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#30 オンラインではダメかもしれないこと

新しい日常!?を見つけてしまった南房総での一拠点生活。同じ3か月間で「オンライン打ち合わせ、オンライン取材」という新しいお仕事スタイルも見つけてしまいました。私の仕事は「インタビューした内容を原稿にまとめること」なのですが、これまで東京に行かなければできなかった打ち合わせやインタビュー取材が、3月後半以降、全てインターネットビデオ会議システム「ZOOM」になってしまったのです。

ZOOM打ち合わせ、最初のうちは「テレビ電話だ~!すご~い!」と、つながってるだけでテンション上がってました。いつもはかっちりとしたお仕事モードでお会いする方が、ラフな服装で参加していたり、ご自宅の様子が覗けちゃったりすることも新鮮だったし、お子さんが入ってきたり、途中で声が聞こえなくなったりするハプニングもまた楽しかった。バーチャル背景やレコーディングのやり方を教えてもらっては「さすが、21世紀だわ~」とその便利さにいちいち感激してました。なにより、日に日に感染者が増えていき、先が見えない生活を送っていた頃だったので、「いつまで続くんでしょうね…不安ですね」などと、画面越しに顔を見ながらお互い言葉を交わすだけで気持ちが前向きになれました。ZOOMさん、ありがとう!

そのうち、インタビューの仕事はすべて「ZOOMで」となり、東京に行く必要がないので、これまでは日程的にお断りしていたようなお仕事も受けられるようになりました。結果、以前よりもお仕事依頼が増え、「コロナでお仕事無くなるかも?」といった不安は吹き飛びました。ZOOMさん、ほんとにありがとう!

南房総にいながら、仕事の打ち合わせもZOOM、取材もZOOMでやって、ZOOMで録音したものを原稿にまとめてメールで納品する。作業に疲れたら、地元スーパーへ新鮮な魚介や野菜を買いに行ったり、海辺の道をジョギングしたりしてのんびり過ごす。夕方は海を眺めながらビールを一杯。交通費も交際費も服飾費もかからない優雅なオンラインライターライフ。「アフターコロナの新しい働き方」なんて、特集されちゃったりして。これはこれで悪くないかも…。

そんな感じだったのです。最初のうちは。だけど、3か月が経過した今、ZOOM取材には何かが足りない。何か肝心なものが欠けている、そんな気がしてきています。今しばらくは仕方ない、けれど、この先もずっと、ZOOM取材しかないのだとしたら、たぶん無理。今の私には、優雅なオンラインライターライフを続けられる自信がまるでないのです。

健康で仕事もあって、不安のない日常が送れていること自体、とてもありがたいことで、これ以上何かを望むなんて贅沢なことだとは思うのですが、ZOOM取材には、やっぱり何かが足りない気がするのです。いったい、何が足りないのだろう?と、この3か月を振り返ってみて気づいたのは、「インタビューしたときの記憶がない」ということです。

この3か月、ありがたいことにいくつもお仕事依頼をいただき、それなりに忙しくしていました。ですが、インタビュー取材した時のことをほとんど覚えていないのです。全てのインタビューがなんとなく浅くて薄くて、印象に残っていないのです。もちろん、一つ一つの取材はいつも通りに準備をして、全力でしっかり話を聞いて、原稿もそれなりのクオリティに仕上げてるつもり(たぶん)です。けれども、どんな人にどんな風に話を聞いたのか、「インタビュー体験」をほとんど思い出せないのです。特にインタビュー相手が初めてお会いする方だったりすると、話の内容どころか、その方の顔も雰囲気も全く思い出すことができません。取材の思い出がのっぺらぼうなのです。

その点、リアル取材の思い出は豊かです。インタビュー自体はよく覚えていなくても、前後を含めた全体の体験を記憶しています。「あの本の取材前にはいつもあのカフェで下調べしてたなー」とか、「電車で2時間以上かけて山梨県まで行って取材したのに、現地滞在時間1時間で、何も食べずにとんぼ帰りしたんだったよな~」とか、「取材の後、編集者さんと麻婆豆腐定食食べて帰ったな~」とか…(あれれ?食べ物の記憶ばかり?)。いい取材もそうでもなかった取材も、それなりに人生のアルバムに収まっているんです。

