義経千本桜と安徳天皇

『義経千本桜』二段目の主題・理解について、備忘的に書き連ねています。ご専門の方にはお目汚しではありますし、先行研究ですでに言われていることだとは思いますが、ご容赦ください。


はじめに

とある講義にて、『義経記』「大物浦からの船出」と『平家物語』「壇ノ浦」を読んだ上で、謡曲『船弁慶』~『義経千本桜』二段目(渡海屋・大物浦の段)を比較鑑賞しました。

奇しくも今年は、「鎌倉殿の13人」の影響もあってか、歌舞伎・文楽でも『義経千本桜』を見る機会も多く、改めてこの作品の構成・主題などについて、及ばずながら考える機会となりました。

『義経千本桜』における安徳天皇の重要性

『義経千本桜』は、史実では戦いで命を落とした、平知盛・教経・維盛、そして、安徳天皇も生きていた、という設定です。物語の中では、平家の武将達は紆余曲折を経て、結局何らかの形で源氏方に負け、命を落とします(維盛は出家)。しかし、安徳天皇だけは、義経に守護されるかたちで京都へ送り届けられ、最後は母・建礼門院と共に出家して生き長らえます。

ただ、現行上演では、大物浦で入水せんとするところを義経に助けられた天皇(二段目)が、その後どうなったかが分かる箇所がカットされていて、天皇の安否は物語の上に明示されず、あやふやなまま終わります。私もこれまで、現行上演の形態で何の疑問も持たず見てきたのですが、今回大物浦の段を予習する中で、安徳天皇の存在が、この作品を理解する上で、殊の外重要なのではないかと考えるようになりました。

二段目「大物浦の段」における安徳天皇

大物浦の段では、義経を討つ日を虎視眈々と狙い続けてようやく本懐を遂げる日を迎えた知盛が、奮闘の末瀕死の傷を負ってなお、義経に一太刀浴びせんと、さながら悪霊の体で義経に向かっていきます。そのとき、天皇の言葉―「これまで私を守護してくれたお前の温情には感謝する。ただ、今日海に沈もうとしていた私を助けてくれたのは、義経の温情だ。悪く思うな」―をきっかけに、これまで合戦へ天皇を巻き込んできたことへの後悔の念に囚われ、義経に天皇の守護を託して入水します。「天皇を生かす」ことこそ、義経・知盛両者の最大の目的であるように感じられました。

となると、現行上演でカットされている四段目最後~五段目における、天皇が無事に京都へ送り届けられる場面は、とても重要ではないかと思うのです。

五段目「吉野蔵王堂花矢倉の段」の結末

現行上演では、四段目の狐忠信が飛んで華やかに終わることがほとんどですが、原作ではそのあと、吉野に隠れて義経の命を狙っていた教経と義経との対面、そして、義経に守護されている安徳天皇が登場します(五段目)。今すぐにでも義経を討ちたい教経ですが、「天皇を無事に京都に送り届けるのが先だ」ということで、いったん討ち合いはペンディングとなります。

その後、吉野花矢倉において、教経は佐藤忠信に討たれますが、その今際の際に、義経が「天皇は大原で母と共に出家した」と告げます。それを聞いて、教経は安心して首を討たれます。

こうしてみると、『義経千本桜』は最終的に、「安徳天皇を幸せに生かす」ための物語であることが、よく分かります。本作の主題、根底を貫くテーマのようなものが、ようやく理解できたような気がしました。(了)

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