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NHK取材班「責任なき戦場 ビルマインパール」を読んで

「週刊現代」3月31日号No books No lifeでは古谷経衡(ふるやつねひろ)氏の「我が人生最高の10冊」を紹介している。
私は彼の推薦している書名を見て、誠に失礼ながらヒャッホー!嬉しくなってしまった。私の推し分野そのものだからで、そこには太平洋戦争というわが国の歴史史上最大の失敗に関する書籍が並んでいたからでもある。古谷氏は、太平洋戦争における日本軍、とりわけ軍首脳が行った作戦の持つ本質をいくつかの本を示しながら分析していて意味深い。こうあって欲しいという「強い願望」たとえばこの島嶼とうしょを占領支配すれば、この敵補給路を断ち切ればなどの「強い思惑」などが、敵味方双方の冷静な戦力状況や情勢分析なしで、勝手に一人歩きしてしまうと指摘している。すると輜重しちょう(補給線のこと)が弱くても制空権制海権、敵情勢など情勢分析が曖昧でも、日本軍得意の奇襲攻撃を繰り返せば、つまり「頑張れば何とかなる」として作戦が実行されてしまう。そして現実的な反対意見や作戦中止の具申を「腰抜け、弱気、おじけづいた」と一蹴に伏してしまうパターンが、日本軍中央を被覆していたと指摘している。
古谷氏はその分析結果を現代社会へ投影させ問題提起していて、そんな彼のライフワークから推された本として、記事の中で6冊を挙げている。中でも私が注目したのは、沖縄戦において参謀をつとめた八原博道「沖縄決戦」、そしてNHK取材班「責任なき戦争ビルマインパール」だ。
3月末頃、私はちょうど高木俊朗の「インパール」を読み終え、NHK取材班編「責任なき戦場、ビルマインパール」を読み始めていたときだっただけに、古谷氏の一文をみて、あまりのタイムリーさに驚き、嬉しくなってしまったという訳だ。
私は数年前から、敗戦後に日本の戦争責任を問うたA級戦犯ではなく、敵国の捕虜や民間人に対する日本兵の虐待殺害などを裁く「BC級戦犯」がどう裁かれたのかに興味を持ち、関連書物を読み進めてきた。その途中で勉強の方向が戦争そのもの、なかんずく敗戦が濃厚となってきた昭和18年以降の戦いへと絞られて、そのなかで日本が、日本軍がどう戦い、敗北や失敗の原因は何だったのか、どれほどの大きな犠牲を払わなければならなかったのかを調べ始めたのだ。
太平洋戦争を、悲惨な戦いと言う観点から見ると、昭和20年4月からの沖縄戦がその最たるものだといえるが、もう一つの大きな戦いがこのインパール作戦であっ私は私は既に何冊かの本を読み、この作戦の「悲惨さの特異性」を知ろうと勉強しているところだ。太平洋戦争の、特に後半を調べることは古谷氏と同じように私にとってもライフワークとなっている。ただここで肝要なことは、この戦争は大昔の中世で起こった歴史上の逸話ではなく、私たちの父親や祖父が確かに関わっていた、同時代を生きていたという厳然たる事実だ。あと10余年で実際に戦争に行った人(語り部)たちが日本からいなくなるという事実でもあり、もっと言えば本の中で登場する兵士や将校たちの名前はすべて実名で、勇敢に戦った者はよいとしても、卑怯者、腰抜け少佐などと書かれた人たちの家族や御子孫が今も生活していらっしゃると言う事だ。彼らの心中を察するとさすがにつらいものがあるが、この戦争を見つめ直すという事は単なる過去を探る歴史学ではなく、ほぼ同時代に起きた悲惨な出来事から、次の世代に伝える何かしらのポイントをあぶり出す作業なのだ。
さて、ここで為政者の責任論について書くことは、高政治的であり、このnoteの持つ方向から逸脱するので控えるが、この本「NHK取材班責任なき戦場」のなか「二人の中将」と言う項で書かれていた文を引用して、noteに集まっている諸兄に、あなたの会社組織ではどうなのだろうと問いたいと思う。古谷氏も同じ事を考えているのだろうし私も強く同感するからだ。

牟田口司令官が(インパール作戦つまり東部インド侵攻作戦を21号作戦その後ウ号作戦という)飯田司令官に意見を聞かれて「実行困難」と当初反対意見を述べた事について、牟田口司令官が後年語ったのは(ここまでこの記事の筆者)「21号作戦は飯田司令官の私案だと思って反対したのだが、南方軍ひいては大本営からの作戦指示だと知って、改めて自分が述べてしまった消極的意見を後悔し、できる限りの準備を進めようと考えた。作戦の中身そのものの是非論で言えば反対だが、組織の論理では「出来ない」ということは許されない」というわけである。この考えはきわめて日本的である。政党や官僚、企業と言った組織の中に蔓延している不変の価値観である。永い間日本人は、この価値観を目一杯使って国を興してきた。諸外国から見ればとても不思議である意味では驚異とさえ思えるこの価値観は、間違いなく日本の大きな特徴である。しかし、このために取り返しのつかない様々犠牲が出た。インパール作戦の失敗もその一つである。

一つ話を加えるなら、この的確な分析をNHK取材班はどうして社内の風土として改革し構築できなかったのかと言うことだ。昨年明るみになった2013年NHK女性記者過労死のニュースを思い出す時、そんなことも考える。