見出し画像

3分講談「貴船明神の由来(前編)」(テーマ:節分)


時は寛平の御時と申しますから、平安時代の中頃。

京の都に、中将定平という貴族がおりました。あるとき、宇多天皇のもとで「扇合わせ」の会が開かれました。扇合わせと言いますのは、扇に詩歌や絵を書き、それを見せ合って優劣を競う遊びの一種ですが、この時、定平の対戦相手が出した扇に、美しい女性の絵姿が描かれていました。それをひと目見た定平、勝負も忘れてぽ~っとなってしまった。絵の中の女性に一目惚れでございます。さあそれからというもの、寝ても覚めても扇の女のことで頭がいっぱい。仕事もまるで手に付きません。見かねた同僚が、
「定平どの、聞くところでは、その扇の女などよりもっと美しい女が、鞍馬山の僧正が谷の奥に住まいしておるらしい。鞍馬の毘沙門様の示現があれば、会うことが叶うと聞くから、騙されたと思うて行ってみられよ」(①)

色に弱い定平、言われた通りに鞍馬山へと出かけました。鬱蒼と茂る木々をかき分け、谷を渡り、大きな岩屋の前まで出た時、得も言われぬ光が差して辺りが急に明るくなった。見るとそこは、この世の者とは思えぬほど美しいひとりの女性。扇の女のことなどすっかり忘れた定平が、取り憑かれたように見とれておりますと、
「わたくしは、この岩屋の奥に棲む鬼の娘でございます。今まで何人もの殿方がここにやってまいりましたが、わたくしと添い遂げて下さった方はございません。私の父が、悉く夫を食べてしまうのでございます」
鞍馬山の僧正が谷―、ここは、京の都から見て北東・丑寅の方角、つまり鬼門にあたりまして、昔から鬼が棲むと噂されていました。
「そなたと夫婦になれるなら、どうして命が惜しかろうか。鬼の父とやらに合わせてくだされ」
「そのお言葉嬉しゅうございます。それでは夫婦の証として、これを持っておいてくださいませ」と、着物の袖の端を裂いて定平に渡す。娘とともに岩屋の奥へと進みますと、やがて大きな宮殿が現れました。すると娘は、「そのお姿のままでは危のうございます、暫く私の懐に入っていてください」というなり、小さな杖を取り出して定平の肩をぽんと叩いた。すると、みるみるうちに、定平の身体が三寸ばかりに小さくなりました。

鬼の娘は、小さくなった定平を懐に入れ、御殿の長い廊下を通り、父の住まう部屋へと通ります。今しも鬼は、酒宴の真っ盛り。
「おお、娘よ、よく来たな。…うん?人間の匂いがするな。お前さては、人間を連れ込んだな?…まあよい、ちょうど肴が足らぬところであったわ、どこにおる、連れて参れ」
「お父上、人間などおりませぬ。今日はお願いがあって参りました、私は鞍馬山に参って仏道修行がしとうございます。どうか、この屋敷から出ることをお許しくだいませ」
「ふん、鬼の娘が仏道修行などとは笑止千万。おおかた、その匂いの男と駆け落ちでもする気であろう。断じて許さぬ。どうしても屋敷を出たいと言うのなら、男を置いて行け。それが出来ぬなら、お前を男の身代わりに取って喰らおう。男はどこにおる、さあ言え、言わぬか」

言うなり鬼は娘に掴み掛かりました。娘は身を翻して庭へ飛び出し、一目散に岩屋の出口に向かって駆けだした。(①)後ろから鬼が土煙を上げながら追いかけてくる。出口までもうあとわずかのところで襟を掴まれた。娘は「南無三宝」と叫ぶや否や、懐から定平を取り出し杖で叩くと、「どうか都まで振り向かずにお逃げ下さい、今生で叶わぬとも、私たちは三世の夫婦でございます」―地面に放り出された定平、元の大きさに戻っておりますから、無我夢中で岩屋を飛び出した。その時、背後から聞こえてまいりましたのは、ぎゃっという娘の叫び声と、バリバリバリ…骨の噛み砕かれる音でございます。(①)「南無三宝、鞍馬山におわします毘沙門天、どうか我を助けたまえ、我を守り給え」一心不乱に念じ奉りながら、無我夢中で走り出す(①)さあここからが気になるところですが、続きはまた次回。

(御伽草子『きふねの本地』より)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?