映画『ボヘミアン・ラプソディ』の日本のヒットについて

 ・はじめに
 映画『ボヘミアン・ラプソディ』が驚異的なヒットとなっている。
本国イギリスでは2018年10月24日、日本では3週遅れて2018年11月9日に映画が公開されてより、興行収入は世界でトータル9億ドル超え、日本では130億円を超え、上映より8か月以上経っている2019年9月現在もロングラン上映されている。今回は特に日本でのヒットについて考察する。

・現在の日本の劇場映画環境
 映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た人の感想やヒットの理由にはよく「クイーンの音楽が良い」ことが挙げられる。『ボヘミアン・ラプソディ』のサウンドトラックは半分以上誰もが聞いたことのあるクイーンのヒット曲メドレーになるほどの良曲揃いだ。これは勿論ヒットの一要素であるのだが、ここまでのヒットを説明するのにより正しいのは「良い音楽を引き立てる為の物語映画の演出をしたから」である。例えば音楽が良いというのなら同じくクラシックロックであり、名曲揃いで知名度の高い伝説的ロックバンドのドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ ~Eight Days A Week〜』(2016年公開)も同レベルのヒット作とならなくてはいけない(規模としては充分にヒット作とはなった)。しかしこの映画は映画ファン、洋楽ファン以外へのヒットには結びつかなかった。映画は総合芸術作品であるため音楽はどれだけ主役級の存在感となってもあくまで一要素に過ぎない。
 確かに音楽がヒット映画に貢献する例は多数ある。近年でも『グレイテスト・ショーマン』(2018年、興行収入52億円)、『美女と野獣』(2017年、興行収入124億円)、『ラ・ラ・ランド』(2016年、興行収入44億円)、『君の名は。』(2016年、250億円)、『アナと雪の女王』(2014年、255億円)、は話題となった(作品名に続いて記載しているのはいずれも日本国内公開年と国内興行収入)。だが、映画自体が音楽のポテンシャルを引き出し、音楽がまた映画の質を高める働きをしていなくてはならないのである。ジャンルとしてはミュージカル映画、会社としては映画のテーマと物語に沿った印象的な主題歌やテーマ曲を多数ヒット作にしてきたディズニー映画が非常に分かりやすい例である。
 今はアマゾンのプライム会員である“ついで”に自宅やスマホで会員特典の映画を観られたり、GYAO!をはじめとする無料ネット配信があったり、レンタル店で旧作108円で借りられたり、なんならテレビで放映しているものを録画したりといったことで最新作の映画にこだわらなければ「映画を観ること」自体は非常に安価で手軽な行為である。ただ、それゆえに最新作であり音響などの鑑賞環境が整っていても、チケット代と時間を割いてまで映画館に行く人というのは多くはない。
 NTTコムリサーチの2018年のアンケート( https://research.nttcoms.com/database/data/002109/ )によると、直近1年以内で映画館で映画鑑賞をした人は35.3%だ。同アンケートが始まった2012年( https://research.nttcoms.com/database/data/001454/ )の結果の45.3%から大きく減少している。この映画館から足が遠のいている層をわざわざ映画館に足を運ばせ、映画がヒットする為には「劇場で今、この作品を観よう」という理由を複数以上持つ必要がある。また、これだけ劇場鑑賞自体のハードルが高いと日本で年間1000本以上劇場公開される作品群の中で、それぞれの個人の鑑賞候補の中でも1番目に観たい作品とならなくてはならない。2番目や3番目では観に行かない確率がぐっと高いのだ。
 劇場鑑賞の動機付けとしては試写会や応援上映を初めとするイベントの開催、上映形態がバラエティに富むこと、話題作だから観に行くいわゆる一般層の獲得、口コミの効果というものがある。
 最後の口コミの効果を得るには、観る人にとって「名作だ」と思わせるより「これは特別だ」と強く印象付けられることが口コミの効果を広げる。実際に『ボヘミアン・ラプソディ』が映画の出来として完璧かといえばそうではないところも多々ある。しかし出来がよく綺麗にまとまった作品であっても「これは特別だ」と思い入れを持たせることで記憶に残らないと、複数回の鑑賞や身近な人へ勧めたりといった波及に繋がらないのである。
『ボヘミアン・ラプソディ』はこれらの要素を全て満たしたわけだが、とにかく「特別」になる力を持っていた。

