自分のしあわせを探す


看護学校に在学していた頃、授業の一環で卒業後のライフプランを考える機会があった。

18歳くらいの時だから、高校3年生の年になる。


何をしたいのか、から考えた。


わたしはまず看護師として40年近くも勤務する未来なんて、更々頭になかったから「看護師を辞めるタイミング」と「辞めたらしたいこと」を考えた。(本当にあるまじき学生の姿です)

その時に、絵を描きたいだとか、クリエイティブな仕事をしたいとか、ものすごいアバウトなことを考えていた。

周りの友達は、社会人3年目くらいで結婚したいとか、30代に入る前に子供は2人欲しいとかそんな母性溢れる人生を描いていた。わたしは完全に結婚願望のないはみ出しもののような子供だったと思う。


次に、なりたい姿について考えた。


社会人になってから、仕事をしていく中で「人ではなく病気を看ている自分」に嫌気が指した。OLだったら「後輩ではなく営業成績だけ見ている状態」に近かった。もともと、人の心、心理学や人間関係論、倫理学に興味を示していたわたしにとっては、現場のやり方が苦痛以外の何物でもなかった。

看護師は人の心にアプローチするお仕事だと思っていたら、実際は時間に追われ、医師の指示に基づいた処置を行う毎日の繰り返し。業務に追われると、こちら側の心のキャパシティも狭くなっていく一方。わたしは完全にリアリティショックを受けていた。


こんな状態で仕事をしている自分が、本当になりたかった自分なんだろうか?

毎日仕事から帰って、毎晩考えていたこと。

その人がどんな人生を歩んできて、今日わたしと出会うことになったのか。どんな街や家庭、友人の輪の中で育ってきたのだろうか。この人の大切にしている繋がり、財産、価値観、信ずる宗教はなんだろうか。

わたしは看護師という仕事を通して、もっとこういう人間らしいところを知りたかった。これまでの人生の中で出会ったことのない人と出会いたかった。そしてその人にできる可能な限り、自分の慈悲の心が赴くままに役立ちたいと思っていた。


わたしがしたいのは注射や手術の介助なんかの手技ではなく、誇らしげに飲みの席で「看護師してます〜!」と言うことでもない。


わたしって一体どんな人になりたくて看護師を目指し始めたんだろう。

答えは退職して1年半経ってから、ふと旅に出たのがきっかけで思い出した。

ーーああ、わたし人の役に立ちたかったんだった。

ーー丁寧に一人ひとり関わって。その人が前を向くためのエネルギーを渡して。

ーーお仕事はできたらチームでしたい。あーでもないこーでもないって言いたい。


これに気づいたのは23歳になった頃だった。


ずっと探し続けていたわたしの天職


仕事には3種類あるという。

一つ目は、生活に必要なお金を稼ぐためにしているお仕事=ジョブ

二つ目は、昇進や社会的地位、権力、自己肯定感の向上のためにしているお仕事=キャリア

最後は、金銭でも名誉のためでもなく、自分の人生にとって切っても切り離せないもので、世の中に貢献できていると感じるお仕事=天職


カウンセラーによると天職に巡り会える確率は1000人に1人で、かなり珍しいことらしい。

わたしがデザイナーになることは天職ではなく、キャリアに位置すると思っている。デザイナーとしての土台ができたら、次は語学とカウンセリングの領域に足を踏み込みたいからだ。(あとは面白い本探しとマーケティングの勉強もします!)

そしてそれらを正しい知識、心弾むような経験の一つとして、名前も顔も知らない誰かに届けたいっていうのがわたしの最終目標。届けるだけでなく、アクションを促すことも可能にしたい。要はコミュニケーションという手段を使って、関わった人が新しい世界の扉を開くのをお手伝いしたい。

そのために各地に足を運んだり、アクテビティにチャレンジしたり、出会ったことのない人に出会っている。

わたしの今は確かに、未来の転職に繋がってると思いたい。(計画性は0だけど)



