どうしようもなく息をしてみたくなった
<はじめに>
このブログはUNISON SQUARE GARDENの楽曲『もう君に会えない』が初公開されてからのことを、聴く前・聴いた後・ライブ当日の感想を記録したブログです。ライブの感想が2割、自己開示が8割くらいの内容となります。なお、このブログは実在する人物や故人に対して、個人的な見解や感想を述べております。ご了承ください。
♢
「かつてないデットヒート極まってしまった」
ボーカルの声が会場に響き渡り『カオスが極まる』の演奏が終わった。
新曲『いけないfool logic』の初披露の後に『カオスが極まる』が続けざまに演奏され、この時すでに会場のボルテージは最高到達点に達していた。
それと同時に、彼らの曲が止んだ。
比類なき曲繋ぎで魅せる彼らのパフォーマンスは、すでに万人の知るところではある。
それが止み、曲間に入った。
体感的には一瞬であったが、思い返せば、開演からすでに数曲以上が演奏されていた。
場面は終盤へと移り変わろうとしていたのだ。
わたしは振り上げていた右腕を降ろした。
暗くなった会場。
誰も声をあげない静寂だけがまとう空間に、ペットボトルのプラスチック音だけが四方八方で木霊していた。
できる事なら、周囲の観客と同じように乾いた喉に飲料水を通したかったが、わたしの中には、すでに口渇を忘れるくらいの予感が渦巻いていた。
「••••••」
来る、と思った。
息をのんだその時、暗闇の中で、たった一つのスポットライトがボーカルだけに向けられた。
先ほどまでの華美な発色とは正反対の、橙色のやわらかな光。
わたしは、あの灯の色に見覚えがあった。
灯篭の光だ。
彼の右手のピックは握られたまま動かない。
マイクを通して、短く息を吸った音が聞こえた。
間も無くして、彼は1人、歌い始めた。
その瞬間わたしは、もうこの世界にいない知人のことを思い出していた。
♦︎
『もう君に会えない』を初めて聴いたのは、DORIP TOKYOが企画するライブ映像を視聴した時だった。
遠く昔の出来事のように思えるが、映像が公開されたのは2023年の1月末と、意外にもまだ今年の事である。(※1)
1曲目に『シュガーソングとビターステップ』が演奏され、そのあと、その曲は演奏された。
演出か逆光なのか、映像全体がほの暗くなり、細身な彼のシルエットだけが画面上に黒く映った。
表情もよく見えないまま、耳に届いてきたのは「彼女が消えちゃった日」という歌い出しの言葉だった。
その言葉を聞いた瞬間、わたしは耳を疑った。
あの田淵さんが、彼女たちの事を曲にした・・・。
そういう話題からは最も遠ざけたいと考える人ではなかったっけ・・・?
最初に思ったのは"これはユニゾンの曲ではない"ということであった。
もちろん、語弊はある。
疑いようも無いほどに、ユニゾンの楽曲ではあるのだが、曲の背景が彼自身の身に起こった出来事を克明に描写していたので、そう思ってしまった。
彼がユニゾンという媒体で彼自身の曲を残してきたのだ。
歌詞の内容は、紛れもなく、彼女と彼のことである。
異例だった。
画家、音楽家、小説家、、、全てのクリエイターにとって、世に出す創作物というものは自身の人生を刻むようなものであると思う。
バンドがアルバムを出す意義については、すでに彼の口から多くのメディアで語られている既知の事実ではある。
それらを前提として考えるのであれば『もう君に会えない』が"わざわざ"アルバムに収録されたということは、彼の人生の中でアルバムに刻むべき重要な決断があったからなのだと、とらえるほかなかった。
なぜこのタイミングで・・・?
ユニゾンで・・・?
