、単語が意味をなす文章を作り、詩になり、果ては自分の物語になるだろう、と。

それ以前のストーリーから不穏な空気が漂っていたものの、この章はこの物語全体における「どん底」にあたる部分だろう。「元帝王たちの都」は、エンデが描き出すシュールな地獄だといえる。

 この章における「永遠」概念の扱い方にはボルヘスの短編「バベルの図書館」の影響が強く見られる。実際にエンデはボルヘスのオマージュとして、永遠に端までたどり着くことのできない廊下を描いた短編を発表している。

 こうした永遠、無限、といった概念の他にも、『モモ』とも共通する「虚無」、「夢みる力」などのテーマを内包したこの作品は、エンデ作品を統合する軸としての役割を果たしている。

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すなへび

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