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迷いが生じた自分を観察したら見えたこと

昨晩、久しぶりに迷う自分を見た。
書いては消す、を2回やった。心を決めて書いたのに、「やっぱり……」と迷いが生じて消してしまった。今年の私はずっとイケイケでやってきた。それができた理由は、迷ったらやると決めていたから。迷っている時点で、やりたいことだから。やりたいことなのに迷うってことは、「やりたい」以外の気持ちがそこにあるということだ。昨日の自分を観察したらそれが見えてきた。

やりたい、でも、やっぱりやめておこう。その後に言葉を続けるのなら、「どうせ無理だから」という言葉になる。書いている途中で、「どうせ無理だから」と感じるなにかが私の身に起きたのだ。無理ならきれいサッパリ諦めればいいのに、なぜ迷うのか。ギリギリのところだから迷うのだ。どうせ無理と言いながら、そこにわずかな可能性を感じているから迷っている。100パーセント無しじゃないだろうと思っているから、やってみようか、やらずにおこうかを迷っていた。

少しでも可能性があるならやるでしょ、と思って動ける方なのに、なぜ迷ったのか。過去事例について調べていくうちに、ルールについて明確な言葉で記載されているものを見つけたからだ。「ああ、やっぱりダメだ」と思って一度消して書いたものを、もう一度消した。

言葉で明記されているのなら仕方ない。決まっているのなら、破りようがない。もう諦めるしかない。自分を説得にかかる、諦めよう。今回は無理だ。明確に言葉で記されている。

それでも、まだ迷っている。しつこい。もう迷い彷徨うスペースはないとわかったのに、どこで迷っているのか。事実を突きつけられても、迷うわずかなスペースを見つけようとしている。いつの情報?古くない?今は状況が変わっているかもしれない。当時と状況変わっているなら、まだ可能性があるかもしれない。

結局、やりたい。やりたい気持ちが引き下がってくれない。
やれる理由を探している。無理だよという事実と、やりたい気持ちの間で迷いが生じていた。やりたい気持ちは、無理だと突きつけてくる事実の隙間を探す。わずかな隙間をついては、やれるかもしれないと可能性を見つけてくる。その可能性をいくつか並べたら、やるだけやってみるかと腹を決める。
誰かに迷惑かけないかとふとよぎる。これは違うよ、と言われるだけだから大丈夫。それはそれで恥ずかしい気持ちもある。知らなかったフリをしよう。迷いも恥も晒していけ。

諦めるのはそのあとにしておこう。
諦めるは、明らかにする。
自分ではなく、他人に明らかにしてもらおう。

こうして、私の迷うけどやる、が完成する。




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