わたしが腑に落ちない感情になった理由は、少し前の事である。
♦︎
2021年9月、彼がプロデュースしている声優ユニットのDIALOGUE+が1stアルバムを発売した。
収録曲3曲目に『ドラマティックピース!!』という楽曲がある。
作詞・作曲のクレジットは田淵さんであるが、本来ならば津野さんが作詞をする予定であった曲だ。
以前、DIALOGUE+関連コンテンツで、作詞者が変更になったことについて彼の口から説明があった。
ほんの一言、二言の、コメントに近いわずかな言葉であったと思う。(※2)
それでも彼の発した言葉の中には「津野ちゃん」という単語があった。
その言葉を発した際の彼の表情は平常心に近いというか、いつもの彼そのものであったように感じた。
平常心を装っていたのか、平常心だったのか・・・。
わたしは、その表情から彼の真意をくみ取ることはできなかった。
その理由は、DIALOGUE+1発売から1年前の、2020年7月。
当時、ユニゾンの機材車ラジオというラジオ番組が放送されていた。
その時の楽曲紹介で、彼は赤い公園の『KOIKI』という曲を絶賛していた。
『KOIKI』の歌詞について「津野ちゃんに"だって小粋でいたいのだ"っていう歌詞は"声聞いていたいのだ"とかけているんでしょう?ってきいたら”いやそは普通に小粋です”って言われたんだよね」というエピソードを話していた。
そのラジオでのエピソードから1年後。
2021年7月にDIALOGUE+の定期公演ライブが開催。(※3)
『ドラマティックピース‼︎』が初披露された。
メンバーの1人である緒方さんが「小粋でいたいじゃん!」と歌いながらカメラに映り込んだ瞬間が印象的であったのを覚えている。
ラジオ番組で彼自身が『KOIKI』を絶賛していたこと、歌詞の一部である「だって小粋でいたいのだ」と似た表現で「小粋でいたいじゃん」という言葉が、ドラマティックピース‼︎』に使用されていたこと。
また、楽曲の初披露の日。
『ドラマティックピース‼︎』の披露後の曲が『Domestic Force!!』(津野さん作詞曲)であったこと。
これらのことから『ドラマティックピース‼︎』のリファレンス楽曲として『KOIKI』があったことが想定され、ファンの間でも噂となった。
そして最後の歌詞。
『ドラマティックピース‼︎』自体、女の子が自分らしく生きることを表している楽曲であるのだが、ラスサビに限って「生きたい!生きてやりたい!生きてやったって舌出したい!」と、唐突に歌詞の雰囲気が変わる。
生死感の歌詞が入る。
彼の楽曲としては特別珍しいわけでもない。
女の子が「私らしく生きたいのだ!」と決意する歌詞として受け取ることもできるし、その一方で、田淵さんから津野さんへ向けたメッセージであるようにもとらえることができた。
「生きたい!生きてやりたい!生きてやったって舌出したい!」
作詞を担当するはずであった彼女に対して、彼らしい解釈を織り交ぜた言葉選びであると思った。
楽曲に色濃く残る津野さんへの想いと、その一方でどこか平常心のようにも見える、相反する言動。
不思議ととらえるよりも、この時のわたしは、彼のことを"強い人"だと思っていた。
むしろ、楽曲に織り交ぜたり、彼女のことを語れる気持ちの余裕があるくらいは、少しずつ回復しているのかもしれないと、少しだけ安堵していたのだ。
だから、垣間見える彼の彼女に対するとらえ方が、前向きな方向性に向かいつつあることに安心したし「彼はきっと大丈夫な人」と思っていた。
それが2021年7月から2023年1月のまでの、約1年半のこと。
『もう君に会えない』が発表されるまでの、わたしが彼に感じていた印象の話。
♦︎
けれど違った。
そもそもメディアに見せるわずかな言動だけが、彼の本心であると、とらえていたことが自体が大きな間違いだった。
