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いく筋も水脈が流れるように

地域に出ると、人と出会える。クリニックを退院して地域に戻ったお母さんたちの、知らなかった姿とたくさん会える。

それは3年前にママたちのサロンを定期的に開いていたときに感じた。クリニックで待っているだけだと、いくら「何かあったらいつでも連絡くださいね」と言ったとしても、ふらりと訪れるのは難しいことも知った。

でも、あの頃の私は一人でジタバタしていたように思う。需要は感じるけれど、「ためになる」が前に来てしまうとどうも苦しくなってしまったので、無責任だと自覚も持ちながら手放した。放棄した、に近いかもしれない。そして、自分が楽しいってなんだろう、を第一優先にして、自分の心が向くことしかしないことにした。

忙しすぎて余裕がなかったので、体力面・気力面共に考える余裕を持てるように環境を変えた。人づきあいも自分に正直に、気持ちが向かない時は断ることにした。

後ろ盾がない生活は心もとなくて、誰も責任を取ってくれないし、この道で合っている?と何度も後ろを振り返ってしまうけれど、少なくともこの1ヶ月半、意識的に地域に出たことで今まで出会えなかった人と出会って繋がることができた。私が見えていなかっただけで、同じような思いをもった人はどうやらたくさんいて、そういう人たちと一緒にだったら、自分ひとりではできなかったこともできそうな気がする。

臨床を離れることへの不安は、かなりある。でも、時間的には前よりずっと短くなったけれど、時々持てる臨床の現場がとても楽しいと実感できるようになった。乳房ケアひとつ、間接介助ひとつ、妊婦検診ひとつ、サーフロー入れるのひとつ。どれも学生時代のように貴重に思えて、ものすごく丁寧にする。全てに対して全力だからめちゃくちゃ疲れるけど、発見の連続で全てが楽しかった。

久しぶりのお産は、生まれてきた赤ちゃんの状態があまり良くなくて、3日前に復習したばかりのNCPR(新生児蘇生法)が早速役立った。当たり前だけど、私が久しぶりかどうかなんて関係ない。現場は現場で、何の言い訳もできない。でもちゃんと現場を意識して勉強していれば、臨床にいない時間も無駄ではないと確信できた。逆に、いくら現場で数をこなしていたって、なんとなく流れていたら意味がない。ひとつひとつ、こんなに意味や根拠があって大切なことなのに、業務になってしまっていた自分を反省する。

いろんな道があってどれもこれもはできないから、自分にできることをしたらいい。自分に力が足りないことを情けなく思うけれど、それを認めて、誰かと協力したらいい。ひとりでできることは限られているから、できる人と一緒にやって、そこで一緒に学べばいい。

形なきものだけど、小さな手応えは感じている。数本の筋が水脈のように同時進行で動いている。これらはそのうちどこかで繋がる。はず。