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自宅謹慎の日々

以前の記事で、私は事もあろうに、沢木耕太郎のエッセイはつまらないと書いてしまい、ただいま猛省している最中なのである。私はとても失礼な男なのだ。お詫びの気持ちから、自宅謹慎の上、ひたすらに読書隠遁すべくじっとしている、というのは嘘で、まあ年度末に来て余った有給休暇を消化すべく、自発的に休んでいるだけなのだけど、ヒマさえあれば、まあいつも十分ヒマなんだけどタブレットで「ドコモのdマガジン」を開いては、いろいろ雑多な雑誌をパラパラと、いや人差し指スリスリとめくって読んでいる。

自宅謹慎 → 朝6時起床 → 妻と朝食 → 妻を会社まで送る → 自宅に戻る → タブレットでdマガジン → マクドナルド → 昼寝 → タブレットで電子書籍 → 妻帰宅 → 晩ご飯(お酒)→ 風呂入って寝る

ほとんどヒモですね。最低男です。

そんな毎日だからいろいろな雑誌を読むのだけれど、勿論グラビアアイドルの水着ページは必ず見る。それを別にすれば、いろんな雑誌に当然のように書かれている「エッセイ」がどうしても気になってしまって、結構読むのだ。それらエッセイの書き手の方は別の確固とした職業を持っていて、例えば作家であったり演出家であったり芸術家であったり、エッセイは多方面で活躍している人の世界観を「直接的」に表現しているから面白いのである。
最近面白いと思うエッセイが二つあるので、今日はそれを書きたい。
一つは「週刊ポスト」に連載されている戌井昭人「なにか落ちてる」である。こいつは楽しめる。字数が少ない(4段組の1ページ)だけにネタがははっきりしていて、こちらに話しかけて、それを口述筆記しているような彼独特の文体と相まって、読んでいてそのうち自然に笑う。今週号はパンチラのお姉さんを見ていて看板に激突した話だが、戌井さんは最後にはその女性はパンチラで人類を滅亡に向かわせているのではないかとシメている。東陽片岡のイラストもいい。
もう一つはライバル誌「週刊現代」に連載中の酒井順子「気付くのが遅すぎて」である。この人の文章は、女性目線もありやさしい文章のなかに笑いのポイントも埋め込まれていて、食いつきやすい。先の戌井さんのような能動的な面白さはないけれどなかなかどうして、なるほどと唸らせる。
さて週刊現代3月17日号では酒井順子さんが、温泉地の大きなお風呂に入ったときの話として、温泉マナーとインバウンドの皆さんたちの「ふるまい」の関係について書いているのだが、興味深く読ませてもらった。私の書いた前回のnote記事で、ちょうど国際通りを埋め尽くすアジア系観光客について書いたばかりなので、タイムリーに興味を引いたのだ。
酒井順子さん、他国の女の人がマナーを守らず好き勝手に風呂に入る姿を見つつも、自分も現地のおばさんに聞かなくては分からない「泥湯」の入り方を例に、最後には、ちゃんと指導をしなくてはね、と、うまくまとめている。訪日観光客とのお互いの文化の違いを理解しつつ、マナーを守って貰うと言うことが、実はなかなか難しい問題だし、これからの日本人に大切な事なんだと納得。

あ。つまんないですか。駄文になりました。なんかほんと、すみません。ホントはポテチ次郎の「アーユーハッピィ?」が一番楽しみなんです。