・ライブエイドと映画の構成の関係
 クイーンがスタジアム級のライブバンドであり、特にパフォーマンスの良かったライブエイドの擬似ライブ体験が出来るというのは非常に強みである。映画のクライマックスのライブエイドはその再現性の高さが話題となり実際のライブエイドとの比較映像はYouTubeで2290万回以上まで再生回数を伸ばしたほどだ(2019年6月30日現在)。ただ、実際にはカメラワークやカットの多さ、何より演奏曲目のカットという映画向けの変更がなされている。
 映画の話の筋としては非常に単純である。「クイーンが伝説的なパフォーマンスをみせたライブエイドに至るまで」の一行で済む。あっさりしているほどのストーリーラインはしかし、クイーンの予備知識がない者への間口を広げ単発の映画作品として十二分に楽しめながらも入門編として機能する。
 なぜドキュメンタリーでないのかという問いはしばしば上がったが物語映画のほうがドキュメンタリー映画のジャンルよりもずっと人気で敷居が低いのもある。日本の歴代興収トップ100を観ても実話を元にしたドラマ映画はあってもドキュメンタリー映画はひとつもないほどなのだ。話題となったドキュメンタリー『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年)もヒット作になったが国内興行収入は52億円であった。これですら国内興行収入ランキングトップ100の中で99位に並ぶ『トップガン』(1986年)、『マトリックス・レボリューションズ』(2003年)、『スパイダーマン2』(2004年)の67億円より15億円も下回るのだから、ドキュメンタリー映画のヒットの難しさが窺える。
 クイーン本人達がスクリーンにほぼ映っていなくても、既存のクイーンファンにはこだわりを持って再現された衣装やセット、主演のラミ・マレックを始めとした役者陣の熱演、音響が良い映画館で大音量で聴くクイーンの楽曲がそれぞれ鑑賞の満足度に繋がっている。
タイムスリップしたかのように再現されたライブエイドを劇場で観ることはそれだけで特別な体験である。しかし仮にライブエイドの本物のクイーンの出番だけを劇場公開してもここまでヒットとはならないだろう。史実のライブエイドは円盤やネットでも鑑賞できるし、新規ファンの取り込みが難しくなってしまうからである。
 音楽のライブというのは基本的にアーティストファンが行くものである。映画は約2時間をかけてクイーンのバンドとしての魅力、ヴォーカリストのフレディの魅力を描写した上でライブエイドに至る。元からファンでなくてもそれまでの物語で一時的にでもファンにさせることでライブエイドの興奮はより高まる。また、映画によって改めてクイーンのファンになることでもう一度劇場に足を運ぶサイクルが生まれる。
 映画はファンにするだけでなく同時にクイーンを身近な存在とさせる。音楽のファンでなくても仮にバンドメンバーに恋人や家族や友達といった親しい人がいればバンドのライブに行く強い動機となる。映画の脚本がフレディ・マーキュリーの孤独感と家族の絆という普遍的なテーマに終始していることで広い層の共感を得られ、観客にとってクイーンを身近な存在たらしめている。作中に繰り返された「家族」の概念に観客はスクリーンを通して間接的に加わる。強いシンパシーを感じる者がライブステージで一大パフォーマンスを魅せている姿は感動的である。フレディ・マーキュリーが仲間を得て、失い、仲間を取り戻すこと。ライブエイド前にエイズを告白すること。恋人を得ること。父親とのわだかまりを解消すること。これらの物語は全てライブエイドに繋がり、よりエモーショナルとなる。
 脚本が巧みなのはクライマックスであるライブエイドのクイーンの楽曲の歌詞が『ボヘミアン・ラプソディ』の物語とリンクするようにし、フレディ・マーキュリーの複雑なマイノリティの苦しみと、クイーンのメンバーとの絆について歌っていると思わせることである。映画の物語自体がライブエイドのクライマックスの為の演出といっても過言ではない。 作中のライブエイドの曲目から実際には演奏されていた『Crazy Little Thing Called Love』と『We Will Rock You』が省かれているのも脚本との流れに合わせるためだろう。

