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誰でも完璧じゃないし、人の間違いとかをあんま追求しないで生きてったらいいんじゃね?とか思うんですよね。
できるやって限り締めるとこは締めて誠実にやっていたら問題ない思っても、それでも間違えることは間違えるじゃん、と。

本当に取り返しがつかないくらいの失敗をしない限りいいと思うんすよね最近は。絵も下手な絵を描いて上手くなって行くし、逆に上手ければいいんですか?みたいな。上手い絵が人を感動させるとは限らないと思うですよ。そもそも人が描く以上、完璧な絵って無いと思うんですね。完璧なものは自然にできたものだけですから。だけど人が誰も完璧じゃなくて支え合って生きていく、つながっていくことは、そんな大いなる自然に作られたんだと思うんですよ。

だから誰も完璧じゃないことが、実はとても自然で美しいことだと思うんです。だから誰のこともできたら責めたり怒ったりしたくないものです。
逆に完璧であろうとして自己完結しようとしたら、かえって他人と共存できないどこか足りない人間になってしまうのではないかなと最近思うのです。

でもそれを踏まえても、最近の国際的なニュース本当に悲しいし心つらいものが多いです。それでいいんだ、間違いなんてないんだ、と言ってしまうには、世の中あまりにも悲惨なことが多い。この前書いたみたいに電車を待つようなマインドでゆうゆう生きていて、罪悪感がかけらもなかったらどこかがおかしいんじゃないかと感じるのも自然だと思います。幸せに生きるなんて、サイコパスでなきゃあり得ないことかも。まあ個人的にはめちゃ幸せに生きてるんですけど、薄情な人間なんすかね…。

そりゃあそれなりに休みは必要だし、ゆったりしたりお茶けたこともするけど、普段はせめてちゃんと世のため人のために仕事してできるだけ人に優しく接してできる限りで募金とかもしたい今日この頃。でもとにかく生きていてやるだけやるしかないですね。自分で何でもできるかのように勘違いしたら、それこそ排他的な独善ですから。

みなさんもなるべく元気だと嬉しいですよ。

加藤剛があらわす大麻世界平和

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