スペースシャトル・ララバイの2Aの歌詞は、昨今のSNSに対する言葉だと、田淵さん本人からすでに明示されている。(※4)
SNSを利用する人々に対し、心の奥底にある「本音」を『本当のことをみんな適度に隠してるから』と呼ぶように、彼自身もまた、メディアに出す言動が本音であるはずがなかったのだ。
平常心であるはずがなかった。
『もう君に会えない』によって彼の思いを聞いた時。
本当はずっと空しかったし、それを誰かに知って欲しかったんだ、と気づいた。
本音はわからない。
けれど、そう思ってしまった時、わたしは大声で泣いていた。
咽び泣きに近かったと思う。
彼の「空しい」という具現化された言葉に触発されるように、私は当時の昔話を思い出していた。
♦︎
どういうわけか昔から、隣人の死別にあうことが多かったように思う。
先生の事故死。
他殺による旧友の死。
同居していた知人の自死。
10代は色々な事があった。
言うまでもないがどの人もわたしにとって大切な存在だった。当時は傷いたし悲しかったし、それ以外の感情もたくさんわいた。
けれど、どれも10年以上も前の事であるし、そのひとつひとつに、今さら取り乱したりする時期でもない。
消せはしないから過去は過去で、事実としてぽんっとそばに置いておくだけで良かった。
だから、これは彼の曲であってわたしの人生ではない。
切り離して聞く予定だった。
けれど彼の表現した「空しい」という言葉が否応にも感情を揺さぶってきて、好きだったアーティストがいなくなってしまった当時の気持ちと、残された側の気持ちが重なってしまい、どうしようもなく涙が出て止まらなかった。
自死した知人。
知人というより義父かな。
いや、母と入籍していたわけではなかったから義父と呼ぶにはおこがましいだろうか。
なんとも呼び方が難しい・・・やはり「知人」とする。
家族の再構築が始まって数ヶ月。
一緒に暮らしていたけれど、色々な事が重なって知人は何も言わずにこの世からいなくなってしまって、わたしと母だけが残った。
彼のことを知っているのはわたし達だけだったから、残された者同士で気持ちが共有できればよかったのだけど、母はショックで語ることを拒んでしまって、いつの間にかこのことに触れるのが禁句になってしまったんだよね。
わたしもわたしで20歳で就職と一人暮らしが始まったから、忙しくなって出来事を放置してた。
母のこともひとりぼっちにしてしまった。
だから、分かり合える人がいなくて、自分のこの気持ちを振り返ることをないがしろにしたまま、気づけば10年以上が経っていた。
田淵さんにとって、もしかしたらずっと一緒に音楽をすることができたかもしれない友人は、わたしにとっては、もしかしたらずっと一緒に暮らすことができたかもしれない知人で、その距離感は、同じ関係値であるように思えて仕方なかった。
彼がこの世からいなくなろうとしていたその瞬間、私は高校で授業を受けていて彼のことを考えていなかった。
どんな季節にも彼がいた面影を感じるし、脈絡のない場面でふと彼のことを思い出していた。
救いの手を差し伸べて欲しかったのは彼の方だとわかっていても、わたしは、辛い気持ちのあの時のわたしを誰かに救って欲しかった。
曲を初めて聴いた時、最後のサビに入る瞬間がもっとも緊張していた。
なんと言ってもあの田淵さんである。
ポジティブシンキングの代名詞みたいな彼のことだから「でも前を向いて生きる」とか、そんな前向きなニュアンスの歌詞が曲の最後に書かれていたらどうしようかと思った。
曲が終盤に差し掛かるほど聴くのが怖くなった。
けれど、最後の歌詞は『ああ空しさは続くもう君に会えない』だった。
その歌詞を聞いた時、わたしはとても安心した。
何年経ったって、空しさは続くし、消えない。
