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ネガティブ・ケイパビリティの取材を受けて その1

▼ネガティブ・ケイパビリティとは

 ネガティブ・ケイパビリティという言葉をご存じでしょうか。新年1月3日の朝日新聞に帚木蓬生さんと枝廣淳子さんのインタビュー記事が載ったのでご覧になった方もあるかもしれません。
 世の中はなかなか明確に答えを出せない問題が少なくありません。そのような時に、拙速に答えを出すのではなく、答えが出ない不全感や欲求不満に耐えつつ、より良い答えを探し続けようとする姿勢を「ネガティブ・ケイパビリティ」といいます。日本語では、「答えの出ない事態に耐える力」、「答えを急がない勇気」などと呼ばれており、まだ定訳はないようです。
 私が取り組んでいるオープンダイアローグの7原則の一つに、不確実性に耐える(Tolerance of uncertainty)というのがあり、同じことを言っているなと思っていました。産業ダイアローグ研究所と姉妹関係にあるビジョン・クラフティング研究所(VCラボ)のさきみが、新年最初のnoteでネガティブ・ケイパビリティを取り上げています。だんだん知られていくようで嬉しいです。

▼日本マンパワー会長の田中稔哉さん

 今回のnoteは昨年12月にネガティブ・ケイパビリティに関する取材を私が受けた話です。昨秋、日本マンパワー会長の田中稔哉さんが米沢に取材したいと言っているが、紹介していいかとVCラボの松本所長から打診がありました。私に取材なんて何かしら?と不思議に思ったのですが、未知のものに首を突っ込むのが好きなので、もちろんお引き受けしました。
 田中さんはネガティブ・ケイパビリティの研究を進められていて、現在いろいろな対人支援職にインタビューをしています。いずれ本にまとめるとか。研究の概要はこちらから。
 それにしてもキャリアコンサルタントを育成する会社の会長さんがなんでネガティブ・ケイパビリティの研究を?と思ったのが正直なところでした。私の中でネガティブ・ケイパビリティを発揮するのは精神科領域の超困難ケース、というイメージがあったからです。

▼なぜ「みたて」がテーマなのか

 事前に田中さんからいただいたインタビュー要領には以下の3つが書かれていました。

  1.対人支援職としての人間観、職業観について
  2.「みたて」について
  3.具体的事例(個人が特定できない範囲で)について

 1については私が書いたいくつかの論文・エッセイをあらかじめお送りしました。3については、苦労した事例はいっぱいあるので話題に事欠かないと思いました。不思議に思ったのは2の「みたて」(見立て、診たて)です。これがなぜネガティブ・ケイパビリティに関係あるのだろう?と思いながら当日を迎えました。
 ご挨拶もそこそこに、早速本題に入りました。直前にお送りした資料にも目を通してくださっていて頭が下がりました。2の話題になった時に、私の疑問を率直にお伝えしました。わかりました。田中さんはキャリアコンサルタントの育成に尽力されているわけですが、彼らの指導をしていると、話をまだ十分に聴けていない段階で自分の知っている理論や理解の枠組みに当てはめ、クライアントをわかったつもりになって介入してしまうのをどうしたらいいか、悩んでいらっしゃったのです。先ほどご紹介した研究概要にも問題意識が書かれています。

▼改めて「診たて」を考える

 それがわかったら私の頭はフル回転に!診たて(医者なので一応この文字を使います)について、今までじっくり考えたことがなかったように思いますが、自分はどう診たてているのだろうと振り返ることになったのです。
 私の診たては予約が入った時から始まります。なぜ私を選んだのだろう?「どのように私を知りましたか」とまず尋ねます。受け付けたスタッフがいれば、どんな相談だって?急いでた?どんな人だった?みたいな感じで、「どんな人か」の診たてが始まります。
 診察当日は、待合室で待っている様子から診たてが始まります。初めてお会いする患者さんの場合、必ず診察室から出て声をかけ、どこにどんな風に誰と座っているか、声をかけた時の様子、診察室までどのように歩いて来るかなども見ています。これは身体疾患の有無を見ることも兼ねています。
 そして挨拶。フレンドリーなのか、悲しそうなのか、不安で落ち着かなさそうなのか。こちらにとても気を遣っているのか、横柄な態度なのか、人との距離はあまり気にしない人なのか、といった様子を見つつ、相手が一番話しやすそうな「間合い」をとっていきます。

▼診たてに完成品や終着点はない

 「それは情報収集ではないか?」と仰る方があるかもしれません。確かに情報を集めているのですが、情報が揃ったらアクションを起こすのではない、ということです。たとえて言えば、車の運転をしながら、刻一刻と変化する周囲の状況に反応しハンドルをさばくように、相手の様子で「対話」の方向性を、それこそコンマ何秒の単位で調整しています。運転と違うのは、得た情報を自分の背後にあるファイル棚にストックしていくことです。と言っても暗記していくわけではなく、キーワードと思われる言葉や印象に残ったイメージなどをピン留めしていく感じでしょうか。私にとって診たては刻一刻の時の流れと共に行われるものであり、ファイルし続けられた情報の塊です。完成品や終着点はありません。