 ライブエイドが終わると続けてエンドロールに流れ込むのも、鑑賞後に興奮の余韻を程よく残したままにした。ナレーションによってフレディの死とその後はきちんと知らされるのだが、フレディ・マーキュリーの末期の闘病や、フレディと死別したバンドメンバーを襲った喪失感といった重苦しい描写を生々しく演技として見せられることはない。
 楽曲の山場がそのまま物語とエモーションのクライマックスというのは映画作品としての強みである。さらに、音楽は初回よりも複数回目の方が興奮を呼ぶ特性がある。実際のライブにおいてもミュージシャンのその場で発表する新曲よりも何回も聴いた耳馴染みがある既存のヒット曲の演奏のほうが盛り上がりやすい。とりわけライブエイドシーンはクイーンのヒット曲メドレーである。


・ライブエイドと応援上映
 『ボヘミアン・ラプソディ』で話題になった応援上映であるが、まずもってライブエイドと応援上映との相性の良さである。『ボヘミアン・ラプソディ』は2018年11月9日の公開当日から応援上映を行なっており、配給側も応援上映との親和性を感じていたことが窺える。応援上映は公開から10ヶ月以上経つ現在でも日本の津々浦々の映画館で長期的に続いている。
 元より最近の日本の映画の劇場鑑賞スタイルとして、鑑賞だけをするのではなく体験型といわれる応援上映は増えてきていた。 
 ただ、元々は応援上映自体は映画鑑賞の中でも特殊であり、コアなファン以外への普及はあまりしていなかった。参加した鑑賞者の熱狂ぶりと複数回鑑賞の多さから、メディアにも応援上映はたびたび取り上げられ知名度は少しずつ上がってきていたがあくまで限定的なものである。
 本来の応援上映は映画のシーンに合わせキャラクターに向かって叫んだりペンライトを振ったりするが、これは初見のハードルとライト層の鑑賞ハードルを非常に高くする。思い思いに自由に叫んだりペンライトを振るわけではなく、映画の話の流れや台詞がある程度は頭に入っていないといけないし、タイミングが難しい。またペンライトの色や振るタイミングにすらある程度の決まりがあるのだが、映画を初めて観るその時のそのシーン毎に直感的に分かるものではない。それは自然とファンの間で育まれ発展するものでありその複雑な目に見えない約束事はコアファンや事前に熱心な情報収集をする者以外には共有されていないのである。まるで予測のつかないところで、他の観客が一体感を持ってペンライトを振ったり大声で叫んでいるような応援上映であると、コアファンは大いに楽しめたとしてもライト層や初回鑑賞者には疎外感と困惑を与えるのである。
 しかし『ボヘミアン・ラプソディ』の応援上映は曲に合わせて歌ったり手拍子をすることが主である。厳密にいえば応援のための上映というよりもシンガロング上映に近い。歌詞の字幕が出る事で観客も歌って良い箇所の明示にもなるし、曲のテンポに合わせての手拍子という単純な動作は分かりやすく、声を出すのが恥ずかしい人でも参加しやすい。それだけでなく、作中のライブエイドの大勢の観客達というライブを楽しむことの見本がいる。スクリーンの中にいる彼らが歓声を上げ、フレディの掛け声に応え、歌い、両手を揺らし、手拍子をすることが映画の演出とライブの再現であると共に、応援上映の所作を伝えている。また、彼らの熱狂的な様子を見ることがそもそも「ここで声を出したい」「一緒に手拍子をしたい」という欲求を自然と観客に湧かせるのである。映画館ではライブの観客にもなれるのだ。
 そして自宅の鑑賞ではなく映画館でなくては、実際のライブのように他の多くの人達と手拍子をしたりすることはなかなかない。
 名作だから観るというのは別に劇場でなくても良いが、応援上映は劇場に行かなくてはいけない。応援上映で数十、数百の観客と手拍子をすることは、家で観ていては中々得られない感動の共有体験である。その興奮が上映期間でなくては得られないのであれば今のうちに出来るだけ観たいという限定心理が働くのである。
 そして映画の中でフレディ・マーキュリーは故人であることを観客は知らされている。フレディ・マーキュリー本人のライブに参加することは不可能なのである。だからこそまた劇場でフレディの声を大音響で聴けること、コール&レスポンスの重みがまた増すのである。