空しいという気持ちを無理に乗り越えようと気持ちを改めたり、置き換えたりしないで、空しさは空しいまま、ただ在り続けるだけ。
それを曲の最後に言い残してくれたとわかったとき、蜂の巣みたいだったわたしの気持ちが少しだけ報われた気がした。
ありがとうって思えた。
曲を聴き終えて、たくさん泣いて、しばらく経ったあと、わたしは自分の感情に気づいたことがあった。
本当はずっと空しかったし、それを誰かに知って欲しかったんだ、と。
これに気づけた瞬間、自分の心が軽くなった気がした。
わたしは「空しい」という気持ちを誰にも言えずに何年も時が過ぎた。
それがある時、偶然にも、ずっと好きで聴いていたアーティストの1人が、似た境遇、似たような気持ちを持っていることを知った。
似ているとは書いたけど、別々の人間なので完全に同じとは思っていないし、そういう括りで彼の気持ちを自己都合でまとめてしまうのは良くない。
あくまでわたしの主観と一方的な共感であり、似て非なるものである、ということには留意したい。
けれど、たとえ一方的であっても、わたしがずっと閉じ込めていた「空しい」という感情に対して彼がはじめて理解者になってくれたことだけは事実だった。
直接伝えたわけじゃないのに、気持ちは「知ってもらえた」という充実感でいっぱいだった。
たまたまわたしはユニゾンが好きで、たまたま好きの気持ちが途切れず10年近く聴いていて、たったそれだけだったのに、年数が経ちすぎて自分の空しい感情に感じようともしない石化寸前の本音が、彼の曲で救われた。
どこかでユニゾンに飽きちゃって、音楽を聴くこと自体が継続していなかったら、2023年のこの曲には出会っていなかったし、わたしの空しい感情はずっと押し込められたままだった。
今思うと、ゾッとする。
すべて偶然だけど奇跡みたいだと思った。
田淵さんに対する感謝の気持ちもいっぱいだけど、音源化に至るまでには彼1人の意思だけでは実現できなかったことだと思う。
斎藤さんや貴雄さん、スタッフの方々、わたしの知らない関わってくださったすべての方に感謝している。
UNISON SQUARE GARDEN。
『もう君に会えない』を歌ってくれてありがとう。
♦︎
この曲を聴いたあと、わたしが過去の自分の気持ちに整理がついたように、彼がこの曲を作って世間に明示していくことで、気持ちが昇華されたり受容が進んだり、彼自ら、生きるプロセスを意図的に作り上げようとしている、と感じていた。
アルバム収録曲である由来もそこにあると思った。
アルバム収録曲であるということは、その曲を背負いながら全国ツアーをめぐるということでもある。
彼自身の気持ちをツアーという形で全国に表明するため。
はじめから、彼にはその覚悟があったと思っている。
時折「田淵は大切にしてる曲ほどライブでやらないから『もう君に会えない』はセットリストに入らないよ」という声を聞いていた。
どういう気持ちで受け止めていいかわからないから、できればセットリストにない方がいいという純粋な意見もあった。
前者に関しては、わたしはちょびっとだけ反論したい気持ちがあった。
ちょびっとね。笑
大切にしてる曲ほどライブでやらない、というのは長いことユニゾンを聴いているファンならごく自然に想起することだと思う。
現に『お人好しカメレオン』という曲が、音源化されてから一度もライブで演奏されることなく、リリースから6年後の『プログラム15th』という結成15周年記念ライブで初演奏されたという事実がある。
けれど、6年間演奏されなかった曲がある事実=ユニゾンは大切な曲ほどやらない、には結びつかないのではないかと思う。
むしろ15周年記念ライブでやることに意義のあった曲だからそれまで演奏されなかった、と考えることができる。
