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聴覚障害があるけれど大学院修士課程を修了したわたしが、ノートテイクを受け始めたきっかけ。

「ノートテイク」をご存知ですか?これは、聴覚障害者に対する同時筆記通訳、つまり「耳の代わり」をすることです。

わたしは、大学と大学院の6年間、「ノートテイク」を受けながら講義を受けていました。今回は、「ノートテイク」を受けることになったきっかけのお話を紹介します。

はじめて情報保障を受けたのは、大学一年生のとき

右耳が生まれつき重度難聴のわたしですが、左耳は高校2年生くらいまで軽度難聴でした。そのため、幼稚園・小学校・中学校・高校とろう学校ではなく一般の学校で過ごしてきました。

座席を前の方にしてもらったり、リスニングテストで配慮をしてもらったりすることはありました。しかし、普段の授業では特に通訳等の支援を受けずに過ごしてきました。

そんなわたしが、同時筆記通訳である「ノートテイク」をはじめて受けたのは大学1年生のときです。

手話を知らない聴覚障害者

聴覚障害者といえば「手話」が思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。

しかし、聴覚障害者とのコミュニケーション「口の形を見せてください」でご紹介したように、手話ではなく相手の口の形を見て会話をする聴覚障害者もいます。

例に漏れず、わたしもそんな聴覚障害者でした。

普通の学校で、聞こえる友達と過ごしてきたわたしが聴覚障害者と出会う場は、年に一回ろう学校での交流活動程度です。そのため、手話自体は見たとがありましたが、使うことは全くできませんでした。

手話に興味をもったのは、大学の推薦入試で聴覚障害のある友達ができたときです。高校3年生の終わり頃に独学で簡単な手話を覚え、大学入学後に本格的に使いはじめました。

高校までは、入学・進級のタイミングでクラスの友達や担任の先生に聴覚障害があることについて伝えるようにしていました。

それでもわたしには、ある程度の聴力と相手の口の形を読み取る力があったため、手話が自分にとって必要なものであるという意識は、そんなに強くなかったと思います。

高校までの授業の頼りは、とにかく教科書と板書

大人になってからろう学校への在学経験がないと話すと「学校生活、大変だったでしょう?」とよく尋ねられます。

答えは、YESでありNO。

答えがYES(大変だった)になるのは、勉強以外の生活面です。

例えば、放送での指示がきき取れなかったことや、女子特有の内緒話がききとれなくて話題に入れなかったことが挙げられます。

はじまりは多分、幼稚園の頃です。

一方でNO(大変ではなかった)は、勉強面についてです。

なぜなら、教科書と板書と参考書を開けば「答え」は載っていたからです。何度も読み込んだり、塾の先生に解説を求めて粘り続けたら大体の「答え」は導けます。

これらのことから、授業に通訳が欲しい!と感じることもなく大学に進学しました。

環境がぐっと変わった、大学時代

高校卒業までは、きこえる人たちと同じように授業を受けてきましたが、大学に入ると大きな転機がありました。

大学に入って最初の講義で、1ヶ月分の講義資料と毎回の課題プリントが配られたときのことです。なんとその教授は、黒板に一切何も書かずに口頭でそのプリントについて説明を始めたのです。

しかも、運の悪いことに彼女の話す言語はネイティブの英語。日本語の口の形の読み取りは慣れているものの、英語となるとすっかり読み取れないわたしの机上には、大量のプリントが散らばっていました。

(その時間は、隣の席に座っていた友人に「英語苦手で、全然わかんなかったよー。このプリントどうしたらいいの?」と苦笑しながら尋ねて、一緒に整理してもらいました。)

広い講義室に、マイクで機械を通した音声を拾わなければならない環境。
ほとんど板書がなく、教授のトークを中心に進んでいく講義……。

救いの手を差し伸べてくれたのは聴覚障害者の同級生

大量に配られるプリントにメモなんてできず、半泣きで過ごしていた大学生活二週目のことです。聴覚障害のある同級生が、携帯のメモ画面を差し出してきました。

「ねぇ、ちょっとついてきてほしいの」

言われるがままについて行った先にあったのは、ノートテイクを受けたい聴覚障害学生とノートテイクのボランティアをしたいきこえる学生をつなぐ「しょうがい学生支援室」でした。

「sanmariも、聴覚障害があるんでしょう。講義、理解できてる?ちょっとでいいから、職員さんと話してみたらどうかな?」

そう筆談で伝えてくれた彼女は、わたしを支援室に置いて足早に次の講義へと向かってしまいました。

「ノートテイク」は、手話ができない聴覚障害学生でも講義を理解できる方法

高校時代まで、きこえる学生と同じように講義を受けてきたわたしは、どちらかといえば「支援をする立場になるんだろうな」なんて、心のどこかではそう思っていました。

しかし、気付いたら、手話通訳者の職員さんが、手話を交えた音声でわたしに講義で通訳を受けるイメージについて丁寧に説明してくれていました。

それだけでなく、わたしと同じように普段は音声を用いているけれど、聴き取りにくい講義だけノートテイクを受けているという先輩もわたしのために支援室へ駆けつけてくれました。そして、通訳があるとどれだけ講義が分かりやすいのかを分かりやすく説明をしてくれました。

わたしよりも聴力の軽い人でも、大学の講義は聴き取りにくいんだ。
手話ができなくても、聴覚障害者って言って支援を求めていいんだ。
文字による通訳だったら、手話がなくても理解できそう。

恐る恐るではありましたが、一番困り感のあった英語の講義にノートテイクをお願いすることになりました。

はじめてノートテイクを受けた日

翌週、講義室に行くととても優しそうな4年生の学生さんが私の座席の横に座っていました。英語科の学生さんです。

教授のネイティブな英語を聞き取って、すらすらと裏紙に書いてくれます。今教科書のどのページを開くのかも、プリントのどの部分を読んでいるのかも、みんなが何で講義中に笑い出したのかも全部全部、音声から文字に変換されていきます。

大学に入って初めて、英語の講義で机上がプリントの山にならなかった日になりました。

この英語の講義をきっかけに、大学と大学院の6年間「この講義、聴き取りにくいな」と感じた講義では、ノートテイクをお願いして講義を受け続けました。

手話ができない聴覚障害学生にもノートテイクは必要

わたしもそうだったように、高校まで一般の学校で支援を受けずに授業を受けてきた聴覚障害学生でも、環境が変わることで通訳が必要になることはあります。

きっと、ろう学校で育ってきた聴覚障害者よりも自分の困難性には気付きにくいし、どんな支援が必要なのかを自分で考えて求めることは難しいと思います。

支援を受ける側、支援をする側、困っている聴覚障害者を見かけた一人でも多くの誰かにこのnoteが届いてくれたら嬉しいです。

✂︎聴覚障害のあるわたしと文字通訳のエピソードは、こちら✂︎
狭間をぴょんと飛ぼうとするとき、世界はちょっぴりやさしく、輝きを増すのかもしれない。
「わからない」を口にしてもだいじょうぶなひとは、ちゃんとすぐそばにいるよ。だからあんしんして。ね。


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