妄想師匠

ボクのマンションの窓下の道を深夜、独り言を言いながら通る酔っぱらいのオジサンが昔いた。よく聞くと、それは独り言ではなく「一人芝居」だった。

内容は「いや、田中は悪くありません!課長!悪いのは貴方の方だ!田中、責任は全部、俺が取る!好きにやってみろ!」というものや「みつこくん、ダメだこれ以上は君の気持ちは嬉しいが、ボクには妻と子供がいる。こんなオジサンの事は忘れて、もっと自分を大事にしなさい」などといった物で毎回だいたい、仕事か恋愛で微妙に変化する。相手が客だったりスナックのママだったり。

それを「漫画ゴラク」のとある編集者におもしろおかしく語ったら、その編集者に「鍋島さん、その人を馬鹿にしてはいけません。そのオジサンこそが、うちの雑誌の大事なお客さんなんです。その人の妄想の代わりに鍋島さんがそういう物語を書いてください」と、言われ、恥じ入り、感動し、心に刻んできた。

それからはなおいっそう、耳を傾けた。

けっこう楽しみにもしていたのだけど、ある日。

「みなさん、長い間、本当にお世話になりました」

と、花束を持って泣きながら通られてからは、聞けなくなった。

あのオジサンはボクの心の師の一人である。

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