・鑑賞の形態
 映画館での映画鑑賞をする層自体が減っている中で、同じ作品を何度も映画館で観るというのはあまり一般的ではない。しかし『ボヘミアン・ラプソディ』はリピーター率の高さも話題となった。複数回鑑賞に耐える「強さ」があるのだ。
 『ボヘミアン・ラプソディ』は多種多様な上映形態を取られたことも大きな特徴である。IMAX、レーザーIMAX、4DX、screen Xに加えて音響環境の種類が非常に多い。
 本来、音響環境としては自宅よりも映画館のほうがずっと整っている。その点では音楽映画は劇場での鑑賞向きである。
 それを売りにした映画館は多く、更にそれぞれ趣向を凝らし独自性を出すために種類も多い。ドルビーアトモス上映、ドルビーサウンド上映、極上爆音上映、極上音響上映、重低音×震動上映、重低音体感上映、LIVE ZOUND上映などである。先述したIMAX、レーザーIMAXももちろん音響が良い。いわゆる音響オタクの血が騒ぐというものである。これらの音響環境としての上映形態の種類に加えて応援上映がかけ合わされ、更に応援上映自体も芸能人が呼ばれたり映画会社スタッフからの前説ありのイベントとしての上映や、スタンディング上映などのバリエーションが生まれている。2019年7月13日には史実のライブエイドの日に合わせて東京都の立川シネマシティでライブ場面原則全員タンクトップ上映というのも行われた。フレディの有名なジーパンにタンクトップと口髭(と胸毛の)スタイルはとてもコスプレがしやすい上に、特に中高年以降の男性にもコスプレのハードルが低いのでこちらも勿論クイーンブームの一助になったといえる。
 上映には吹替版がなく字幕版だけだったにも関わらず、これだけ多様な鑑賞スタイルがあることも複数回鑑賞に繋がっている。同じ映画でも初めは通常上映で観て、次に音響の良い上映で観て、更に応援上映に足を運んでということが出来るのだ。


・ヒットの土壌として
 同じ映画で同じキャストで同じ楽曲が使われたとしても、仮に「クイーン」の今の地位と歴史というバックグラウンドが無ければここまでヒットはしなかったであろう。映画のヒットが地続きにオリジナルのクイーンブームになっているからである。『ボヘミアン・ラプソディ』がドキュメンタリーでなく伝記物語でありスクリーンに映っているのはほとんど役者であっても、音楽は紛れもなくクイーンである。ミュージシャンの核である音楽が本物でありここぞというところで惜しみなく聴かせてくれるのだから映画で初めてクイーンのファンになるという人も多いだろう。
 クイーンは40年以上日本にファンがおり、同時に洋楽ファンでなくてもクイーンの名とフレディ・マーキュリーの名とタンクトップに口髭のビジュアルくらいは一般知識としてあるほどの知名度の高さがある。この浸透度はもちろん映画のヒットの分厚い下地となっている。
 オリジナル映画であれば、まず作品の名前を知ってもらい、世界観を説明するところから始まる。それに対してクイーンはあまり説明に時間を要しない。また、オリジナル映画が興味を持ってもらうためにしばしば扱う突飛なテーマや特殊な設定は、逆に奇異の目で見られたり広い層のファンの獲得が出来なかったりすることに繋がるのだが、現実として世界的に有名でファンの年齢層が広く、ファンでなくても名前を知っているというのはそのような抵抗を生むことがない。
 現に日本の歴代興収ランキングの上位20位を見るだけでもブランド力の強いジブリの後期作品が5作品、ディズニーのプリンセスものとされる作品が2作品、先に小説が世界的ベストセラーとなったハリー・ポッターの実写作品が3作品などのそれぞれ映画公開前からヒットの下地がある( http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/ )。
 固定客層の獲得に繋がるシリーズの展開は初めて鑑賞するには敷居が高いと思わせてしまう板挟みに陥りやすい。名探偵コナンの劇場版やハリー・ポッターに続くファンタスティック・ビーストシリーズやマーベル・シネマティック・ユニヴァースなどは人気シリーズであるが、同時にいわゆる予習のための時間が無かったり世界観やキャラクターの相関を知らないと理解できないのがネックとなる。
 更にクイーンは様々なコンテンツが既にあるのでそれらを再発売・再放映・再編集するだけで映画ヒットから興味を持ち始めた人達のクイーンへの関心を引きブームを持続することが出来る。書店や音楽関連ショップ、レンタルビデオ店など多数の場所でクイーンの文字が並んだ。書籍・ライブ円盤・楽曲に加えてクイーンのドキュメンタリー映画の上映会やトークショー、海外ツアーなどのイベントといった多様な展開を拡げた。そしてメディアとしても迅速にブームに乗りやすい。
 日本にはクイーンの初期・中期からのファンが根強くいることも大きな要因である。新聞やテレビメディア側でも中堅以上の地位を築いており現場に立つ人・決定権を持つ人・芸能人にも多数クイーンファンが居るであろうことは重要である。メディア側にすでにクイーンに馴染みのある人やファンがいるということは、映画のヒットとクイーンのブームが積極的かつ好意的に発信されやすいということである。
 テレビで特集が組まれることでメディア露出が増えたことは更なるヒットに繋がる。ネットによる口コミが届かない年代や、自分から積極的には映画の情報収集をしないライト層への大きなアピールになるからだ。また、同時にテレビでの特集自体がネットでの話題にもなり相乗効果が生まれた。興行収入は基本的に公開第1週目が最も高いのが映画の常識だが、前週比を上回る興収の驚異の伸びを続けるヒットが話題となりメディア露出も増えた( https://news.yahoo.co.jp/byline/umezuaya/20190130-00112859/ )。
 11月9日の映画公開から3週目がフレディ・マーキュリー本人の命日(11月24日)であったことや、アカデミー賞とゴールデングローブ賞に代表される受賞もニュースに繋がった。
 特にNHKは早くからクイーンの特集に熱を入れていた。公開から1ヶ月と経っていない2018年12月6日時点でクローズアップ現代+でクイーン特集を組んでいる。民放局の影響力も大きいがこの全国公共放送の力は絶大である。田舎の地上波テレビ局は3チャンネルしか入らないようなところでも観ることができるからだ。それだけではなくこの特集を翌日の12月7日、12月20日に再放送した。他に、12月24日の「ボヘミアン・ラプソディ殺人事件」(初回放送は2002年)の再放送を行なっている。段違いに気合いが入っていたのはロジャー・テイラー本人とブライアン・メイ本人に独占インタビューの敢行であり、これは12月20日のテレビ放送だけでなくホームページへのインタビュー全文掲載、インタビューの模様のVR公開までするほどである。
 テレビだけではなく、音楽雑誌や映画雑誌もクイーンの特集を組んだ。

