見出し画像

大阪から東京までママチャリで行った話

こんにちは。
実家が全焼したサノと申します。

僕は昔から「目的」に向かって
生きるのがとても苦手です。今も苦手です。

その代わり、ふと思いついた、
「なんか楽しそうなこと」に
挑戦してみることが好きです。

そんな性格が災いして、
僕は大学生の頃に目的もなく、
大阪から東京までママチャリで
行ったことがあります。

行ってみようと思った動機は、
なんとなく友達の家のトイレに貼ってあった
世界地図を眺めていると、
大阪と東京がとても近かったためです。

早速友人を誘って企画しました。

まず、地元の自転車屋で、
中古のママチャリを手に入れました。

4800円でした。
最初からハンドルが
やや右に曲がっていました。

友人とは大阪梅田で待ち合わせして、
そのまま東京に向かいました。

東京までの道のりはシンプルで、
国道1号線沿いを走るだけです。
国道1号線は大阪と東京を結ぶ道路なので、
それに沿って走り続けるだけで、
東京に到着します。

午前中に大阪を出発した僕たちは、
昼頃には京都に到着しました。

自転車に乗っているだけなので、
特にハプニングが起きることもなく、
僕たちは順調にペダルを漕ぎ続けました。

しかし知らず知らずの内に
肉体にダメージは蓄積されており、
夕方に滋賀県に着いた頃に、
急にお尻が痛みだしました。

不安になり、友達にお尻を見てもらうと、

「サノ君のお尻が…壊れかかってる。」

と言われました。
怖すぎて泣きそうになりました。

しかし立ち止まっても仕方がないので、
さらに自転車のペダルを漕ぎ続けました。

そして、なんとか深夜に
三重県に到着しました。
初日にして約200km進みました。

そしてこの日は、
夜中の3時過ぎから朝5時半まで
三重県四日市市のコインランドリーで
洗濯しながら寝ました。

【2日目】

5時半に目を覚まし、
起き上がろうとした時、
体が全く動きませんでした。

はじめは金縛りだと思いましたが、
どうやら全身の疲労で
体が動かなかったようでした。

2時間の睡眠では疲労が回復するはずもなく、
自転車にまたがっても、
しばらくペダルを漕ぐことができません。

それでもなんとか、
ゆっくりとしたペースで自転車を漕ぎ、
2日目の午前中に名古屋に到着しました。

この頃には友達との会話も
ほとんどありませんでした。

そもそも「目的」が無いので、
「なぜこんなことをやっているのだろう」
と二人とも思っていました。

もうやめたい…。
休みたい…。

こんな気持ちが頭の中でずっと
巡っていました。

しかしさらに時間がたてば
そういうことを 考えるのも嫌になり、
全ての欲が無くなりました。

目的が無くても、極限状態になれば
人は何かを続けられる
ということを知りました。

そして、これがブラック企業の
システムなのだと学びました。

あの時の僕たちは、
ブラック企業の自転車操業を
体現していました。

ほとんど不眠不休で走り、
夜になってようやく静岡県に着きました。

友人は僕に向かって

「サノ君、阪神タイガース入ったらええねん」

と意味不明なことを繰り返し言っていたので、
相当疲れているようでした。

2日目は結局、朝5時半から
翌日の朝の8時まで走り続けていました。

この時点で、約400km走っていて、
東京までは残り約200kmでした。

ここで気づいたのが、僕と友人は、
2日後には大阪に戻ってアルバイトを
しなくてはならないということでした。

そのため、この満身創痍の中、
あと24時間で200km
走らなければなりませんでした。

【3日目】

少しだけ静岡県の駿河で休憩した後、
僕たちはまた走り始めました。

坂道も立ち漕ぎで走りました。

しかし、そんな僕たちの目の前に
最大の難所が立ちはだかりました。

駅伝で有名な「箱根峠」です。

箱根峠を超えるには、
標高1000メートル近い山を
2つ超えなければなりません。

峠をこえている途中、
嬉しかったのは見知らぬおじさんが
お弁当や飲み物の差し入れを
してくれたことでした。
人の暖かみを感じました。

さらに、そのおじさんは
「車で峠の頂上まで乗せてあげよう」
と言ってくれました。

その提案に少し心が揺れそうになりましたが、
僕たちは丁重にお断りしました。

なぜなら、ブラック企業のシステムが
作動しているため、
目的も何もないはずなのに、
「責任感」が生まれてしまっていたためです。

誰にも頼まれていないのに
「責任感」があるので、僕たちは、

「自分たちの足で向かうことが大事なんで…」

と意味不明なことを言いながら、
山を登り続けました。

そして合計3日間、ほぼ不眠不休で
朝方まで走り続けていると、
ようやく東京に到着しました。

東京に着いた後、
少し休んでいると安堵と疲労から
僕はベンチで眠ってしまいました。

そして目を覚ますと、なぜか教会にいました。

よくよく話を聞くと、
偶然近くにいた教会の方が、
あまりにも疲れてそうだったので
ご厚意で休ませてくれたそうです。

てっきり僕は、
死んだのかと思い、パニックになりました。

協会の方にお礼を言って、
もう二度とやらないと心の中で誓いを立て、
帰りは新幹線で帰りました。


いただいたお金は、切ないことに使います。