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ねえ親父さん、

営業時間は1日1時間。日曜・月曜はお休み。

さすがに誤植かと思ったけれど、どのホームページを見てもそうなっている。Googleさんが間違っているわけではないようだ。

いや、それでもまだ信じられないぞ。
これは行って確かめるしかない。

* * * * *

その銭湯の名は、健康館草津湯。最寄り駅は東武スカイツリーラインの小菅駅。

各駅停車しか止まらない駅に降り立つ。
着くのが少し遅くなってしまった。既に時刻は16:40。閉店まで50分、先を急がねば。

平年より幾分暖かいとはいえ、まだ2月だ。風は寒い。
銭湯があるのはあの東京拘置所のすぐ近くだ。異様に大きな建物と味のある住宅街。
寄り道が捗ってしまった。先を急ぐと言ったのは誰だ?

でもいいんだ。銭湯までの街並みは、湯船に向けてのプロローグなのだ。

* * * * *

閑静な住宅街に現れる、趣のある建物。ここだ。
入り口の張り紙には、確かにこう書いてあった。

「営業時間 午後4.30~午後5.30」
「日曜~月曜日 休みます」

本当だ。謎解きゲームの答えにたどり着いたような高揚感。

しかし時刻はもう17時に差し掛かろうとしている。
四の五の言わずに、入浴だ。

* * * * *

男湯のドアを開ける。
脱衣所では、16:30の開店と同時に入ったのであろうベテランの男たちがすでに上がってきており、熱い湯の余韻を思い思いに楽しんでいた。

スポーツ新聞を読む人。世間話をする人。

470円を払う。
と同時に、番台の親父さんが何か言ってきた。

「忙しい?」

…え?

「忙しい?」

…ん?なんと答えたらいいんだ??

「…あれ、何回かいらしてますよね?」

誰かと間違えているようだ。僕は常連のおっさんでもなければ、ボイラー点検の業者じゃない。初めて来たただの客である。
仕方がない。こちらからきちんと事実を伝える。

「いや…ここは完全に初めてですけど。。」
「あれ、そうだったか。。。」

誰なんだ。その何回か来ている忙しい若者は。気になるじゃないか。

初見だとわかった親父さん。ここから僕への質問攻めが開始される。

「ここ1時間だけって知ってます?」
「ここまでどうやって来たの?自転車?」

客層を見る限り、ふらっとやってくる若者なんてそうそういないんだと思う。
だから尚更気になる。ねえ親父さん、最初僕のこと誰だと思ってたんだい?

番台で話し込んでしまった。17:05。閉店まで25分。
そうこうしている間にも常連さんたちがどんどん湯船から上がってくる。先を急ごう。

* * * * *

小さな湯船が2つ。シンプルな構造である。

体を洗って、さあ入浴、とはいかない。
下町の風呂は、暴力的に熱い。43,44℃くらいは当たり前。
足までは大丈夫だけど、お尻がヒリヒリしてなかなか全身を浸けることができない。

でも、僕は知っている。
この「お尻の壁」の先に楽園があることを。

良かった。全身浸かれた。
一度慣れてしまえば、44℃のお湯でも大丈夫。これが病みつきになる。

東京に出てきて3年。
最初は銭湯に行っても、あまりの熱さに湯船に入れずに帰ってくることがあった。
それが今では、熱めのお湯にも悠々と浸かって友人がドン引きするほどである。

少しずつ、体が江戸っ子仕様にカスタマイズされているような気がした。

まだ電気風呂と水風呂は怖くて入れない。
そこらへんも慣れちゃうのかな。そうなったらもう、本物である。

とか考えていたら、いつの間にか浴室は僕一人になっていた。
もしや17:30過ぎてる?大丈夫かな。

* * * * *

熱い風呂はすぐに満足する。
結果、15分足らずで上がっていた。17:20。

結局僕の後には誰も来なかった。今日の最後の客だ。
せっかくなら親父さんとさっきの話の続きでも。

…と思ったら親父さん、僕が上がるやいなや浴室の清掃を開始。番台には誰もいなくなってしまった。
残念だけど仕方ない。

1日1時間の営業時間。それは親父さんにとって勝負の1時間。少しも無駄にはできないのだろう。
掃除のお邪魔にならないよう、おとなしく帰ることにした。

* * * * *

ねえ親父さん、聞きそびれちゃったよ。
1時間だけ開けてるのはなぜ?
そして、最初僕のこと誰だと思ってたんだい?

またいつか行きます。あの日の話の続きをするために。

#いつか銭湯に行く日

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