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#私のこと好き?番外編?!


再従兄弟のKちゃんは同い年で、幼稚園も一緒、小学校も中学校も一緒の幼馴染だった。
今思い出してみると三歳で両親が離婚した私をいつも優しくかばってくれた…と言うよりは、ふざけて笑わせてくれるような子だった。

まん丸い顔でラーメン大好き小池さんみたいな天パーで、全然かっこよくなくて成績だって私より下で、人を笑わせるくらいしか取り柄のないようなそんな再従兄弟だった。
でも、いつも側に居た。私の側に当たり前のように図々しく笑って居た。だから私の幼少期の写真にはいつも隣にKちゃんが写っている。

忘れもしない小学校二年生の時、二階の教室から階段を下って来た私に物陰に隠れていたKちゃんが、いきなり出て来てブチュッてキスをした。今だから話せるけど、ほっぺじゃなくて間違いなく唇にだ(泣)

「キャーーー!」
叫んだ私に
「やったぁー、わーい、わーい」
はしゃぎまわるバカ再従兄弟(泣)
大切な事なので、もう一度言うね。ラーメン大好き小池さんだ(泣) 
周りには下駄箱に向かう大勢の同級生や上級生が居た。

終わったと思った。

私の小学校生活はこれで終わりだ。ファーストキスをラーメン大好き小池さんに盗まれて……転校したい。いや、ひょっとしたら、もう初恋も出来なければ結婚さえ無理かもしれない。
小学校二年生の私は人前で処女を盗まれたくらいに、小学校二年生だからそれは知らないか、でもその位落ち込んだ。
次の日から学校へ行きたくなかった。学校へ行けば、Kちゃんとキスした子だってイジメられる。両親に泣きながら相談したが、
「人の噂も七十五日」
って、当時では理解出来ない言葉で説得されたような記憶がある。

あの時、私はラーメン大好き小池さんに
「どうして、こんな事するの?」
とか
「私のこと好き?」
とか聞かなかった。聞こうとしたのかもしれないが男友達とはしゃぎまわるKちゃんには声が届かなったと思う。それから私はKちゃんに「絶交」宣言をして、彼を遠ざけて学校生活を送った。
両親の言った通り、噂は三年生になる頃には消えていた。小学生の世界にも、それなりの事件が日々起こるからからKちゃんと私のファーストキス事件は誰も興味を示さなくなって、そのうち静かに鎮火した。それでも小学校卒業まで、ろくに口を聞かずに過ごした。

20代の同窓会の時、久しぶりに会ったKちゃんは大学を卒業して一流企業と呼ばれるところに就職していた。相変わらず髪の毛は天パーだったが、まん丸い顔が少し長くなっていた。
「sanちゃん、可愛くなったな〜。隣に座れよ」
昔通りの人懐っこい笑顔で声を掛けられたが、私はあんまり相手にした記憶がない。
あの時も「どうして、あんな事したの?」とは聞かなかった。

私が結婚して数年経った頃、実家から電話が入った。
「Kちゃんが亡くなったよ」
「え?何?事故?病気?」
「交通事故で」

聞けば転勤先のドイツで通勤途中に車で公園に突っ込んでの自爆死だったそうだ。

そのままお葬式だったら、私も参列出来たのだけどドイツへご両親がご遺体を迎えに行って飛行機で日本へ運ぶまでに一週間の時間が掛かった。難しい事は分からないがドイツでの手続きが大変だったらしい。
私はその間にインフルエンザに掛かってしまった。お年寄りが大勢参列するお葬式には遠慮しなければならなかった。

もう一生、あの日のファーストキスは何だったのかKちゃんに聞く事は出来ない。
友達と賭けでもしたのか、笑いを取りたかったのか、イジメたかったのか、それとも…

「ねぇ、Kちゃん、私のこと好きだったの?」
好きだったからと言ってどうするという事はないが、あんなに長い間無視は続けなかったかもしれない。
「私のこと好き?」
追い駆けて行って、下駄箱で聞けば良かった。


どんなに聞いてみたくても、あの幼い日、私にキスして、わーいわーいとはしゃぎまわったKちゃんに今は真意を訊ねることはもう出来ない。

ほろ苦くて悲しい私の再従兄弟との思い出。


三羽さん、今度こそ主旨に全くあっていないかも(苦笑)#借りちゃったけど、無視してくれて大丈夫です(笑)

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