1-5「完母」から1か月検診で体重増加不良=「母親失格」判定 オケタニの功罪

●念願の「完母」免許皆伝

 相変わらず昼夜問わずの頻回授乳で体はバキバキの生活を送っていたが、料理や洗濯は実母がやってくれる環境で過ごしていた。たまに何をしても寝ない時に、疲労困憊していた私に代わり、母が赤ちゃんの抱っこを代わってくれることもあった。私の母は、小さいころから、この自主性を尊重して何かを強要するといったことがあまりない。

 「母乳が一番」とか「母親は寝不足は当たり前」「私の時はひとりで○○した」とか、たまにいるマッチョ祖母(私が命名)タイプではなくてだいぶ救われていた。反面、自分がしっかりしないと、とこの子を守るのは私なんだ、と強く思っていたフシがある。夫は週末には赤ちゃんを見に来るが、泊りはしないで帰っていって、私はこの新生児期の「夜、まじで寝ないんですけど」を夫が身をもって体験していなことに若干の不平を抱いていた。一方で、私の父は、話好きでもあり泊まれば酒を飲みながら深夜まで談義に付き合わされることや、食事や布団の準備、など母に気を使わせないために、彼なりに考えていたことなのも私は理解していた。

 とにかく泣いたら吸わせるの頻回授乳を続けてていた生後3週間後すぎ。オケタニに通い始めて3回目だった。順調に母乳量も増えてきて、助産師さんからのアドバイスでこの頃には、ミルクは20mlを足すのみまでになってきていたのだが。

「体重も問題なく増えてきているので、ミルクなしで母乳だけでも大丈夫でしょう」

きたーーー!!完母!!!ゴッドハンド助産師さんの免許皆伝に胸が躍った。だが、これが、間違いだった。

●「完母」から1か月検診で体重増加不良=「母親失格」の判定

 生後1か月検診に合わせて夫に車で迎えに来てもらい、東京の自宅に赤ちゃんとともに戻ってきた翌日。1か月検診のために、出産した母乳育児総本山的総合病院に足を運んだ。

 いやー新生児(生後1か月までをそう呼ぶ)はかわいいねぇ、なんて、他の赤ちゃんを見て、ニヤニヤ。そんな私の母子手帳に書かれた言葉―。

「1日増加量17.8g 体重増加不良」

 ドカンと書かれました。「体重増加不良」。

 頭の中が混乱する。え?母乳だけで大丈夫じゃなかったの?体重も計った上でたった1週間前に出たよね、完母免許。

 体重計測を終えて、電卓でカタカタと日割り計算した助産師がこう告げた。

 「藤田さん、1日あたりで30gくらい増加していないとだめです。ためらわずミルクを足しましょう。授乳の後に1回あたり60ml行きましょう。」

 え??60ml??何そのかつてない量。それ飲めるの?あれだけ入院の時に渋った同じ場所?ここ。母乳総本山じゃなかったの??小児科医の問診でも、「問題ないが体重増加が不足していますので、ミルクをしっかり足してください」と言われたが、もう茫然とするしかなかった。

 「母親失格だ」

 自宅に戻り、ミルクを大幅に足して満足して眠りについたわが子を前に私は崩れ落ちて、一気に涙があふれ出てきた。わんわん泣いた。目に見えての異常はない。

 でも、私はこの子の一生残る母子手帳に「体重増加不良」なんて言葉を残してしまった。もしかして、きのう夜泣いていたのもおっぱいが足りなかったから?あれは、お母さん、おなかすいたよって嘆きだったの?なんで私は母乳にこだわって、この子にまともな栄養を与えなかったんだろう。なんてひどい母親なんだ・・・・。後悔で押しつぶされそうになった。

 帰宅した夫にも泣いてわびた。新生児という大事な時期に、栄養が足りていなかったかもしれない。何か障害が起きたら申し訳ない、と。

 「ミルク、足していこうね。それでいいんだよ。初乳もいっぱい飲ませてあげてじゃないか。もう十分だよ。別に僕は完ミだっていいんだから!だってその間、僕が面倒を見ることもできるんだから。」

 夫は私を責めることはなかった。

 そこから、何のためらいもなくミルクを足すようになった。いきなり、0mlから60mlの大幅ミルク投入に、わが子は、何度もミルクを吐き戻した。

  ごめん。ごめんね。そのたびに謝りながら口の周りを拭いた。

  2週間後の母体の産後検診も兼ねたフォローアップ検診では「体重増加もいいですし、まったく問題ないです」と言われた。体重を記されて渡された母子手帳を受け取り、私は心底ほっとしたのだった。

●オケタニの功罪

 この「桶谷式」に関していうと、その後の母乳育児を軌道に乗せるためにも東京に戻っても何度か通った。しかし、母乳優先で、ミルクをなるべく減らそうとする助産師も中にはいる。その後通った際にも、

「とにかく頻回授乳!そうしないとおっぱい出なくなりますよ!」と脅された。ある種、正しい。しかし、人によってはそれが負に働く場合もある。私は桶谷式の母乳マッサージは本当にプロの技であると敬意を表したいが、その母乳哲学は話半分に聞き流すことにした。オケタニには、第2子出産後もお世話になった。産後うつを発症して、投薬のために突如断乳を余儀なくされた私を乳腺炎などにならないようにと受け入れてくれたのもオケタニだった。彼らの素晴らしいプロ意識は、後日改めて書きたい。

 一連の母乳問題にめどがついた生後2か月頃からは育児は順調の限りで、赤ちゃんがより一層可愛く思え、写真は毎日撮ってしかも写真集にするノルマも悠々にこなしていた。活動的でベビーマッサージに行ったり、友人に会いに行ったり、精力的に外出。生後3か月には飛行機に乗って温泉に行ったりもしたくらいだ。

 第1子にまつわる母乳問題で長くなってしまったが、当時の私は、抵抗は感じつつもやはり「母乳至上主義」「母乳信仰」に捉われていたと思う。この時に、産後うつを発症していたら、私は母乳に影響が出るかもしれない薬なんてとんでもないと、断固拒否して、正直、死んでいたと思う。

●マタニティ・ブルーズと産後うつは違う!

 振り返ると、この第1子の母乳戦争(と名付けます)のあたりは、私はいわゆる「マタニティー・ブルーズ」状態だったと推察する。

・マタニティ・ブルーズ=産後の劇的なホルモンバランスの変化で気分の落ちこみや不安感などの症状が出る。症状は約1~2週間だが、人にもよる。特徴は一過性のものであること。

・産後うつ=だいたい産後数週間後から数か月後に発症する。眠れない・抑うつといった中等度から重度のいろいろな症状を伴う。病気であり、精神科など専門医による対応が必要。

何度も言うが、この違いがあいまいなところであり、「ホルモンバランスの乱れせい」と軽くみないで、特に「周りの家族」は産後の母親をよく見てください。本人に自覚がない可能性も多いにあるからです。

 なお、両者の違いについては、最近では、産婦人科医の宋美玄先生が連載している、日経DUALに「産後★駆け込み寺」に詳しくあるのでぜひご一読を。

https://dual.nikkei.co.jp/atcl/column/17/101200003/041800091/?P=3

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?