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おじさんのやさしさに包まれたなら

夜には雪が降るでしょう。という昨日の天気予報は外れたようで、外には雪が降った名残がない。それにしてもこのところ寒い日が続いている。本来冬とはこういうものだよなーとも思いつつ、お腹を冷やしてもいけないし...と言い訳しつつ、家に引きこもってばかりいる。

しかし、引きこもってばかりも退屈だ。運動不足で身体がなまっている。体重が増えすぎだと病院で助産婦に注意を受けたのも気になる。というわけで、久々に出かけることにした。

Twitterにて、中野で友人がフリーマーケットをやっているという情報を得たので、目的地をそこへ定め家を出た。天気は良すぎるほどだった。

中野まで、電車を乗り継いでもよかったが、直通のバスで行くことにした。バス停まであとちょっとの所でバスがやって来たので、小走りすることになったが、なんとか間に合った。
しかし、少し走っただけで息が乱れるこの有様は、歳のせいか、妊娠のせいか、運動不足のせいか、増えすぎた体重のせいか。

ハァハァハァ...ふぅ。

席は8割埋まっていた。座ろうと思えば座れるが、ひとまず降車口あたりに立つことにしよう。中野までどれくらいだろう、どんな道を通るんだろう、窓の外を流れる見慣れぬ街並みを眺めながら行くのもいいだろう。その時だった。

「どうぞ」

優先座席に座っていたおじさんが私に声をかけた。ん?私?私に言ってる?一瞬何がなんだかわからずギョッとしたが、おじさんは妊婦である私に席を譲ってくださったのだ。私はお礼を言うと有難くその席に座らせてもらった。あたたか〜い!座席からおじさんのぬくもりが伝わった。

しかし、うまくお礼を言えなかったような気がして気になった。席を譲ってもらうという初めての経験にドギマギしてしまい、声が小さかったような、どもってしまったような、そんな気がした。それに、とっさのこととはいえサングラスを外さないままお礼を言ってしまったことも引っかかった。

ただでさえ金髪で赤い服を着て派手な身なりをして、さらにサングラスしたままだなんて、印象も悪いが何より失礼である。本当は地味で陰鬱で繊細で真面目な人間である私にとって、こんな失礼はあってはならない。おじさんがバスを降りてしまう前にもう一度お礼を言いたい。でなければ母親としてお腹の子に示しがつかない。

見てろよ、ポコ!(わが家ではお腹の子をポコと呼んでいる)

それから、おじさんがどこで降りるのか、横目でずっとチェックしていた。せっかく席を譲っていただいたが、おじさんの動向が気になって落ち着いて座っていられない。その上車酔いも混じり気持ちが悪くなってきた。それでも、私はおじさんから決して目を離さない。

おじさんは、そこから4つ5つ先の停留所で降りていった。私はいいタイミングでおじさんにもう一度お礼を言うことができた。もちろん、サングラスは外し済みだ。おじさんは「いえ」と会釈するとバスを降りていった。
きちんとお礼を言えたことにホッとした途端、車酔いの気持ちの悪さが一気に襲ってきた。だけど、不思議と気分はいい。

ポコよ、しかと見たか?いや、やっぱり見えないか。

母子手帳を受け取る際に一緒にもらうマタニティマークのキーホルダーは、ほのぼのとしたイラストと共に、"おなかに赤ちゃんがいます"ということを周囲にストレートに伝えるデザインとなっている。

このキーホルダーをカバンなどにつけることで、人に気を使ってもらえるし、バスや電車で席を譲ってもらえるし、よって危険やリスクを回避できるし、もしもの時に役立ってくれる。

しかし、その偉力を全く理解していなかった私は、ほのぼのとしたイラストがカバンや服に合わないというだけで、このキーホルダーをつけることをしなかった。

つまり、おじさんは私の膨らんだお腹を見て察してくれたのである。おじさんの鋭い洞察力よ!慈悲深さよ!ありがとう!私にはお礼を言うくらいしかできないが、宝くじが当たるとか、出世するとか、何かいいことがありますように!と願うばかりだ。

今回はたまたま良いおじさんに会ったからよかったが、良くないおじさん(?)だったらこうはいかなかった。もしかしたら立ちっぱなしでシンドイ思いをしたかもしれないし、ブレーキの拍子に転んで怪我をしたり、お腹の子に障ったかもしれない。と考えるとおじさんには感謝をしてもしきれないほどだ。おじさんが良いおじさんでよかった。

そして、このキーホルダーは本来こういう時こういうところで必要になるものなのだと学んだ。これからは、ほのぼのとしたイラストが例えカバンにも服にも合わなくても、このキーホルダーをつけようと改心した。

今回の出来事は、席を譲る、譲られるということについて色々と考えさせられる出来事だった。

優先座席であろうとなかろうと、席を譲るべき人や時や場合があるし、そういう優しさを持ちたい。さらにそれが優しさではなく当たり前に振る舞える私でありたい。
今迄そう思ってきたが、気づけば譲ってもらう立場になっていた。だからって別に譲ってもらうのが当たり前だとかは思わないが、こうして実際に席を譲ってもらうとやっぱり嬉しい。東京の人はツメタイなんて言うが、そんなことはないと田舎の母に伝えたい。

しかし、バスの中の私の心境はまだその段階になかった。この先慣れることがあるかわからないが、譲ってもらうことに慣れていないせいか、お尻がムズムズしてしかたない。妊婦は痔になりやすいが、決してそのせいではなかった。

なんで優先座席に座ってるの?まだ若いんだから立てるだろ!誰かにそんな風に思われたり言われたりしないか、ドキドキした。
バスの席が空いているうちはいいが、埋まってしまったらどうなるか、ましてそこへ年寄りが乗ってきたらどうするべきか、ああ!めまいがしてきた。

いやいや、私よ!妊婦である私がおじさんのご厚意に甘えることは罪ではない。何も悪いことはしていないのだから、堂々と座っていればいいのだ。

私の中に、譲ってもらうことにどこか消極的な私と肯定的な私がいて、葛藤を繰り広げていた。決着のつかぬうちに中野に着いので、ひとまずは冷戦となるのだが、友人たちとの楽しい時間を過ごした後の帰りのバスにて、残念ながら再び戦いの火蓋は落とされた。それでも結局決着はつかぬまま、もやがかったまま帰宅した。

一連の出来事をゲゲに話すと、何を悩むことがあるの?という顔をされた。その通りである。大して悩んでいたわけではないが、悩むのはやめた。これ以上悩んだらそれこそおじさんに悪い。おじさんは、私を悩ませたくて席を譲ったのでないのだ。

ただ今は、おじさんに席を譲ってもらったこと、戸惑ったけど嬉しかったことを忘れないようにしよう。人に優しくしてもらった分私も人に優しくしよう、ポコにも優しさを与えよう。出かける際にはキーホルダーをつけよう。

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