友達の夢を一緒に叶えたい



わたしにとっての天職を考えた時、以前お世話になったカウンセラーさんに言われた「なる術がわからなくて諦めた夢はないか」という言葉を思い起こした。

医療通訳士と臨床心理士、の他にもう一つ。

お手伝いしたい!と強く感じたこの友達の夢だった。

ジョインしたい、と改めて思う素敵な夢だ。


突然だが、わたしは3人の父親がいる。2人目の父親とは血縁もないし、14歳の頃からすでに関わりがない。だがこの義父の母に対するDVが酷かった。それをわたしが直接受けたわけではないが、この時から「男性が怖い」「怒らせてはいけない」という刷り込みが始まった。

だがわたしには義父だけではなく、母もまた、わたしに大きな影響を与えた存在だった。

母はわたしに対して、いつも「正そう」とする。

例えば「今日こんなことがあってこう思った」と話すとする。それを母は「何言ってんの。それは違うでしょう。」という。母は「正そう」としているのだと思うが、わたしからすると「受け止めてもらえず否定された。」と感じていた。

わたしには兄弟がいない。だから母は唯一の肉親でもある。だがその母に相談しようにも、肯定してもらえることはなく、わたしが開けた新しい世界の扉は悉く母の手で閉ざされていく。これはわたしが25歳になった現在も続いている。

幼い頃から「これをしたらダメ」「お母さんが言った通りにしないから失敗する」こう言われ続けてきた。これは無意識のうちにやっていたであろうマインドコントロールである。

マインドコントロールをされた子供は「人の顔色を伺う」「言われたことだけをやる」「自分の意見を持たない(持てない)」といった大人に育ちやすい。(もちろんみんながそうとは限らないけど)

そして一番の問題は、わたし自身が大人のいう通りにしていればいいとたかをくくって、自分とちゃんと向き合わなかったことだ。

社会に出て、先輩に指示されたことしか出来ない社会人となり、仕事の上司や恐れている男性という存在に対して顔色を伺う大人になった。恋愛しても、どこ行きたいとか、アレがしたいとか、意思表示ができなくて全くうまくいかない。

そして最も酷かったのが「相談できない」ことだった。

先輩から「キャパ的に無理だと思ったらすぐ言ってって言ったよね?どうして相談してくれなかったの?」恋人から「体調悪いんだったら言ってよ、どうして言ってくれなかったの?」と何度も何度も言われた。

今でも一番苦手なことが「相談すること」なのは変わらない。


さて、なぜこんな不思議な経緯を話したかというと。

わたしのような子供たちや、わたしのように大人になってから苦労を感じた人っていうは、あまり外へ発信しないというだけで、生きづらさや悶々とした気持ちを抱えて生きている、と思う。自分で抑圧している本当はやりたいこと、叶えない夢をダメ出しをし続けているなら。家と学校や職場以外に行く場所がなく、逃げ道がない環境に置かれているなら。否定的な刷り込みを自分自身にし続けて、自信を失っているなら。わたしは閉ざされかけている扉のストッパーになって、「まだ!希望はあるよ〜!」と言いたい。


今のわたしが自分にできることはこの6つ。

✔︎ わたし自身がこのトラウマと癖に向き合い、乗り越えること。
✔︎乗り越えるために自分が選んだことを最後までやり遂げること。
✔︎ 完遂する経験を積み続け、自分に自信を持つこと。
✔︎ 自信を持つために新しいチャレンジを止めないこと。
✔︎ チャレンジを止めずにいることで初心にいつでもかえること。
✔︎ 足を止めないために自分にポジティブな言葉を刷り込んで、背中を押す。


25年間育ててくれた親を責めるのではなく、これからわたしが「人の役に立てる、人に頼りにされるようなエネルギッシュな女性」になるためにできることを探してみた。

そしてこれらを実践し続ける先に、この友達の夢をお手伝いできたらと思う。


幸せって個性的な形をしている


冒頭の、看護学校時代のライフプランの設計で描いた将来を歩んで、幸せを感じている友人もいれば、全く違う畑で誰もが想像しなかったような幸せを感じている友人もいる。わたしにとって、幸せは天職と出会うためにたくさんの体験をして、理想の自分の姿を目指すこと。きっと誰とも重ならないようなライフプランを描いている。

まずは自分のことすっごい褒めたろ。


さんまちゃん





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さんまちゃん

私が体験したことをつらつらと。 わたしのふしぎな思い出あなたに捧げます。 許してください、初心者なので。

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