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3分講談「日秀上人御一代記① 補陀落渡海への出立」(テーマ:自由)

和歌山県那智勝浦町に「補陀洛山寺」という古いお寺がございます。室町時代、海沿いに建つこの寺を拠点として広まったのが、補陀落渡海でございました。

補陀落渡海と申しますのは、海のはるか彼方にあるという、補陀落観音浄土を目指す修行のひとつでございます。とはいえ、その実態は、過酷な捨て身行でありました。浄土を目指すといっても、小さなくり抜き船にたった1人で乗り込み、舵も櫂もなくただ流れに身を任せるだけ。しかも恐ろしいのは、その舟は屋形船で小部屋があり、その小部屋に入ったあとは、外から板を打ち付けて出られなくするそうなんですね。つまり修行者は、真っ暗な小部屋に閉じ込められた状態で、大海原に放り出されるというわけで、無事に補陀洛浄土に到着する見込みなんてものは…まあ、皆無でございましょうね。たいていの人は、途中で舟が転覆して命を落とすか、そうでなくても、舟の中で餓死をしてしまう。(①)

そんな中で、この荒行を成し遂げた人物がおりました。それが、この講談の主人公・日秀上人でございます。この方は、上野国の国守の子として生まれましたが、十九歳のときに拠ん所ない事情で人を殺めてしまい、その罪の償いを求めて出家をいたしました。高野山で修行を積んだ後、那智の補陀洛山寺へまいりまして、二〇代の若さで、自ら補陀落渡海を望んだのでございます。

わずかな食料と灯し油のみを携えて、舟に作られた小部屋に乗り込みます。厚い木の板が四方に打ち付けられると、光が閉ざされ、波の音も人々の声も聞こえなくなる。ほどなく舟は、伴走船に引かれて沖合へ。頃合いのよいところで、引き綱が切られます。日秀を乗せた舟は、そのまま潮の流れに乗って、ゆっくりと南へ流されてゆきました。日秀は、真っ暗な小部屋の中で、ただ一心に真言を唱えております。「観音さまがきっと導いてくださるに違いない」と信じておりますから、不思議と、不安もありませんでした。(①)

やがて、昼とも夜とも分からない、長い長い時間が過ぎました。持ち込んだわずかな食料はとうに底をつき、日秀の命も、風前の灯火でございます。

「補陀落浄土はいずこにおわします…観音も我を見放したもうたか…」

最後の力を振り絞って、かすかな声で真言を唱え続けますが、次第に意識が遠のいてゆきました。(①)

どれくらいの時が経ったのでございましょうか、ふと目を覚ますと、強い日差しと青空が目に飛び込んで来ました。ザザー…ザザー…という、穏やかな波音が耳に入ります。傍らには、壊れた船が打ち上げられている。首を廻らして辺りを見回してみますと、遠くまで続く真っ白な浜の真砂。これがまるで白銀のようにきらきらと輝いております。岸辺には艶やかな緑が一面に生い茂り、見たことのない真赤な花や青い花が、心地よい風に揺らいでいる。その、えも言われぬ美しい風景を見たとき、日秀は確信いたしました。

「とうとう補陀落浄土に、たどり着いたにちがいない」―。(①)

さて、日秀が漂着したのは、果たして補陀落浄土なのでございましょうか。気になるところですが、続きはまた次回に申し上げたいと思います。

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