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それはひとつの答え

ときどき、目の前が真っ暗になることがある。

どう進んでいいのか、わからない。
後ろを振り返っても何もない。
暗闇は好きなのだ。
でもそこは闇でさえない。
大きなぽっかりとした「虚無(ナダ)」

それにとらえられたら、じっとそこを抜け出せるまで耐えるしかない。
アロマもヨガもアートさえも届かない。
手を伸ばした先から「なんにもなくなる」。
もがけばもがくほど、近くにある見えない宝物を壊してしまう。
だから、被害を最小限にするため、私は身を縮こませて、じっとする。虚無が私に飽きて、すっといなくなるまで。

その台風に囲まれた小さな家のような私の内側で、あーなんでこんなに辛いのに生きなきゃいけないのか、と思った。
私はなんのために生まれたのか。
なんのために生きるのか。

家族を幸せにするため、やりがいのある仕事を達成するため、美しい創作物を世に出すため、、いろいろ想定して動いてみるものの、すぐに失敗してしまう。これじゃない、といつも思う。神からの啓示はない。どこを歩いても「意味なんかない。理由なんかない。」というメッセージばかり受け取る。なのに納得がいかなくて探し回る。

私はなんのために生まれたの?なんで生きてるの?もっと生きててほしい人もいたのに、なんで私は死んでないの?意味ないならやめてもいいの?そうやって考え込んだ。

友だちと久しぶりに会って、そんな話は1ミリもせずに彼女の子育ての話を聞いてた。
私はもう経験しないんだろうな、と思いながら。それは表情に出さないように。
仕事も恋愛も創作も中途半端な私が子どもも産まずに、なんの意味があるのか、と思いながら、ふと、本当にひょい、と答えが出た。

それは、はじめから決まってたことがわかった。生まれたときから。
なんで私が生まれたのか。なんのために生きるのか。なぜ生きなきゃいけないのか。

世の中を、よくするためだ。

もちろん、「良い世の中」なんて定義は人によって様々で、私が「良い世の中」と思うものが他人には「悪い世の中」かもしれない。でもそうやって、みんな良い世の中のために生まれてきたんじゃないの。そのためにぶつかるし、傷つけ合うけど。
何が「良い世の中」で、そのために私は何ができるのか、それは考え続けなくてはいけない。もしかしたら考えてるだけで一生を終えるかもしれない。何が良い世の中で、何ができるのか、、。

それでその日はぐっすり眠れた。久しぶりに心地いい眠りだった。

※いつ書いたかわからない日記を見つけて、転載しました。また心変わりするかもしれないけど、今もこの答えは割と自分の腑に落ちます。

#エッセイ #理由 #答え

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