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衝撃!密着!出産24時!-その5-

体が痛むたびに、息が苦しくなるたびに、ポコも今、がんばってるんだ!と思って耐えてきた。私の体が痛むのは、ポコが重い扉を開こうとしている証だ。

外へつながる道は狭く、真っ暗だ。その道を通って、小さなポコは今、光ある世界に飛び出そうとしている。どんなに苦しくても、辛くても、怖気付くことなく、ただただ外へ出ようとしている。

ポコは生まれることを望んでいる。生きることを選んだのである。そして、ポコはそれ意外の望みを知らない。

ポコは真理を知っている。生まれること、生きること、それ自体が生きる意味なのだと・・・なんてことを考えて、私は早くも感動していた。(想像だけど。)

「次の陣痛が来たら、思いきりいきんでね」おばちゃん先生が言った。
ついに、いきみ解禁。この数時間、いきむのを歯を食いしばりながら待ちに待っていた。これより、お産は佳境に入った。

ああ、いよいよなんだ。もうすぐ会えるんだ。ポコに会えるんだ。「あと少し、一緒にがんばろうね、ポコ。」

そう思うと、胸が熱くなった。何も言わないけど、ゲゲもきっと同じように感じてくれているはずだ。

もうすぐ会える・・・ポコ、私たちのかわいい赤ちゃん・・・

私はいきんだ。しかし、いきんでもいきんでも、ポコはなかなか出てこない。

「もっともっと!めいっぱいいきんで!」おばちゃん先生が言った。「大きなうんちするみたいに!」

!!(←私たちのかわいい赤ちゃんをうんちに例えられてショックを受けるも、それどころじゃない感じが伝わると嬉しいです)

かつては私も赤ちゃんだった。母の中から出る時、苦しかったか、痛かったか、怖かったか、辛かったか、なんて全く覚えていないけれど、なんとなく苦しかったような気がする。そして今、ポコも同じように苦しんでいる。そんな気がする。

酸素を送るチューブが鼻につけられた。会陰切開もした。あとはポコとタイミングを合わせ、思いきりいきむだけだ。しかしあと少しのところで詰まり、なかなか出てこない。

この出そうで出ない感じ、確かに大きなうんちに似ている。おばちゃん先生の説明はなるほどわかりやすかったのである。さすがベテランだ。
そして私は大きなうんちをするみたいに、ポコを出そうと、フン!と気張った。しかし、もう息が続かない。酸素が足らず頭が真っ白になり、気を失いそうになる。

そのうち、吸引分娩の準備が始まった。赤ちゃんの頭に装置をつけて引っ張り出すのだ。
吸引分娩で生まれた赤ちゃんは、しばらく頭の形がヘンテコになるのだが、後でまともな形に戻るので心配ないと説明を受けた。

心配ないと言われても、やはり心配である。しかし更に心配なことがあった。先ほどエコーをあてて状態を確認した際、ポコの首にへその緒が巻きついていることがわかったのだ。

赤ちゃんの首にへその緒が巻きついてしまう=危険な状態だと認識していた私は、それを聞いて凍りついたが、助産師さん曰く心配ないということだった。
(※一周くるっと巻きついてしまうことは二割がたあるようで、必ずしも危険な状態だということではないということです。)

心配ないと言われても、やはり心配である。ごめんなさい!私は深く反省をした。神様仏様、私がこれまでにした悪い行いの罰は他に受けるから、ポコだけは守って!

私のことはどうだっていい。この子を、ポコを無事に産めたらそれだけでいい。この子の願いを叶えてください。生きたいって願いを、どうか叶えて!

かけられるものを全てかけ、込められるものを全て込め、私は思い切りいきんだ。

うーーーん!んんん!
んんんんんんんんんんっ!!!!!

お願い!
生まれてええええええっ!!!!!



その瞬間、ポコが重い扉を開けて、外へ飛び出したのがわかった。ポコは乗り越えた。そして生まれたのだ。

「おめでとう!」「おめでとうございます!」「かわいい女の子ですよ!」

赤ちゃんの泣き声が聞こえる。私の赤ちゃんの泣き声だ。どうやら私も泣いているらしかった。涙は勝手にあふれていた。

やっと会えた、私たちのかわいい赤ちゃん。

助産師さんが、とりあげた赤ちゃんを私の胸の上に寝かせて抱かせてくれた。生まれたばかりの赤ちゃんは、とても小さくてか細い。私は壊れてしまわないように、でも出来るだけしっかりと抱きしめた。

「がんばったね、よくがんばったね、えらいね、えらいね。」こんな小さな体で、精一杯の力をふりしぼって、この子は生まれてきたのだ。なんて尊いのだろう。こんなに小さくても、その生命は偉大だ。胸に伝わる健気な脈拍から、私はその大きさを理解した。

