見出し画像

水面に映る心

【富士山麓マインドフルネスリトリート・ふりかえり③】
最初は、与えられたワークをこなし、その中での小さな気づきを集めていたが、3日目、4日目になって少しだけ自分の考えが変容してきた気がする。

僧侶の法話を聞いているうちに、「呼吸を大切にして、今に意識を持ってくる」ことの意味や、それを実践することが何につながるかが少しだけわかってきたからかもしれない。

普段キッズはキッズプログラムという別部屋にいるが、毎日1回、子どもたちも一緒にいる場で僧侶がお話をしてくれる時間がある。そのお話が、とてもわかりやすくて私にもすーっと入ってきた。

歩く瞑想の時間、私たちはいつも大きな池のほとりに坐って水の音を聞きながら時間を過ごすが、その日の池の水はとてもとても静かで、空も木々も雲も、私たちリトリートの仲間たちも綺麗にすべてが映っていた。私は、なんて美しいのだろうと、ともすると一人一人の顔さえ判別できそうなほどクリアな水面を反対岸から見つめていたのだった。

池の水面について、僧侶のシスターハーモニーはこんなことを話していた。

波風が立たずに静かに水面が落ち着いている時にしか、こんな風に反射は見えないのと同じで、私たちも心が安定していると、この水面のようにありのままの現実を見ることができる。そのためには、穏やかであること。イライラしているときは落ちついて、坐ってごらん。そうすれば、ちゃんと心が見えるから、と。

遮るものがなく広がる空は、鳥も飛行機も自由に飛んでいける。人も同じで、スペースがないと自由に考えることができない。私が「余白」と呼んでいるものと同じだろう。こんな風に、つい今しがた自分がした体験を、やさしい言葉でブッダの言葉で説いてくれることで、知識としてではなく感覚としてわかる気がした。

「苦しみとは、何か?」と彼女は問う。
苦しみとは、痛みを伴うことが多いが、痛み自体ではない。苦しみは、不快な感情で、自分自身がそれを取り扱うことができないもののこと、だそうだ。

苦しみは、またやってくる。でも、必ずまた去っていく。日々プラクティスをしていくことで、「大丈夫、自分はこれを取り扱うことができる」という大きなよりどころができる。

そのために、穏やかな状態に戻り、心地よい感情を育み、その出来事をじっと見つめて自分がその中へ入っていくことが必要なのだ。

これも、陣痛と似ているなあと思う。
陣痛は、確かに痛いけれど、ただ痛いだけじゃない。痛い時間は長くても60秒。「1回の呼吸を10秒として、6回呼吸をすれば、終わるから」。以前、そう産前クラスで伝えたら、「それだけを考えて呼吸していました」と言ってくれた産婦さんがいたが、これもまさにいつかは去る痛みの取り扱い方を照らすことに繋がったのだと思う。陣痛は、「鼻からスイカ」など「痛い」ばかりがクローズアップされがちだから、マインドフルネスをお産に取り入れるのはとても効果的だと改めて思った。

そういう、要素要素はなんとなく自分も日々使っていることが、系統立てて理解できて嬉しかった。


この記事が参加している募集