▼常に診たてている

 いや、「ケースの診たて」がなかったら何もアクションが起こせないではないか。その通りです。終着点がないと同時に、常に「その時その時の診たて」をしているのです。診たては刻一刻と変わり、完成品はないと思っています。うなずいたり、首をかしげたり、こちらが考え込んだりなど、非言語的なアクションを相手に返しています。治療的な介入を「アクション」と呼ぶとすると(「介入」という言葉が好きじゃないので)、秒単位の診たてによる「小さなアクション」と呼べるでしょうか。
 そしてお話を伺っていて、その話をもっと聞きたいと思って質問したり、話を聞いていて、あれ、どうしてそうしたのだろう?あるいはどうしてこうしなかったのだろう?と疑問に思った時に尋ねてみることが、「質問」による診たての確認と言えるでしょうか。「少し大きなアクション」と呼べるかもしれません。
 こうやってお話を伺っていく(小さなアクション、少し大きなアクションを繰り返していく)だけで、実は自然と解決にたどり着くことが多いです。普段の面接の8割はこのプロセスで解決しているんじゃないでしょうか。「解決」と書きましたが、こちらが「あなたはこうです」と答えを出すのではなく、こういう対話の延長線上でクライアントが、こういうことかな、こうすればいいのかな、と自分で答えを出していく感じです。
 診たてという言葉にこだわって言えば、「ああ、こういうことに困っているのかな」とかが見えてきた時が、「少し大きな診たて」をしている時かもしれません。クライアントの話を聴き続け、相手の発する言葉(非言語も含む)の一つひとつに反応していくことが、私の理解するナラティブ・セラピーの「無知の姿勢 (not knowing)」です。
 自分の背後の「キーワード集」にたくさん集まった情報から、この人は現在こういう状態にあり、その課題は何で、解決のためにはこういうアクションを取るのがいいかな、というような「大きな診たて」を思いつくこともあります。その診たてには認知行動療法や交流分析などの「大理論」、「技法」を使ったりします。「少し大きな診たて」までで解決しない残り2割が、「大きな診たてによる大きなアクション」と呼べるかもしれません。

▼インタビュー自体が、ある種のネガティブ・ケイパビリティ実践だった

 私にとって診たてとは終着点がないものであり、同時に、常に診たて続けるものだと思っています、とお伝えしてインタビューは終わりました。
 今回の「みたて」の件ように、あらかじめ用意した答えを伝えるのではなく、やり取り(対話)を通して「ゴールが見えない旅」を続けるのは、ものすごくエキサイティングです。子どもの頃、算数の宿題で計算問題が大嫌いでした。なぜ答えが出るとわかっているものをやらなきゃいけないのか、と文句を言っていました。答えが容易には見つからない問題に取り組むのが好きだったようです。生意気なガキですね。今回のインタビューも、じっくりと考えなければ見つからないものだったからこそ楽しかったのです。そして、同じような問題意識で仕事をしているから当然と言えば当然なのですが、田中さんが適切に質問し、応答くださったからこそ、深めることができたと感謝しております。思い込みの強い、人の話が聞けない記者さんから取材を受けると何と苦労することか…
 このインタビューのプロセス自体がネガティブ・ケイパビリティの実践と言ってもいいでしょう。「ネガティブ」という言葉が良くないのかもしれませんが、先ほどご紹介したVCラボのさきみが、「『ネガティブ・ケイパビリティ』というポジティブな力」と述べています。ネガティブに思える状況で発揮されるポジティブな力なんだと気づかせてくれました。

▼いや、耐えている場面もあった

 こう書いてきていったん筆を置いたのですが、「答えが出ない状況に耐える」っていうネガティブな感じの場面、ないのかな?と考えてみたら、ありました。オープンダイアローグをやっている時に、たとえば従業員と上司で議論がかみ合わなかったり、復職の面接で従業員と会社が対立してしまったりすることがあります。そういう場面では、いわゆるネガティブ・ケイパビリティを発揮しているなあと気づきました。産業保健領域ではそういった場面が少なくないのです。
 ちなみにそういう場面に立ち会った場合、以前はどうやってこの場を丸く収めようかと考え、落ち着かなくなっていたのですが、オープンダイアローグを学んでからは、それぞれの考えをもっと深く聞いてみよう、そうすることで何か見えてくるかもしれないという姿勢で関われるようになった気がしています。そうは言ってもそういう場面では緊張が走り、「お互いの違いを楽しむ」なんてことはなかなかできないのですが。
 
 みたてについて改めて考える機会をくださった田中さん、本当にありがとうございました。本の出版を楽しみにしております。
 
 これを書いていたらいろいろと連想が広がったので、その2を書きます。

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