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ヌーソロジーの観察子は量子っぽいぞ?と言う話

突然で今更なんですけど、ヌーソロジーの観察子は、観察している位置みたいなニュアンスで、視点の位置…つまり点のイメージが強かったんですよね。

同じ感覚だった人はいますかね?
この辺りのモヤモヤ疑問は記事に書きました。

だからずっと、観察子は視点のようなもの…つまり「私の見ている位置」として考えてました。
そして観察子を空間の位置そのものとして、自分以外のもののように対象化して考えていました。

対象化していたとは、目の前にマトリョーシカを置いて中身をバラバラにして構造を考えるイメージですかね。
一番小さい人形の外側の人形が、中の人形を見ている位置で、外側の人形にも内側と外側があって…みたいな。

だから外側の人形の断面上に自分の位置がある…と言う感じで、ここでも位置を点のように特定する感覚で考えていました。

でもですね、観察子は持続の空間なんですよね…。

だから持続の感覚から考えると、そこには自分の明確な位置が曖昧と言うか、私と言う身体の位置が曖昧と言うか…。空間が精神の全体とか、記憶全部とか、私の感覚しかない…と言いますか。
つまりそんなイメージで考えると、空間そのもの、マトリョーシカなら、人形の中身の空気の部分が自分になると言いますか…。

まぁ、あれです。体が全体に薄まって広がるイメージでしょうか。
最近はそんなイメージを持つようになりました。

これをゲームで言えば、悪魔城ドラキュラシリーズのアルカードのパワーオブミスト状態ですかね。知らない人は自分の身体が霧状に広がる感じです。
この話のイメージで通じますか?

それで、この霧状になった自分は、二重スリット実験の量子っぽくないですか?と言う話です。

人間の意識って、何かが決まるまでブワーッと薄まって広がっている感じはありませんか?
つまり、ぼーっとしている時です。

うーん。
この感覚は私だけ…じゃないと思うんですが。

それとは別であたしンちと言う漫画の中で、母がプリンを食べている瞬間は無心になるとか、そんな話があるのですが、あの無心状態って、意識が広がって薄まっている感じがしませんか?

で、意識が戻るとプリンを食べたなぁと言う余韻が残る…。
これって、波動関数の収縮っぽくないですか?(と、素人の知識で斜め読みした結果、そういったイメージに至る)

とまぁ、昨日は夕飯の支度中にそんな事を思いつきました。

…。
あはは、いつもくだらない話ですみません。
今回もオチは無いですから、話の収縮はまた今度にでもお願いします。

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