「底辺ライター残酷物語」を編む計画について

僕は得てして人に相談することを好まない。殆どしない。経験上何も解決した例はないし、相談の受け手がよく作るあの神妙の顔付きに堪えられないだろうからだ。それに良識人を気取ったふうな「訓示口調」を僕は嫌う。「わかるわかる、人生は大変だなあ」といったふうの妙に所帯染みた「疑似同情口調」も嫌う。

けれども相談されることは好むのだ。というより他人の愚痴を好む。同情もしないし名句金言も吐かないけれど一応聞く。他人の話は書く素材になるし後学の為にもなる。要するに性根が歪んでいる。相談を持ち掛ける知人が冗談半分であるならこっちも冗談半分で臨む。自殺しようか迷っているふうなシリアスな悩みなら「取り敢えず寝てからでも死ねるだろう」と諭す。突き放した後にすぐに死なれるとさすがに寝覚めが悪くなりそうだからだ。僕自身がいつも自殺念慮を匂わしている人間だったのでその可能性が生々しく恐いのだ。それに下手に傾聴されることの悪影響も知っている。「人の悩みを真摯に聴く俺ってかっこいい」というふうの偽善顔を前にしていると余計むかついてくることも知っている。だから余程のことが無い限り「人生相談」はしない方がいい。これが教訓である。特に僕のような人間に一番してはいけない。

世は複雑になったから相談ビジネスも盛んだ。有象無象にも悩みは絶えない。専門家相手の相談には大抵金銭報酬が発生する。そういう相談業者に僕はなぜだか敵意を持つ。よく分からないけれど直観的に近寄ってはならない気がする。これも経験上の警戒心なのか。

ここで話は飛ぶけれど、一体僕にはカタカナの肩書に対して偏見を持つきらいがある。カウンセラーだとかコンサルタントを名乗っている連中に碌なやつはいない。カタカナのせいか一見体裁がいいけれど、その大半はまともな業績など何も積んでいない見栄っ張りの無能人だろう。ただ、己の無才無能を顧みずそうしたけばけばしい肩書を名乗れるその無神経さを僕は決して嫌いではない。僕自身どうしようもない人間だからその積極性を見習っていかないと多分これから生き残れない。生き残らなくてもいいか。ライターだってカタカナだ。ライターこそ虚名の典型なのだ。名乗ったもの勝ちなのだから。その大部分はただの無能人なのだ。まずはそのことを全て認めて開き直らないうちは何も始まらない。ライターとコンサルタントは僕にとっての「胡散臭い連中」の筆頭なのです。

恐らくライターの大半はせいぜい安請け合いの単純作業くらいしか経験がない。なかにはその経験さえないのに名乗っている奴もあるかもしれない。まあいいけど。そこでは一文字一円未満の記事作成なんか珍しくない(そもそも文字単位で対価設定されていることに嫌悪感を催す)。こんな人を馬鹿にしたような仕事案件でも眼を血走らせた底辺ライターがすぐに殺到してカタカタキーボードを打つ。「納期」も厳守する。恐ろしく惨めな世界です。「中間搾取」も半端ではない。何しろ僕も数年前までそんなことを絶望しないでやっていたのだ。パソコンを叩き壊さないでやっていたのだ。発狂しないでやっていたのだ。それでもライターを名乗りたい奴が世の中にはごまんといる。掃いて捨ててもいくらでも出てくる。いつでも交換可能。義務教育を受けていれば誰でも出来る。その労働力の安さを僕も身に沁みて知っている。こんなこと「下積み」でさえない。ここで書かされる記事内容は早晩誰も見向きもしなくなることばかりなのです。ダイエットの効果的方法だとか流行りの石鹸だとか人気俳優の離婚騒動だとか。そんなものばかり。バルザックの「人間喜劇」についてなど間違っても書かせてはくれない。そんなもの金にならない。だいたいネット愚民の大半は文学など読まない。だから大半の記事には何の独自色もない。文章も人工知能が書けそうなものばかり。主に広告収入を稼ぐためだけに作られる「流行記事」に過ぎないから、却って独自色など持たせてはいけないのだ。グーグル検索でヒットしやすいワードを散りばめたそんな低単価の糞記事を真面目に大量生産している底辺ライターが世の中に沢山生息しているということは、知っておいて損はない。そしてその底辺ライターの記事を束ねてそれなりの広告収入を得ている階層があることも、知っておいて損はない。さらにそうした大量の底辺ライターのなけなしの報酬から高率の手数料をもぎ取るなかで日々利益を上げ続けているクラウドソーシング会社の「賢さ」も、知っておいて損はない。これは恨み節ではなくて、ただの報告。当事者だった人間による記録です。

いま、日本中の底辺ライターの身辺雑記を集めるといいかもしれない。そしてそれらを編纂したものを「底辺ライター残酷物語」と題し後世に残すのはどうだろう。クラウドソーシングという一見華やかなサービス事業の陰に一体どんな人々がもがいていたのか、使い捨てられてきたのか、キーボードをたたいていたのか、文字記録に残しておく価値はあると思う。底辺ライター当事者の文章だから生々しいことは請け合うけれど、文章の質は大目に見た方がいいだろうね。

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