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#10 都会で疲弊する理由が分かった

最近、「もしかして都会って、そこに暮らすだけで心身の健康を蝕むものなのかもしれない」ということを感じるようになりました。

もともと都会生まれ都会育ちなので「都会がストレス」という感じがよくわからなかったんです。40数年東京に生きてきて、満員電車も夜遅くまでギラギラした繁華街もごく日常の風景だったので、とりたててそこに何かを感じることもなかったんです。まあ、できれば電車は空いていてほしいし、お正月の静かな街にほっとすることはあったけど、まあ、その程度で。

人混みも意外と得意で、人を交わしながらうまーく流れに乗って歩ける方ですし、満員電車の中では、自分の中でパーソナルスペースをきゅっと縮めて不快感を最小にする知恵を割と小さいときから身に着けていた気がします。

とまあ、比較的都会に適応して生きてきた自負のある私なのですが、東京⇔南房総二拠点生活を始めてもうすぐ3か月になろうというある日、池袋を歩いていて、突然気づいてしまったんです!

「都会のストレス、ヤバっ!」

そこは、いろんなお店の並ぶごく普通の地下通路。昼間でしたが人通りが多く、老若男女、外国人まで、様々な人が行きかっています。前の人にぶつからないよう、また、変な人には近づかないよう、周囲に細心の注意を払いながら、一歩一歩スピード、方向のコントロールをしながら歩かねばなりません。いろんな人がいるので、その都度、「なんでこの青年は大福を食べながら歩いてるんだろう?」「あら、あの女子大生の背負ってるリュック、かわいいなー?メーカー名見えるかな?」などと、脳内でちょこちょこ反応しつつ進みます。

見るものは他にもあります。壁から天井、なんなら床にも色彩豊かな文字情報と画像情報がぎっしり貼られていています。様々な案内表示から広告ポスター、柱には動く液晶ビジョン広告まで取り付けられていて、もう目がチカチカ。出口に関する案内表示を探しつつ、自然と目に飛び込んでくる情報をキャッチしては「U2が来日公演するんだー!行きたいなー」「あ、ここにもユニクロ入ってるのね。後で買いに行こうかな」などと湧きあがる想念を、すごいスピードで情報処理していきます。抗えないのはお店の魔力です。ステキなディスプレーのお店には自然と吸い寄せられてしまい、気づいたら本来の目的を忘れて店内にいた、ということもしばしば。

視覚的刺激だけではありません。都会ではあちこちからいろんな音楽が聞こえてくるので、「あれ、この曲、誰の曲だっけ?」と気になって仕方がなくなったり、急にパンの焼けるいい匂いがして、「あー、お腹すいたなー。お昼ご飯何にしよう?」なんて考え始めたり。とにかく外側に情報が多すぎる!

恐らく都会に暮らしてるときはたぶん、「自分の気になることだけオートフォーカス機能」「ノイズキャンセラー機能」「関係ない情報シャットアウト機能」「いちいち他人のこと気にしない機能」みたいなのを働かせていて、余計なことをキャッチしないようにしていたんだなー、と気づきました。その方法の一つがスマホを見ること。満員電車でみんながスマホを見てるのは、スマホという手のひらサイズの情報に全力で集中することで、自らを「いまここ」ではないどこかに連れ出そうとしているのでしょう(笑)。

正反対なのが南房総の海岸ジョギングコースです。5キロ位、カラス以外誰にも合わず、ずっと海岸の風景が続きます。色彩もそんなに無く、音は潮騒と風の音だけ。走っていると刺激が無くて退屈です。だからなのか、感覚は自然と内向きになります。いろんな人のことや懐かしいできごとを思い出したり、忘れていたメロディをふと思い出して歌ってみたり。夕暮れに霞む海を眺めては「死ぬときってこんな風にいろんなものがぼやけていくのかなー」などと想像してみたり。まあ、一番多いのは「今日の夕飯どうしようかなー」ですが。

都会って、出会いもたくさんあって、刺激的で楽しいところではあるけど、その刺激を無防備に受けすぎると、すごい量の情報処理をしなきゃいけなくて、そこに仕事の疲れも加わったら、そりゃもう、オーバーヒートして疲れ切ってしまうよなーと、少し都会下手になってしまって思う今日この頃です。

南房総の退屈なジョギングコース。時々冠水したりします。


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