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みんなのハゲ山

私が逗子に住むようになった頃、住宅地のあちこちに「ハゲ山を残そう!」という看板があって、その名前の力強さに、ハゲ山ってどこだろう?と思っていたのだけれど、あるとき保育園のさんぽでハゲ山に行ったという子どもに連れられて、初めてそこを訪れた。そしてそこが、いい意味で何もない、子どものたちの遊び場や、犬のさんぽにもぴったりな場所だということを知った。

その時うちの子は、BB弾というおもちゃの鉄砲の弾を原っぱで見つけて、たからもののように集めるうちに両手いっぱいのBB弾が集まったのもいい思い出。

芝すべりにぴったりなゆるやかな斜面と、秘密基地のある竹やぶや木のぼりのできる木。高台の原っぱから海が遠くに見える景色は最高で、天気が良いと海越しに富士山も見える。春にはフキノトウが生え、桜や椿が咲き、そうおいしくはないものの、多分鳥たちにはごちそうのオオシマザクラの黒いさくらんぼが実る。秋になればススキの根元にはナンバンギセルの花が顔を出し、原っぱには一面のチカラシバが生い茂り、冬には一面に積もった雪でゆきだるまがつくれる貴重な場所だった。

雨がふると水たまりのできるこみち

もともと高度経済成長期以前には畑かまきをとるための山だったような場所であったと思われる台地。その多くが昭和40年代から宅地開発されて住宅街へと姿を変えた中、ここハゲ山は市の要請で県営住宅地として神奈川県が買い上げて宅地造成されかけたものの、住民から反対の声があがり計画は白紙に。そのまま約40年も空き地のまま放置されていた場所で、たびたび計画が進められようとするたびに、反対の声があがってきた。私がかつて見たスローガンも、そういう反対運動のひとつだったらしい。

空き地と呼ぶにはかなり広い場所は、県が年に一度くらいは草刈りするので、木が生い茂ることもなく、ハゲ山と呼ばれるようになり、入り口には立ち入りはご遠慮くださいという案内板があるものの、多くの住民がさんぽがてら立ち寄るような場所になっていた。

県営住宅としての開発はストップしたものの利用計画が立たず宙ぶらりんだったそんな場所で、いよいよ県が土地を民間に売却すると決まったといい、市もそれに賛成しているという。けれど、住民の反応も早かった。ハゲ山を身近に感じていた多くの人から、いくつかの署名活動が起こり、あっという間に全国からも多くの署名が集まった。長年ハゲ山で気功体操をしていたお年寄り、保育園のさんぽで訪れていた子どもたち、放課後に遊んでいた児童、犬のさんぽで朝晩訪れていた犬と飼い主、今は遠くに住んでいても、かつてはそこで遊んだ人たち。世代も、時代も越えてその場を共有した人々の声と署名が集まった。

市長も招かれて行われた住民の語り合いの会も開かれた。私は市民のひとりとして参加したのだけれど、思っていた以上にバラエティに富んだ属性の、ただハゲ山を愛する人々が参加していたのに驚いたし、みんなが前を向いてハゲ山への愛を語っていたのが印象に残った。

私も何かできることがないかと描いたのがこの絵図。ハゲ山での私の思い出を描いた絵地図だ。流星群を見たこと、木登りをしたこと、花見をしたこと、黒いさくらんぼを食べたこと。十数年をこの近くで暮らした思い出は書ききれないほど。何もないように見える場所が、こんなに豊かであることを伝えたかった。

みんなのハゲ山Map

あるカメラマンはハゲ山で撮った写真の展覧会を開いた。自分の写真だけでなく、たくさんの人が撮ったハゲ山の写真も集まった。そこに写っていた子どもたちの素敵な笑顔と美しいロケーションに多くの来場者が魅了されていたように思う。

当初は方針変更の予定はない、の一点張りだった市が、住民説明会の直前になって、突然、この土地を活用していくための話し合いを年度末までにして、県から土地を取得する、という話に転がった。市の課題であった防災時の避難拠点としてのハゲ山の堅牢な地盤が評価されたことや、補助金取得の目途が立ったという政治的な幸運もあったのだろう。

そこに至るにはきっと、多くの人の思いと、尽力があったに違いない。けれど、覆ることのない一枚岩に思えていた開発計画も、案外、覆るものなんだ、ということに驚き、私の力ではもちろんないのだけれど不思議な自信というか、やらないよりはやったほうがいいんだな、という当たり前のことを実感したのだった。

なにしろ、この地を残したいという同じ方向を向いた人がたくさんいた、ということ。それぞれがそれぞれのやり方で、どうにかしなきゃと行動したこと。決してみんなが、声高に反対を叫ぶのではなく、どう歩み寄れるか、どうすることがこの町の未来の幸せなのかを考えていたことがこの町の誇りだし、そんな人たちが集まっていたからこそ、それを押し切って違う方向へ舵を切りそうだった船頭がみんなの方を見てくれたんだと思う。

どうやらハゲ山は多くの人の願い通り最低限の整備だけして現状維持される方針になったようだ。みんなの力で残された何もない場所は、決して手つかずの自然ではない。ただの地面と、その土とつながっている植物があるだけの場所だけれど、そんな余白がすでに町では貴重で、微生物から虫、野鳥たちにとっても貴重なすみかでもある。

この地を開発して町にしてしまったのは人間だ。けれど、それを残していく方向に仕向けられたのも人の力。

ハゲ山を実際に訪れてみれば、本当に何もないところだけれど、きっとわかる人にはその豊かさが見えるに違いない。

なにもない原っぱ





いつも素敵な絵を描いていて、私も大ファンの平木映光(ひらき てるみ)さんが、この記事を見て実際にハゲ山を訪れ、さらにそれをnote記事にしてくださいました!ハゲ山の写真もあります。ハゲ山ってどんなところかな、と興味を持たれた方、ぜひご覧ください。


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