その曲が『お人好しカメレオン』で、15年目にやる意義があったから、それに合わせたら、たまたま6年経っていた、とか。
大切な曲は長い間やらないのではなくて、やる意義のある曲を最適解と思われるタイミングでセットリストに入れると考える方が、彼っぽい感じがする。
例えそれが、明日でも10年後でも。
なので『もう君に会えない』に関しては、必ずツアーでやると思っていた。
TOUR "Ninth Peel" nextは10月からツアースタート。10月は津野さんの誕生月であり、命日のある月だった。
10月から始まるツアーだからこそ『もう君に会えない』をセットリストに入れる意義があったのではないかと考えていた。
クイズに関しても、そう。
Ninth Peelクイズで「『もう君に会えない』は実在するモデルがいるYES or No」というクイズが公式から発表されていた。センシティブな内容だったために批判もあったかと思う。
わたしも最初は驚いて「企画とて、いくらなんでも・・・」と思ったりしたけれど、後日そのクイズが本人作成だと知ると、見え方はかわった。
クイズを作った他ならぬ彼が、周囲にきちんとした事実で伝わって欲しいと願っている気がした。
曲を聴いたすべてのユニゾンのファンが『もう君に会えない』の宛先が誰であるのか、明確に解答できるわけではないだろう。
その背景を知らないファンも当然いるはず。
あえてクイズを作成することで、関係性を全く知らない人でも「ん?」と考える内容にし、人によっては事実関係を調べたり、そこから本来の意味と背景を繋げていこうとする意図があったのではないかと思った。
「ライブは自由に」
「一緒に存在できるなら解析でもなんでもしてくれ」
常に楽しみ方や解釈は聞き手に委ねるスタイルだった彼らが、この曲に関しては予習的であり、少しでも曲の背景をわかった上で聞いて欲しいと言われている気がした。
それは同時に、彼が「他のあれこれと同じにされていい曲」ではなかった強い気持ちの裏付けともとらえることができ、当時は想像するだけでとても胸が苦しくなった。
♦︎
では、セットリストに入ったことも、クイズがあったことも、彼個人の昇華や自己受容のために行われた儀式の1つだったのかと言われると、決してそうではない、とわたしは思いたい。
『もう君に会えない』を初めて聴いた、DORIP TOKYOの配信。
感傷的になってしまい、混乱した状態の中で映像が頭に入ってこなかった瞬間でも、わずかに訴えかけるように聞こえてくる言葉があった。
それは『もう君に会えない』の後に演奏された2曲。
自分が呼吸をしているのかもわからないくらい空しくなるような日々だけど、もし万が一、君も同じように死にたくなる瞬間があったら、どうか僕の手を握って欲しい。
助けられる保証はないけど、君だけの声はちゃんと聞こえている。
虹のように輝くそんなたいそうな幸せがなくたって、小さじ一杯のカラクリによって生きることはできる。
君がそれを信じてくれたら、太陽のある“こっち”の世界で僕自身も生きていけるから。
なんだか、そう言ってるように聞こえた。
空しいという感情はずっと居座り続ける。
減りもしないし小さくもならない。
けれど、そういった喪失感のみを歌にして伝えたいわけではなく、もし同じくらい死を考えている人がいたら、どうか思いとどまって欲しいという彼からのメッセージだと思った。
辛いのは当事者である彼本人であるはずなのに、最後には同じように苦しむ人に向かって、手を差し伸べている。
「彼はやっぱりどこまでも彼らしいな」と思って・・・わたしは泣きながら、でも気づいたらほんの少しだけ笑っていた。
彼が自分のためだけに曲を書いたわけでない、という仮説で考えたら、当初抱いた疑問もすべて解ける気がした。
最初は
なぜこのタイミングで・・・?
ユニゾンで・・・?
