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北杜夫『どくとるマンボウ航海記』書評

本作を初めて読んだのは小学生の時だったが、今でもたまに読み返す。知的なユーモアと父譲りの詩的センス、少年的な海と外国への憧れという様々な要素が混ざり合った名作であると心から思う作品だ。

この名作エッセイから読み取れるのは、北杜夫の過度なまでにシャイな性格だ。高い教養と高い文章能力を持つ北氏はしかし、それをストレートに読者にぶつけることに対して非常に臆病であり、なるべく自分の文章が貴族的、衒学的にならないように気をつけているという印象を受ける。

そもそも、水産庁の船に乗り込んだ理由にしても、ドイツに留学しようとしたが試験に落ちたので、代わりに船医としてヨーロッパへ渡り、そして現地の港でさっさと逃げてしまおうと思ったなどとふざけたことを書いている。また本の後半で、作者はベン・カーリンやマゼラン、はては古代フェニキア人などを持ち出して、昔の船乗りたちの孤独と苦悩を偲び、次いで将来、宇宙に船出してゆくであろう人類を想像する。この部分の文章は非常に格調高くかつ詩的で、また作者の博覧強記ぶりを思わせるものなのだが、北杜夫はその直後に次のような文章を続ける。

「私がついに宇宙空間の夢想までにたどり着いているうち、船はインド洋をを乗り越えマラッカ海峡にさしかかった。」

この一文の効果は凄まじい、スラップスティックコメディの世界から徐々に壮大な世界史的、人類学的世界へ誘われた読者は、この1行で一瞬にしてまた元の どくとるマンボウ・ワールドに突き落とされるのである。新潮社文庫のあとがきを書いている村松剛は、北杜夫のこの「はにかみ」を、戦争期の右翼、軍人が用いた大上段に振りかぶった大言壮語への、作者のアレルギーであると推測している。

しかし、私は、北氏のシャイネスの根本の原因は反権威主義というより、むしろトマス・マン的な「俗人と芸術家の二項対立」というテーマに対する、北杜夫なりの回答ではないかと思っている。

北杜夫というペンネームはトマス・マンの「トニオ・クレーゲル」からとったそうだ、トニオは自らの芸術家でも俗人でもない自己を発見するが、北杜夫は芸術家と俗人のはざまにある自分を、「どっちでもない」というよりむしろ「どっちでもある」として積極的に捉え、その結果がこのエッセイなのではないだろうか。


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