血と羊水にまみれ、ぶくりと浮腫んだ私たちの赤ちゃんは、とても美しかった。今まで見たどんな美しいものよりも美しいと感じた。

ゲゲは私に「がんばったね」と声をかけると、「ポコもがんばったね」とその小さな手に指を握らせながら言った。ゲゲは泣かないかわりに、ホッとしたように嬉しそうに、優しく微笑むのだった。

助産師さんが私の乳首をキュッとつまむと、母乳がにじみ出た。それをポコの口に軽く含ませると、ポコは勢いよく乳首に吸い付いて、こくこくと母乳を飲んだ。

ゲゲ、見て!ポコがおっぱいを飲んでるよ!

誰が教えるでもなく、夢中で乳首に吸い付いくポコがかわいくてたまらない。そして少し切ない。多分これが母性だ。

結局、吸引分娩のために準備された器具たちは出番がなかった。寸前のところで、ポコは自力で出ることが出来たのだ。

よくがんばったね、ポコ。

ゲゲは生まれたてのポコの写真をたくさん撮った。私のことも撮った。長時間の闘いに疲労し、汗やら涙でぐじゃぐじゃな顔を撮られて恥ずかしかったけど、後で見てみたらそんなにひどい顔ではなかった。むしろ、幸せに満ちた表情は、我ながらなかなか美しく思えた。

助産師さんが、私たち三人の写真を撮ってくれた。初めての家族写真だ。写真を撮られるのが苦手なゲゲは照れくさそうにしていたが、その写真にはとても幸せそうに写っていた。それを見て、私はまた幸せを感じた。

お産の処理が終わると、「母さん呼んでくる」とゲゲは分娩室を一度出て行き、外でずっと待っていてくれた義母とともに戻った。

義母は「こんにちは、はじめまして。よく生まれてきてくれました。」とポコに優しく語りかけた。

義母は、自分が東京に滞在してる間にポコが生まれてきたので大変喜んだ。
ポコは予定日より遅れるだろうと診断されていた。それなのに、予定日より早く、こうしてポコが生まれたことを、義母はまるで自分への贈り物のように感じたのだろう。「生まれてきてくれてありがとう!」とポコに繰り返し言うのだった。

ゲゲは私の知らない間に、私の母に安産の報告をしてくれていた。それでも私は、いてもたってもいられず母に電話をかけた。母は仕事中のためか、冷静を保っていたようだが、それでも喜んでいるのが伝わってきた。

母の赤ちゃんだった私は、大人になり、母になった。いつか、ポコも母になる日が来るのだろうか。なんて気が早すぎるか。母の声を聞きながら、そんなことを思うのだった。

小さなポコは、約9時間半をかけ、狭く、真っ暗な道を通って、光ある世界に飛び出した。苦しくても、辛くても、怖気付くことなく、生まれてきた。

ようこそ、ポコ。ここがあなたの世界だよ。

病室に移っても興奮は冷めやらず、私たちはしばらく、ポコを眺めながらあれこれ話をした。ゲゲと義母があまりに長く居るので、いい加減注意を受けたほど、皆時間を忘れていた。

「明日また来るね」そう言ってゲゲ達が帰った途端、病室が静かになったので、少し寂しくなった。

長い1日だった。大変な1日だった。今までで一番長くて大変な1日だったけど、どんな日よりも幸せを感じられた1日だった。

ゲージに入ったポコの寝顔を見つめて、その可愛さに癒されながらも、何があっても必ず守るのだと誓った。

ポコ、私が絶対守るからね。

しばらくして助産師さんがポコを連れて行き、体をキレイにしてくれ戻った。そして添い乳のやり方を教えてくれた。
教わったとおりに母乳をやると、ポコはこくこくと飲み、そのうちにまたスヤスヤと眠った。かぼそい寝息にしばらく耳をすませ、私も眠った。

夜が来て、朝が来る。今日が終わって明日になる。そんなあたりまえのことが、あたりまえでなくなる。特別になるのだ。
今夜はポコと過ごすはじめての夜。夜が明ければはじめての朝。おやすみ、おはよう、はじめての言葉。

そしてこれから、一緒に浴びる陽の光、空や風、雨、道、歌、色形、たくさんのはじめてが訪れるのだ。

ポコとたくさんのはじめてを重ねたい。もちろんゲゲも一緒だ。どんな小さなことだっていい。ひとつひとつ、見逃さないよう、こぼさぬよう、大切に丁寧にしていきたい。
今はただ、はじめましてを抱きしめて・・・

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