と、ずっと疑問だったけれど
今考えれば、ユニゾンの曲だからこそできることはたくさんあると思った。
『10% roll,10% romance』→『君の瞳に恋してない』のように、文脈のあるセットリストを構成するにはTHE KEBABSでは難しいと思われるし、彼自身の出来事を、彼がプロデュースするDIALOGUE+が歌うのは道筋が違う気がする。
それに、赤い公園やヒトリエと同じ土台で演奏してきたのは他ならないユニゾンである。
何もユニゾンのファンだけに向かって、曲を作っているわけではないと思う。
ユニゾンとして発表するということは、公のルートを介して、彼女、彼らと関係があったバンドメンバーの人にも「僕はそういう気持ちである」ということを伝えられる。
わたしがそうであったように、空しさというのは分かち合える。
当事者が共有する事で支え合うこともできる。
もう誰もいなくなってほしくないと、同業者に向けて言っているような気もした。
またメッセージをより多くの人に伝えるという意味であれば、ユニゾンという母体が最も多くの公演数で全国を回れる可能性が高いし、そのぶん多くの人に言葉を届けることもできる。
だからこそユニゾンで曲を書いた。
(と、わたしは思った)
今までのユニゾンの作風からしたら異色であることは間違えないが、もはやそういう価値観ではないように感じた。
残された人間だからこそ伝えられるメッセージを伝えるために、彼は動き出したのだと思った。
DORIP TOKYOでは『シュガーソングとビターステップ』も演奏された。「死ねない理由をそこに映し出せ」と歌うように、ライブに行けば、彼の指し示すその理由に出会えるような気がしていた。
2023年11月7日。
TOUR "Ninth Peel" next 公演当日。
わたしは彼の覚悟をみるためにライブ会場に足を運んだ。
♢
「••••••」
来る、と思った。
息をのんだその時、暗闇の中でたった一つのスポットライトが、ボーカルだけに向けられた。
そのオレンジ色のスポットライトは、灯篭の光のようにあたたかな光に感じた。
右手のピックは握られたまま動かない。
マイクを通して、短く息を吸った音が聞こえた。
間も無くして、彼は1人、歌い始めた。
『もう君に会えない』が演奏された。
斎藤さんの歌声はとても丁寧だったように思う。
上手いとか、綺麗とか、そういうのじゃなくて、丁寧。言葉ひとつにひとつに想いをのせるように、触れたら割れてしまいそうなガラス細工のように、歌もギターの音も繊細な響きを保っていた。
貴雄さんは静と動を使い分けて感情的な音を鳴らしていた。言葉を持つパートではない貴雄さんが鳴らす音は、時に言葉以上に揺さぶるような情心を与えてくる。
田淵さんは、冷静に、演奏しているように見えた。少し意外だな、とも思ったけれど、悲しいといった感情を全面に打ち出して"表現"するのはライブにおいては2人に任せているような印象もあった。演者としての立ち振る舞いを全うしているかのように見えたし、どこか経過的にもとらえられた。
わたしの意識は、ライブ空間だったり、過去の思い出だったり、行ったり来たりをしていたように思う。
曲中、幾度となくおとずれたあの感情がさざなみのように押しよせてくることもあったけれど、わたしは波打ち際で待って、きちんと受け止められていたと思う。
その空しさは、はじめて曲を聴いた時ほどの痛烈なものではなくて、演奏をしている彼と感情を共有しているような不思議な気分だった。
また、ステージに立って曲を演奏していること自体が、彼のプロセスが少しずつ進んでいる証拠のように思えて、彼に対して応援に近い気持ちを抱いていたように思う。
一番悲しかった頃よりも、お互い少しだけ進んでいるような。
そんな感じだった。
『ドラマティックピース‼︎』を初めて聴いた2年前、わたしは彼のことを"強い人"だと思っていた。
『もう君に会えない』を聴いた時、そうではなかったと思い至った。
けれどやっぱり今は・・・彼のことを"強い人"だと思う。
この”強い”の意味は、当初感じたものとは違う。
わたしは、母が考えることや気持ちを吐き出すことを拒否したから母と同じように生きた。
不安定な母を責めたら、今度は母がこの世からいなくなってしまうと恐れていたから。
でもそこで諦めてしまうのではなくて・・・いつだって、話し合ったり分かち合おうとすることはできたはずなのに、母を、わたしがいつまで経っても動こうとしない理由に仕立て上げて、自分の気持ちを押し殺した。
何も解決しようとしない甘い自分と、すでにステージに立ち、進み出している彼。
比較した時、やっぱり彼は本当の意味でとても”強い人”だと思った。
そして、その彼の強さによって救われた人間がここいる。
曲を聴いたあと、わたしは、彼と、ユニゾンに拍手を贈った。
♢
再び会場が真っ暗になり静けさで満たされていった。
わたしは『もう君に会えない』を無事に聴けたことに安堵していたし、見届けられたこと少しばかり嬉しく感じていた。
いつの間にか、熱気を帯びていた会場の空気は冷たくなっていて、その空気の違いを肌で感じながら、わたしは次の曲をまった。
DORIP TOKYOの時のように、彼からのメッセージが来ることを心の端っこで期待していた。
いや、願っていた。
そして、それは聴こえてきた。
♢
ライブ中に感じた彼からのメッセージを記していこうと思う。
とらえ方は人それぞれだと思うけれど、わたしの場合はこんな感じ。
『もう君に会えない』→『夏影テールライト』→セッションを挟んでの「ミレニアムハッピー•チェーンソーエッヂ』では、回想と生死感についての声が聴こえた気がした。
ふとした瞬間、君の声が頭の中で聞こえてきて何回もループする。
その声に近づきたいけれど、君はもういない。
こんな世界では、死にたくなってしまう。
けれど、どうせいつか人は終わるもの。
ならば死にたくなってしまう"今"も、どうせいつかは終わるもの。
だから、毎日をちゃんと諦めないで欲しい。
そして『フレーズボトル•バイバイ』→『スペースシャトル•ララバイ』の繋ぎでは諦めないための方法を。
今夜も楽しかった!