・公式や芸能界、メディア側のネット利用
 ネットの果たした役割も記述すべきヒットの要素である。クイーンは公式がYouTubeに曲やMV、ライブ映像を多く公開している。映画で気になった人が検索すれば直ぐに視聴が可能なのだ。YouTubeには非公式な投稿も多くあるが、これが結果的に公式では見られず散逸してしまっただろうインタビュー映像や特集番組や写真などの情報を補完しており、メンバーの面白いエピソードや人間性を伝える一助になっている。
 Instagramによる話題も特徴である。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイ本人が元より熱心なインスタグラマーであり、かつ映画に積極的・協力的に動いてきたため映画に関する投稿が多い。ブライアン・メイ本人だけでなく、ブライアン・シンガー元監督や衣装担当スタッフなどからの映画に関する投稿もあり、撮影裏の様子や未公開の映像は話題の持続となった。
 更に長期的に投稿された役者達の仲の良い画像とコメントのやり取りもネット上で拡散されファンを賑わせた。ブライアン・メイ本人が名付け親と思われる通称ボラプボーイズと、ジョー・マッゼロが私物として貰い受けた来日プロモ用のカードボードベンが織り成す複雑な多角恋愛関係かのような投稿は(主に若い女性の)ファンのホットなネタとなった。
 『ボヘミアン・ラプソディ』は公開前は批評家からはけして評価が高くなかったのだが、予想外の大ヒットとなったこともあり多くのウェブコラムが書かれた。この記事の書きやすさもメディア側からすれば大変仕事がしやすい。
 『ボヘミアン・ラプソディ』の批評についてまず論じられるのは史実との違いである。何が史実と同じで、何が違うのか。史実と違っていてもどの様に脚色され要素が含まれているのか。これらはネット上で何度も記事になった。クイーンの紹介をし映画の内容と史実との答え合せを書き、作中で描かれなかった補足知識や解説を足せば記事になるというのは一般の人にも大変書きやすい。また、著名人にも多くいるクイーンのオールドファンや音楽関係者が映画の感想と同時にクイーンの思い出や実際のライブ体験を書くだけでも記事になる。
 コラムだけでなく、フレディのパフォーマンスのモノマネをしたりコスプレをした芸能人達も話題になった。
 クイーンというオリジナルの持つ情報量が大きいだけあり、発信側からすれば様々な角度で切り取りやすいのである。

