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ダブルひとりプレー

91歳になる母方の祖父がいる。

本人に伝えたことはまだないが、アルフに似ていて、キュートだ。

「アルフ」がピンとこない方はぜひ調べていただきたいところだが、ワンクリックの動作をいかに減らすかにしのぎを削るインターネット時代において、それはあまりに手前どもの怠慢。なので説明すると、「顔と手足以外は毛むくじゃらのカンガルーとツチブタのあいのこで、つぶらな瞳が可愛らしく、声は所ジョージ。」

それがアルフ。どうです?なかなか可愛らしいでしょう?

一応、念のために、それでもまだわからない、という方は以下の写真を参照していただきたい。(世の中の技術やサービスはすべて、怠慢な人間にとってより優しい方が勝ち残っていくのだとラジオで言っていたので、早速試してみる)

見た目だけじゃなく、10個ある内臓のうち8個が胃で、小柄な割に大食漢なところや、家族の留守中に様々な騒動を巻き起こすトラブルメーカー的なところもアルフに似ていて、私は大好きだ。

そんな祖父はとても文学を愛していている。

先週、祖父が「昭和26年〜28年の文藝春秋に、どうしてももう一度読みたい記事がある」と言っていた、と母から聞き、以降何故かずっと気になっていた。その記事を探しだして祖父に渡したら、きっとどんな高級な高級車をプレゼントするよりも喜ぶだろう。
そう、既に祖父は90歳を機に、運転免許を返納してあるからだ。

そこで先週土曜日、用のついでに国会図書館へ行って探してみることにした。

ぼんやりと図書館まで歩いていると、ふと、これってとても「孝行っぽい」のでは、、、ということに気づいてしまった。
というより、内心ほんのり気づいてはいたのだが、ごまかしきれなくなって、確信に変わってしまった。一旦気がついてしまうともうだめ。ナチュラルにできない。どこからどう見ても、自分が「孝行する孫娘」に見えてしまう。
要所要所に立つ警察官にも「お務めご苦労様です。わたくし、祖父孝行のため、これから国会図書館へ行ってまいります。」と敬礼した(心の中で)。

しかも、きっとこの類の孝行は私しかやらないだろうという自負があった。
祖父の子である私の母や叔母は、もっとリアルで地に足ついたインフラ整備のような孝行を。他の孫たちは、ひ孫の存在を見せてあげたり、ちゃんとした大人になりましたという安心感提供型の孝行を。

そのどれもを提供できない、人間としてアン・マチュアーな私は、こういう雑務的な孝行の担当が相応しいのだ。
悲観している訳でなない。任命されたからには、職務を全うしたい。

古い文藝春秋は、すべてデジタル化されていた。
パソコンの画面には、私には馴染みのない当時の見出しや広告が映し出され、暫く見入ってしまった。

我にかえり、「さて探そう」といっても祖父から提供された情報があまりに乏しいことに、ようやく気がつく。
こんなとき、「おじいちゃんが読みたい記事」と無邪気に検索できればいいのに。私のような怠惰な人間のために、テクノロジーがより一層の進化してくれることを心より願ってしまう。

そこで母に電話し詳しく聞いてみると、戦争中に祖父が個人的に体験したある出来事が、祖父と同じ部隊にいた人物で後に作家となった人の小説の中に克明に書き記してあり、それを目にした時にとても嬉しかった、とのこと。そしてそれが「確か昭和26年〜28年で、おそらくは暑い季節だった(...と思う)」とのことだった。作家の名前も忘れ、何年かも定かではなく、おまけに「暑い季節」。これが一番危険だ。発行月じゃなく、たまたま読んだのが暑い季節だった可能性も高い。何しろ91年使ってきた脳みその65年以上前の記憶だから、もはや蜃気楼レベルだ。

詳しく聞かずにここまで来た私も私だが、若干クラクラした。
だがしかし、同時に、高揚もしていた。

「なんて難易度の高い依頼だ…」

そう、この感じ、「探偵ナイトスクープ」じゃないか。
私が最も好きなテレビ番組のひとつだ。

依頼者=私、探偵=私。

完全自己完結型の今回の依頼は、本家の番組とは構造が少々異なるが、そんなもの、この番組の醍醐味からしたら大したことではない。これは浪漫だ。急に張り切る自分がいた。

愚直に1ページずつ読み進めていこうとしたが、ちょっとした旧漢字や慣れない文体、容赦なく画面から浴びせられるブルーライトがリズミカルに読み進めようとする私の行く手をはばんだ。手強い。

でも仕方がない。いきなり解決しては、ドラマなんか生まれない。想定の範囲内だ。こういう時、本家ではだいたい、別の方法を試すのが定番。

私は「目次」のページから、「それらしい」タイトルを探すことにした。
だが、そうすると「それらしい」ものだらけに見えてくる。
人間の脳は自分が見たいように補正しながら対象を捉えると何かで聞いたことがあるが、まさにそれが起こってしまっている。
私のイマジネーションもたいしたものだなぁ、などと妙に感心しながらも、万策尽きてしまった。早い。

困ったことに、こういう時に力を貸してくれるプロのアイデアもないのだ。
ひとりプレイの辛さを噛み締めていると、ちょっとだけ冷静になってきた。

ひとまず、昭和26年〜28年の6月〜9月号と夏の増刊号の「目次ページ」をすべてコピーした。
この中に祖父の記憶を引き出す何かがもしあれば、今回の孝行プレイ、探偵ナイトスクーププレイはどちらも大成功だ。

近々、この目次を持って祖父に会いに行ってこようと思う。

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