忘れられない日になったね!
忘れたいくらいのこの空しい気持ちは、忘れられないくらい楽しかった思い出の裏返しでもある。
楽しかった過去の思い出を忘れないこと。
今日みたいな楽しい、新しい1日を忘れないこと。
それを繋ぎ続けることが、人生を諦めないための理由にならないだろうか。
信じられないよね、はりぼてみたいな、これが世界だなんて?
万華鏡は、回転させることではじめて、本来の姿である、多彩な模様を覗くことができるおもちゃ。
地球も回っていることではじめて、スペースシャトルに乗って見下ろした時に本来の姿の地球の全貌が見えるもの。
回っていない地球は、回っていない万華鏡と同じで、世界の一側面しか見えていない。
死にたくなってしまうこんな世界でも、回すことさえできれば、新しい角度から見える世界がきっとあって、見え方が変わることもあるかもしれない。
生きたいと思える世界が覗けるかもしれない。
だからこそ君は、ちゃんと地球を、万華鏡を、回さなければいけない。
どうか君の手を貸してくれないだろうか。
そして、回り出した世界を見た時、僕は・・・
どうしようもなく息をしたくなって、生きてみたくなった。
万華鏡を回した時、眺めているだけでは気づけなかった万華鏡本来の造形の美しさを楽しめるように、辛い時は自分の世界を回してみることで、見えなかった世界が見えて、生きてみようと思えることもあるのかもしれない。
彼は、彼自身が回れるように「手を貸してくれ」と曲を聴いている我々に希望を託したし、同じように辛い人がいたら、君の世界を回せと言っているように聴こえた。
そして、セットリスト最後の曲。
生きてほしい!
『君の瞳に恋してない』にあった、手を差し伸べて寄り添ってくれる世界観の言葉よりも、強いメッセージだった。
わたしは、その、言葉の強さに驚いたけれど、今の言葉が、彼の言いたいことのすべてだと感じた。
『もう君に会えない』を聴いた時、どことなく"経過的"だと思ったのも、この曲があったからなのかもしれない。
今を生きるわたしたちに向けられた言葉のようにも感じられるし、彼女や彼に対して「生きていてほしかった」と思いを伝えているようにも聴こえた。
わたしは、、、
知人に、ずっと生きててほしかった。
どうしたってあまりにも、この世の中は辛いことが多すぎる。
投げ出してしまいたくなるようなことはたくさんある。
世界には生きたくても、あり得ないような確率で不遇に遭遇して失われる命もある。
あり得ないような他人からの悪意によって奪われてしまう命もある。
生きたかった人たちと、辛い思いをしていた知人の気持ちは関係ない。比較するべきではない。
けれど、生きてさえすれば、彼のことを認めてくれる世界を、一緒に見つけに行く手段もあったかもしれないと、どうしようもなく、思ってしまう。
彼が生きていける理由にすらなれなかった自分に対してどうしようもなく腹が立つし空しくなるときもあるけれど、もし仮に彼がいたら、どうか生きてほしい、と伝えたい。
ステージの上にいる田淵さんも同じように考えているのかな、なんて思ったら、少しだけ視界が涙でにじんだ。
「生きてほしい」と伝えてくれて、ありがとう。
♢
本編公演終了後は、3人ともお祭り騒ぎみたいに、感情満載に『ライドオンタイム』と『mix juiceのいうとおり』を演奏していた。
「大丈夫、まだ生きてるよ」と歌う彼ら。
自分自身にも言い聞かせるように、そしてわたしたちに届けるように。
その言葉を心底楽しそうに笑顔で演奏し続けているから、観てる間に「そうだね、大丈夫!」という気持ちになっていった。