・ツイッターの役割
 さて、これらを総括して話題性と口コミの拡散とに多大に貢献したのがツイッターである。現実に直接会話することが無くてもずっと相互にフォローしている知人やツイッター上だけの友人によるSNS上の口コミの効果もヒットの要因だろう。
 ツイッターはリツイートによる拡散性が特徴的なツールである。
 現実での友達のアカウントやツイッター上のみの友人などのフォロワーがリツイートをすれば映画ファンだけのコミュニティ用アカウントでなくとも情報が広がっていく。また普段は別のことを呟いていて初めて『ボヘミアン・ラプソディ』を観たライト層であっても短い一文や画像1枚の添付やハッシュタグを付けたりするだけで手軽に投稿が出来る。企業や映画館の公式アカウントに限らず消費者側のひとりひとりが発信者となるのである。これはテレビ・新聞などのメディアよりずっとスピード性が高い。
 ツイッターはリンクが貼りやすいオープンなSNSサービスのひとつである。ウェブページでもYouTubeでもInstagramでもシェア欄にフェイスブックやラインと並んでツイッターへの投稿リンクが表示される。ツイッターでの宣伝効果の高さから様々な企業公式アカウントがあるが、もちろん映画『ボヘミアン・ラプソディ』の為の専用公式アカウントやクイーン日本レーベルのアカウントもある。クイーン情報・映画『ボヘミアン・ラプソディ』情報を探すのに膨大なネットの海をあちこち探し回らなくても幾つかの公式アカウントと熱心なクイーンファンのアカウントをフォローしていればファン発信と公式発信であるとに関わらず、YouTubeや映画館ホームページやウェブコラムやブログ記事を横断した情報が流れてくる。当然ながらファンがリンクなしにツイッター上に直接書き込まれた情報や投稿された画像も無数にある。ツイッターは本来140字以内の短い文章が投稿の主体であるが、このリンクの貼りやすさと画像や絵や動画・音声などの投稿の容易さも情報共有を後押ししている。これらは言語の壁を超えやすいため海外からの投稿もリツイートされやすい。
 日本ではツイッターのアクティブユーザーが多いのだが、世代別にすると特に10代と20代が多い。世界のツイッター月間アクティブユーザー数が3億2600万( https://www.google.co.jp/amp/s/m.huffingtonpost.jp/amp/2018/12/27/twitter-japan-user_a_23628286/)
であるうち、日本は4500万ユーザー(少し古い2017年10月時点情報
https://twitter.com/twitterjp/status/923671036758958080?s=21)と13%以上を占める。
2018年度の総務省の「平成29年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」によれば( http://www.soumu.go.jp/main_content/000564534.xlsx )、ツイッター利用に関して「いずれからも利用していない」と回答した全体の割合が68.9%であるのに対し10代・20代男女が35%を下回っている。つまりこの世代の男女の65%以上がツイッターを利用しているという回答になる。実はこのツイッター利用が多い世代はそのまま元からの映画館での鑑賞客層と、クイーン新規ファン層に重なっている。

