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娘の一番短くて長い日

午前中、母たちが無事に東京に着いたのを確認すると、私は眠った。妊娠後期に入ったせいか、最近、上手に眠れず昼夜逆転となっていて、この日もそうだった。

道や人混みになれない彼女たちを駅に迎えに行って、ホテルのチェックインに付き合うつもりでいたけれど、目覚めた時には夕方だった。
そんなこともあろうかと、念のため予約したホテルの情報を送っておいてよかった。自力でチェックインしたようだ。

夜、レストランを予約した時刻に合わせてホテルの部屋へ迎えに行くと、母はきちんと綺麗にめかしこんでいた。そして叔母は観光中に足を負傷した(太っているせいで肉離れを起こした)らしく、湿布臭をまとわせていた。

31階にある部屋の窓から見える、東京タワーはじめとする夜景群を背に記念写真を撮りたいという母と私とで写真を撮った。しかし肝心の背景はうまく写らず、かわりにスマホを構えた叔母が、薄っすらと窓に反射し写り込んだ、微妙な写真が撮れた。

修学旅行にでも来た女学生かのようにはしゃいでいる彼女たちに、そろそろと釘をさしたら、ロビーで待つゲゲと合流した。私たちを見つけたゲゲはパッと椅子から立ち上がり、礼をした。
「母です。叔母です。ゲゲちゃんです。」軽めに三人を紹介したらタクシーに乗り込みレストランへ向かった。

タクシー内でも彼女たちははしゃいでいた。目に映るもの全てが都会的で珍しいのだ。これがいわゆる【おのぼりさん】の姿である。
「ココはどこ?」「あれは何?」聞かないではいられない、その気持ちは私にもわかる。「青山だよ」「あれが六本木ヒルズ、こっちはテレ朝」教えてやると、いちいち大きく反応して、さらに質問を投げかけてきた。
「あの坂上がったらどこに行くの?」これはなかなか難問だった。あの坂というのは、私もゲゲも、きっとタクシーの運転手さえも通ったことがないであろう細い坂を指していた。

麻布十番のレストランは、落ち着いた雰囲気ながら人気店らしく賑わっていた。魚介も肉もいただけるコース料理はどの品も美味しかった。普段コース料理と縁のない暮らしをしている彼女たちは、料理が運ばれてくる度に「わぁ!」と目を輝かせた。
寿司屋でいつも海老ばかり食べる大の海老好きの叔母は、職人ワザとも思えるほどの手さばきで、伊勢海老を平らげた。見事だった。

会話もはずみ、大切なこともくだらないこともたくさん話ができた。厳しくつっこまれたり聞かれたりするかとかなりビビっていたのだが、思っていたより母は鬼婆ではなかったようだ。とても楽しかった。私たちはいつも和やかで、言葉を交わすたびに、笑った。
私以上に緊張していたであろうゲゲも、楽しかった、もっと話していたかったと言ってくれた。嬉しかった。きっとこんな風に、私たちは家族になっていくのだ。

後のやり取りで、母は「今まで食べたものの中で一番美味しかった!」とまで言っていた。なんだか大げさな気もするが、喜んでもらえたならよかった。ホテルについても、「あんな立派なホテルに泊まれるなんて、うちの人生にはありえんことだわ!」と言っていた。

母は、地元の男性である父と若くに結婚して、19歳で私を産んだ。それからはずっと平凡な田舎暮らしで、行動範囲は自家用の軽自動車で行き来する職場とスーパーの間くらいなもんである。
それでも私が幼い頃は、家族で外食したり遠出したりもしたが、それも長期休暇中たまにという程度で、弟が産まれてからは、さらにその頻度は減った。

世間知らずというわけではないが、限られたテリトリー内での生活と感覚が体にビッシリ染み付いる母が、この日、これまでにない体験と感動を得た。大げさに思えた母の言葉も決して大げさなどではなく、それ相当かもしれないのだ。

そんな母を、健気とも不憫とも思う。何より、これまで大した親孝行もせずにいたことを申し訳ないと思う。
親孝行とはどういうことか、具体的にはよくわからんが、もっと早くに、せめてこのくらい、してあげればよかった。

ホテルに戻ると、ロビーにあるカフェでお茶をした。誰がどのケーキを注文するかなんて他愛もないことで盛り上がった。
それから、部屋まで送った。母のプレッシャーとほんの義務感で開かれた会だったが、別れる頃には名残惜しくあった。もう少し一緒にいたかった。しかし、もう日が変わってしまった。
「じゃあ、またね。長旅疲れただろうしゆっくり寝ないや。」「うん、体冷さんようにね!」「おやすみー。」私の姿が見えなくなるまで、母は、部屋の扉前で私を見送ってくれた。

私とゲゲは、家までそう遠くない道をトボトボと歩いた。歩いて帰りたい気分だった。
「ゲゲちゃん、今日は本当にありがとう。お母さん達、すごく楽しそうだった。でも、ごめんね、やかましくて...疲れたやろ?」「ううん、すごく楽しかったよ!もっと話したかったくらい。時間が遅くなければ、もう一軒行ったのになぁ。」
とにかくゲゲには感謝しかなかった。伝えきれないとわかっていたが、何度もありがとうを言った。言わずにはいられなかった。「ゲゲちゃん、本当にありがとう!!!」「声がデカいw」 この人がゲゲでよかった。ゲゲじゃなかったらダメなのだ。

こうして、娘としての短い一日が終わった。私はもうすぐ娘を産み、母となる。母もかつて娘として大切にされ、私を産み、母となった。そしていつか、私の娘が母になる時、私はこの日を思い出すのだ。

娘として、母として。

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