『mix juiceのいうとおり』では、来年から始まるFC限定ライブのことを示唆する一方「ほら、生きていれば来年も会えるでしょ?」って言われてるみたいで、いつの間にかわたしは達は、彼らと約束を結んでいた。
事実を消すことはできないけれど、今日のこの感情が、明日を作る。
生きることに繋がる。
それはやがて原動力となって、宇宙に乗っかってぐるぐる「回り」始める。
全世界を見渡せたその時、右往左往しながらも、この人生を生きていきたい!と思えるようになるんだと思った。
「彼はやっぱりどこまでも彼らしいな」と思って・・・わたしは微笑みをマスクの下に隠して、会場をあとにした。
♢
今年は暖冬だったけれど、横浜はわたしの住む地域よりも少しだけ肌寒かった。
ライブ後の熱い体に、冷気をまとった海風が背中を押した。
あなたも前に進めと、海風に言われているような気持ちになった。
実際風に背中を押されたからなのか、わたしの気持ちが逸ったからなのか、わからない。
けれど、わたしの歩調は徐々に速くなっていった。
気づけば、会場を出て帰路に向かう観客の集団を抜いて、人通りの少ない道を歩いていた。
誰もいない歩道で、ふと、わたしは彼の名前を呼びたくなった。
「ーーーーさん」
小さく、彼の名前を呼んでみた。
なんとなく・・・心のわだかまりが解かれた気がした。
母に名前を呼ぶことを禁じられていたのでだいぶ時間が経ってしまったけれど、わたしは彼の名前をきちんと呼べたことに嬉しくなっていた。
いつか、母も、名前を呼べる日が来るといい。
最初は母をびっくりさせちゃうかもしれない。
けれど、ステージ上の彼ができたように、大丈夫、きっと、わたしにもできるはず・・・。
この1年間、わたしは彼の言葉にすがるように生きてきた。
けど今なら、自分の意思でどうにかやっていける気がする。
母に伝える一言目は、何にしよう。
わたしは彼のいないこの世界で、どうしようもなく、息をしてみたくなった。
<あとがき>
まず、はじめに。
このような、長いブログを読んでくださり誠にありがとうございました。
約2年間の中で感じていた気持ちを書いてみましたが、膨大な量となり読みにくかったかと思います。
最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。
来年はUNISON SQUARE GARDEN20周年の年。
彼らが20年という年月をどのように感じ、どのように表現するのか、とても楽しみにしています。
「そんじゃ終わり!ばいばいっ!」
をとら
※1
DORIP TOKYOとはSPACE SHOWER TVとJ-WAVEがコラボしたオリジナルライブ企画のこと。
2023年1月25日。DRIP TOKYOのYouTubeチャンネルとスペシャオンデマンドにて放送された。『もう君に会えない』初披露となる。
※2
DIALOGUE+スタッフ配信にて。ドラマティックピース‼︎の作詞者が津野さんから田淵さんに変更になったことについて言及されていた。
※3
DIALOGUE+定期公演フラフラ(7月)『ドラマティックピース!!』初披露公演である。その後津野さん作詞曲の『Domestic Force!!』が演奏された。
※4
Ninth Peel museum の入場特典パンフレット内に全曲ひとことコメント欄あり。『スペースシャトル・ララバイ』について「2Aの歌詞はSNS全盛期に対する言葉だったんだがラジオの人が見たら誤解されるだろうね。ラジオは好きよ」とコメントとしている。彼のSNSに対する私見が伺える。
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