 もう一度NTTコムリサーチの2018年の資料にあたると、全世代の男女別で映画館鑑賞者の比率が高いのは10代女性が65.8%と最も高く、次いで20代女性の48.1%、10代男性の45.9%、20代男性の40.3%となる( https://research.nttcoms.com/database/data/002109/ )。また10代・20代ともに男女比は女性の方が高い。
 クイーンは後年のフレディ・マーキュリーの口髭とタンクトップのスタイルが有名である。
 しかしクイーンの予備知識がない観客にとって新鮮だったのは初期のスタイルだ。初期はグラムロックの影響が強いキラキラとしたヴィジュアルをバンドメンバー全員でしていた。ヒラヒラのブラウスや、花柄や星柄や羽根をあしらった衣装に身を包み、長髪で細身の高身長の青年達は日本で「ロックの貴公子」と呼ばれ、若い女性に人気が出た。1970年代当時、グラムロックの先駆者デヴィッド・ボウイによって日本にも既にロック少女が居たところにクイーンがブレイクしたのである。いわゆる第一次クイーンブームである。そしてこのアイドル人気の面が強い煌びやかさは現在の10代・20代の女性にも新たにファンを生むこととなった。元々が楽曲のクオリティの魅力はもちろんとしてミュージシャングループとして若い女性ウケをする要素を持っていたのである。
 もう新しいバンドにハマるのには腰が重い中高年以上の世代であっても馴染みのある青春時代のコンテンツのリバイバルはまた別である。かつての10代・20代の時にクイーンに触れた世代が再燃して親子二代でクイーンに夢中になる話もきく。クイーンファンというと50代以降が多いのだが、既存のファン層の年代だけでなく若い世代のファン開拓と取り込みにも繋がったのである。
 この面は映画のヒットを受けて組まれたAERAのクイーン特集号が1970年代前半の“貴公子”時代のメンバー全員の写真を表紙にしていたことからも分かる。限定版の映画円盤にもバンドメンバーそれぞれのポストカードが付属している。
 ヴィジュアルの良さだけでなく、映画では尺の都合上省かれてしまう仲の良いエピソードや面白いエピソード、微笑ましいエピソードが多くあるのもツイッターの情報共有を促進させた。
 映画では非常にあっさりとした脚本であったが、その事がかえって調べる余白を多く残しておいたともいえる。
 クイーン結成から数えても50年近い歴史があるだけにファン層だけでなく御本人達もまたそれぞれの年代の魅力がある。この偶像としての対象は初期である『貴公子』時代のクイーンだけでなく、中年期のクイーン、後期のクイーン、そして現在も現役で活動するロジャー・テイラー本人とブライアン・メイ本人、さらに映画の役者陣(ボラプボーイズとルーシー・ボーイントン)と分厚い多層になっている。ファンそれぞれが思い思いに「推し」を推すことが出来るのである。
 映画があえてクイーンの音楽の制作に話の焦点を当てなかったことも今回のヒットに寄与している。初期のクイーンが当時の音楽シーンのどういった流れを汲んでいるかとか、フレディがどのように音楽を習っただとか、演奏のテクニックとして何がどう素晴らしいかというのは、音楽面に興味を持ったファンが自発的に調べる。素晴らしい音楽は頭で聴かなくても予備知識なしに聴いても素晴らしいものだからだ。映画ではレッド・スペシャルがブライアン・メイのハンドメイドギターであることすら触れられていないのだ。音楽へのポリシー、ミュージシャンとしての信念は作中で触れても小難しいことは語らずにあくまで人間ドラマに徹しているので、音楽のファンでなくとも気軽に観ることが出来る。

・ツイッターのハッシュタグ
 ツイッターでの情報拡散には補助的にタグ付けが機能している。
 日本の『ボヘミアン・ラプソディ』公式アカウントも「#ボヘミアン胸アツ」というハッシュタグを作り口コミの拡散を狙った。ただこれ自体は近年の映画作品のツイッターアカウントにはよく見られる宣伝手法である。非常に珍しいのはファンによる自発的なハッシュタグの作成・投稿・拡散が盛んだったことだ。映画だけでなく、クイーンに関するタグがツイッター上に多く生まれた。
 「#クイーンをもっと好きになるトリビア」「#クイーン初心者侍」「#ボラプボーイズかわいい選手権」「#(各バンドメンバー名)かわいい選手権」「#細かすぎて伝わらないボヘミアンラプソディ好きなシーン」「#ボヘミアンラプソディで学ぶ英語」などのタグが作られ、更に「#学園クイーン」「#職場クイーン」「#手芸クイーン」といった二次創作や大喜利のような派生タグが生まれたのである。
 「#細かすぎて伝わらないボヘミアンラプソディ好きなシーン」や「#クイーンをもっと好きになるトリビア」「#ボヘミアンラプソディで学ぶ英語」はファンによるディープな情報提供が多く、映画の元ネタの発見や考察に繋がった。知識欲をくすぐり再度劇場で映画を観て確認をしたくなるのである。映画自体は筋書きはシンプルでありながらカメオ出演や細かい仕込みネタが非常に多い。これらのクイーントリビアはここ数年ツイッターユーザーの割合が増えた中高年以上の元からのクイーンファンからの投稿も多い。ツイッターが元からのファンと映画から興味を持った新規ファンへの情報共有の場ともなったのである。このようなツイッターの特性である集合知の作用により、同じ映画でも2回目以降の鑑賞で着目する箇所があることはリピート回数を増やす事に貢献した。
 またこれらのハッシュタグ名を見れば分かる通り、映画の補足知識、オリジナルのクイーンの補足知識、二次創作、各メンバーと役者陣のアイドル人気のようなハッシュタグと多岐に渡っている。ライトな楽しみ方もディープな楽しみ方も可能であり様々なのが素晴らしい特徴である。

