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3分講談「竜宮と剣」(テーマ:海)

寿永四年、西暦一一八五年四月二十五日。長門国赤間の関・壇ノ浦において、平家一門はついに源氏軍に敗北。二十年余に渡る源平合戦に終止符が打たれました。世にいう壇ノ浦の戦いでございます。この時、平清盛の孫であるまだ幼い安徳天皇も入水、いわゆる「三種の神器」―玉・鏡・剣―も、天皇とともに、海に沈んだのです。幸いにして、鏡と玉は波間に浮かんでいるところをすぐに発見されましたが、剣だけは、どうしても見つかりません。そこで後白河法皇は、潜水の得意な海女に命じて、宝剣を探させることにしました。(①)

 白羽の矢が立ちましたのが、壇ノ浦近くに住まいする老松・若松という海女の親子。いくら潜水が得意とはいえ、底知れぬ大海に身を委ねるのは危険この上もない荒行です。徳の高い僧を何人も集めて祈祷をし、安全を祈りつつ、二人は海に入って行きました。しばらくすると、娘の若松が苦しそうに水面に浮かび上がり、「それらしきものはございませんでした」と報告しました。一方、母の老松は、半日経っても、1日経っても戻ってきません。人々は、「もう死んでしまったに違いない。可哀想に」と涙を流しました(①)

 その頃―。老松は意気揚々と、海の奥へ奥へと潜っておりました。不思議と息が苦しくなりませんから、どこまでも潜ることができます。ちょうど海底と思われるところに着いたとき、目の前に、きらびやかで立派な御殿が現れました。朱塗りの柱に、つややかな瓦、重厚な屋根。大きな珊瑚があしらわれた門には、色鮮やかな魚たちが出入りしております。

「これはきっと竜宮城に違いない」

老松が、出入りの魚たちに案内を請うと、しばらく待たされてから、中へと通されました。広い廊下を進んでゆくと、大広間があります。ひとりでに襖が開いて、ひょいっと中を見ると、その奥に座っていたのは、とぐろを巻いた大きな蛇だ。(①)

長さは知らず、臥(ふし)長(たけ)二丈も有らんとおぼゆる大蛇、剣を口にくはへ、七・八才の小児を抱き、目は日月のごとく、口は朱をさせるがごとく、舌は紅の袴を打ち振るに似たり。(②)

鋭い光を放つその両眼に射すくめられて、老松はしばし呆然と立ちすくんでおりました。血の滴るばかりに赤く染まった口。その口には、老松が探していたあの、草なぎの剣ががっちりとくわえられております。そして、とぐろの中に抱かれている小児は、あろうことか、壇ノ浦で海に沈んだはずの、安徳天皇その人でございました。徐に口を開いた大蛇は、

「この刀は、天皇家のものではない。我が竜宮城の宝剣である。その昔、私の次男がヤマタノヲロチとなって出雲国にいたころ、スサノヲという勇敢な者が来て、ヲロチの体の中にあったこの宝剣を奪ってしまった。その後、私自身が伊吹山の主に化けて、宝剣を持っていたヤマトタケルから再び取り返そうとしたが、失敗した。そこで、今度はまた次男を安徳天皇として送り込み、源平の合戦を起こさせて、今こうして宝剣を取り返したのだ。差し出すわけにはいかぬ。」

そして、そばの御簾を上げさせるとそこには、相国入道清盛はじめ、壇ノ浦で海の藻屑と消えたはずの新三位資盛・新中納言知盛・能登守教経ら、平家一門がずらりと居並んでおります。やがて、安徳天皇を抱いた大蛇は御簾の奥へと消え、平家一門の人々も、そのあとに続いてゆきました。老松は深々と一礼をして、竜宮城を後にしたのでございます。(①)

 その後、戻ってきた老松の話を聞いた法皇は感嘆し、剣を取り戻すことを諦めたということです。源平盛衰記の内より「竜宮と剣」の一席。

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