赤いメモパッド

赤い革のメモパッド。
見るたびに思い出す。
コーヒーの香り、苦いキス。
今はイタリアンレッドが
すっかりくすんで
うっすらと革に残る丸いシミ。
それは揺れる地面によろけた
君が、僕が差し出したメモパッドの上に
紙コップを置いたから。
だからはじまってしまった。
半年後に、
駅前のバスロータリーの
そのハンバーガーショップの
外の椅子に座って
襟を立てて手袋で包んだコーヒーを
君はすすった。
帰ってきなさいと母さんがいうの。
帰りたくない。この国にはあなたがいるから。
地面が揺れるのも、発電所が燃えるのも
わたしは怖くない。
いつまでもこうしていたい。
でもそのロータリーから
君はリムジンバスに
乗って飛び立った。
すぐに帰ってくるから。
そう言って終わってしまった。
あれから何年たったろう。
ロータリーのハンバーガーショップは
カフェに変わった。
ガラス窓に映った僕の鬢には
白いものが混じっている。
今日もリムジンバスが空港と往復している。
寒い朝にコーヒーを飲みながら、
僕はまだ赤いメモバッドに
言葉を紡いでいる。
ああ、そうだね。
そうだった。
このくすんだ赤い革のメモパッドのシミは
君が苦いコーヒーを置いたせいだった。
差し出したのは僕で、はじめたのは君だった。
だから終えたのも君でいい。
約束はやぶられたんじゃない。
君が人生を決めただけだ。
カフェのコーヒーは
ハンバーガーショップの
それよりずっと旨いけど
地面が揺れても、熱いコーヒーが
君の指にかかることはないね。
恋が始まることも、無いだろう。

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