・クイーンブームの流れ
 時系列として並べると下記のような波及をしている。

「ライブエイドをクライマックスとした映画の感動」(映画ファン・洋楽ファン・従来のクイーンファンの映画への高い満足度)
→「Twitterを主とした映画の口コミに加えて映画トリビアやクイーン情報の拡散」(リピーター獲得、SNSユーザーの新規鑑賞者獲得)
→「全国公共放送であるNHKを始めとしたテレビの報道番組や、新聞などのネット以外のメディアによる社会現象としての取り上げ」(SNSユーザー以外を含んだ広い世代への映画の認知度向上)
→「ブームを受けた特殊上映の拡大や上映イベント」(リピーター獲得の増加、ファンの関心の持続)
→「書店、レコード・CDショップ、CD・DVDレンタルショップなどの関連商品のコーナーやフェアを設けた取り上げと、バラエティ番組などのブーム便乗のクイーンの取り上げ」(持続的なクイーンコンテンツの露出による広い世代へ、肌で感じられる社会現象としてのクイーンブーム認識。またファンの関心の持続とクイーンのコンテンツ摂取欲求の持続。)
 これらにクイーンコンテンツの豊富さと多種多様さとエピソードの多さ、元よりヒット曲揃いの楽曲の強さ、日本の第1次・第2次クイーンブームによる認知度の高さと根強いファンの存在といった土壌がある。ブームが話題を呼び、話題がブームを呼んだ好循環や賞レースと重なる時期であったことも追い風になった。

・最後に
 映画のヒットには様々な要素がある。単純に興行収入の伸びの要素としてはスクリーン数の多さ、上映期間の長さ、上映回数の多さ、広い世代の新規層・ライトユーザー層の獲得、コアユーザー層の獲得、リピート率の伸び、話題性とその持続、知名度の高さがある。勿論ヒット作だからより話題になり上映期間が伸びヒットになるというのもあるが、『ボヘミアン・ラプソディ』は結果的にその全ての要素を満たした稀有な作品である。
 そもそもヒット作になるための起爆剤としてもっとも大きいと思うのは映画の作り自体がライブの追体験に重きを置いている事である。これは作品をより特別な映画にした。名作であるよりも、観る人にとって心に残る特別な作品になることがより作品として残りやすいと思う。例えば、迷作・駄作などでも観た人に唯一無二の存在となれば知名度は上がり作品は残るのである。それが名作であれば尚更である。ヒットソングメドレーであるライブエイドのシーンの13分、そして本人達のライブ映像も流れるエンドロール。クイーンの楽曲とドラマのクライマックスを合わせた興奮は心の底からの情動を呼び、特別な時間としてくれるのである。

・余談
 今回の執筆は映画『ボヘミアン・ラプソディ』をテーマに卒業論文を書く方が実施していたアンケートの設問がきっかけであった。[あなたの思う『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットした理由は何ですか?(自由記述式)]という最終設問で回答の文字数が3,000字を超え、いっそ長文をしたためるかと本腰を入れている間にアンケート締切に間に合わなくなったのである。
 なんにせよ今回のボラプの社会現象とクイーン旋風に自分なりの考えをまとめる良い機会になりとても感謝している。
 さて、あえて2018年版を参照にしたNTTコムリサーチの映画アンケートについては2019年版の結果も出ている(
https://research.nttcoms.com/database/data/002133/ )。
 驚くことに落ち込んでいた映画鑑賞率が回復しているだけでなく『ボヘミアン・ラプソディ』の影響という記事である。海外映画ファン、『ボヘミアン・ラプソディ』ファンとして嬉しいかぎりである。

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