なにより、心が大きく揺さぶられるような思い出深いインタビュー体験は、リアルでしかできないのではないか、という気がしています。インタビューで心が揺さぶられるのは、単に「いい話だったから」というだけではありません。取材対象の方と「深いところで心を通わせることができた、共感した!」と感じることで生まれるものです。それには、言葉だけではなく、表情やしぐさ、姿勢や服装、その人のいる場の雰囲気など、言葉以外からもその人の思いを全身で受け取ることが欠かせないのではないかと思うのです。

もちろん、思い出づくりのために仕事をしているわけではないし、一応プロのライターですので、心が揺さぶられても、少ししか揺さぶられなくても、お聞きしたことは頑張ってちゃんと書きます(笑)。でも、なんていうか、文章に込める熱量とか、解像度の高さとか、表現に違いが出てしまうところはあると思うのです。

やはり実際に会って話を聞いた方が、その方が意図するところをより細やかに感じ取ることができますし、熱意を持って伝えてくださったことに、心が揺さぶられれば揺さぶられるほど、「これを頑張って伝えなくては!」と「書く」モチベーションも高まります。当然ながら、モチベーション高く原稿に向かっている時の方が、クオリティの高いものができるように思いますし、なにより仕事の意義を感じるというものです。

たとえば、「ジェットコースターのレポート取材」の仕事依頼があったとして、実際にそのジェットコースターを乗ったうえで書いた記事と、そのジェットコースターの映像を見ただけで書いた記事だったら、やはり表現や伝える熱量に違いが出てしまうのは仕方ないですよね。ジェットコースター映像を見ただけで、「もお、絶叫しすぎて喉カラカラ!スリル満点で手汗が止まらずヤバイです!最高地点で左後ろを振り返ると海がちらっと見えるからチェックして!ジェットコースター好きなら絶対おススメ!後悔させません!」なんて、テンション高く書けません。私は。

お世話になったZOOMさんのことが嫌いになった!というわけではないんです。ほとんどの取材や打ち合わせは、ZOOMでも十分できるだろうな、と思うので、ZOOM取材のお仕事依頼、今後もどうぞよろしくお願いいたしますです(笑)。ですが、やはりZOOM取材オンリーだと厳しい仕事はあるな、と思っていて、それは、私のお仕事の範囲内で今思いつくのは下記のようなものです。

・(特に初対面の方への)デリケートな内面に踏み込むような取材

・何度も何度も取材を重ね、長い期間をかけてつくっていく書籍の取材

「デリケートな内面に踏み込むような取材」の際は、相手の思いをしっかり汲み取りたいし、ライターとしても「伝えたい」という熱量MAXで臨みたいものです。それには信頼関係が無くてはできません。浅い薄い取材で得た言葉をぼんやり並べていくだけの仕事は辛いし、相手の意図とズレが生じ、最悪、トラブルになる可能性もあります。

「何度も何度も取材を重ね、長い期間をかけてつくっていく書籍の取材」の場合、著者の思いをしっかり汲み取りたいのはもちろんですが、なによりも内容をしっかり理解する必要があります。ですので、「こんな変なこと質問して、バカだと思われないかな?」といった心配をせずに遠慮なく質問したり意見したりできる関係性ができていないと、取材もうまくいかないし、結果的に加筆修正が多くなって、効率も良くない気がします。なので、絶対無理というわけではないですが、せめて最初のうちだけは、対面取材をして関係づくりをした方が、後々、ZOOM取材になっても、スムーズに進む気がします。

面倒臭いオールドスタイルライターと思われてしまうかもしれないけれど、今後はリアルとオンラインの上手いバランスを見つけて、取材の思い出をたくさん作っていきたいなー。そんなことを思いながら、明日のZOOMインタビューの準備をしています。

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