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3分講談「タツノオトシゴ」(テーマ:雨)

とある山あいの小さな村に、心優しい一人の少年がいました。ある年、日照りが続き、少年の村では、せっかく植えた田んぼの苗も皆萎れてしまいました。川の水もほとんどなくなり、底が見えているような有り様です。ある夜、少年は、そっと村を抜け出しました。「山を三つ越えたところに、何でも売っている市場があるって聞いたことがある。そこに行けばきっと、雨を降らせてくれる薬があるに違いない」。

小さな足で何日もかけて険しい山を越え、ようやく里へ下りてゆくと、細かった一本道が急に広くなり、四つ辻に出ました。辻沿いには様々な商店や露店が並んでいます。ちょうど、夜の帳が降りようとする時間。店の軒先に、一斉に灯が点りはじめました。チカチカと点滅する裸電球、洒落た傘の付いた外灯、色硝子がはめられた電飾など、まるで夢の世界に来たようです。少年は、恐る恐る、市の中に入っていきました。

頭の上から、威勢のいい呼び声が響いてきます。しかし何を言っているか分からない。行き交う人々も、着ているもの・顔や髪型などが、少年の村の人々とはずいぶん違います。「とにかく、雨を降らせてくれる薬を買わないと」。店の看板を注意深く見ながら、市の奥へと進んでいきます。

すると突然、目の前に、すっと一本の棒が横向きに出てまいりました。驚いて顔を上げると、青いハットを被った背の高い紳士が、少年を見下ろしています。鱗のように光る燕尾服を着て、鯰髭をはやしている。牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を掛けているが、その奥の目は左右で色が違っている。その紳士が、少年の前にステッキを差し出して、通せんぼをしたのでした。

「キミが探しているのはこれだろう?」

そう言って、紳士が、ステッキをくるりと回して指した先に並んでいたのは、理科の実験で使うような丸いフラスコ。そのフラスコの中には、トロンとした液体と、不思議な形をした小さな生き物が。透き通った薄い黄緑の身体で、海老のような尻尾をピコピコと動かして泳いでいます。「これは何?」とたずねると、紳士はにやりと笑って、「これは僕の子ども達だよ。「タツノオトシゴ」というんだ。この子達は、雨を降らせる力を持っているから、キミ、村へ持ち帰って、大切にお祀りするがいい」。

少年は、顔を輝かせ、「うん!おじさん、ありがとう」と、フラスコに手を伸ばすと、「こらこら、ただで持って帰ろうとは、ちょっと虫が良すぎやしないか?君の持っている何かと交換だ。」「あ、ごめんなさい。お金なら払います」と、少年が持って来た硬貨十枚を差し出すと、「そんな価値のないものはいらないよ。…そうだな、キミのその、目の玉をもらおうか」。少年はびっくりしました。目玉をあげたら、目が見えなくなってしまう。立ちすくんでおりますと、紳士はからからと笑って「安心したまえ、僕の目玉と交換だよ」。紳士がステッキを一振りしますと、二人の目玉が入れ替わり、少年の目は、色硝子のようになりました。「どうだい。面白いだろう?」少年の目に見えたのは、驚いたことに、自分の村の様子でした。少年の父母や村の人々が、必死になって自分を探しています。「どれだけ遠くても、見たいと思った場所を見ることができるんだ。さあ、送ってあげよう。」言うなり紳士は少年を負ぶい、空へと飛び上がりました。その後ろからは、いくつもの雨雲が、紳士と少年を追いかけるように着いてくるのが見えました。

 こうして少年は村へ戻り、立派な祠を作って、タツノオトシゴをお祀りしました。その後は、日照りに悩まされることもなく、また少年の目は災害や干ばつを予知することができたため、毎年、豊かな実りを得られたということです。「タツノオトシゴ」という一席。

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