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もたれもたられ

立場が変わることで、相手の気持ちが、突然わかることがある。

たとえば、自分に生意気な後輩ができた時に初めて、かつての自分のプリセプターの気持ちが少しだけわかる気がした。修復不可能なほどこじれたプリセプターとの関係性。なぜあんな風になったのか、断片的に思い出してもうまくつながらなかったのが、ああ先輩はもしかしたらこういう気持ちだったのかな、とある日ふと思った。必死だったのもあるが、「かわいげ」がなかったかつての自分を思い返す。あのとき私がもう少し相手を気持ち良くさせるように振る舞うことができれば、少しはうまくいったのかもしれない。覆水盆に返らずだが、喉の奥に引っかかっていることさえ意識していなかった小さなトゲのひとつが、ぽろりと取れた気がした。

私が1年間の国内留学のつもりだった鳥取生活を延長して、こちらに残ることを決めたのは、大好きな人がいたからだった。今までの私の石橋を叩いて渡るような堅実な人生において、初めての後先考えずに本能に忠実に動いたケツダンだ。もちろん、理由はそれだけではない。鳥取の暮らしが肌に合っていた、鳥取の人の穏やかな人柄が心地よかった、自分のペースで生活できる…。「なんで鳥取に?」。今まで100回くらい聞かれた質問には、常套句としてこれらを答えている。でも、決定打ではない。本心は、彼と一緒にいたかった、ただそれだけだ。

だから、それがなくなったときの喪失感は半端なかった。思えば、彼は一度も私に「鳥取に残ってほしい」とは言わなかった。私が自分で決めたのだ。不安定になって彼に依存して関係性が悪くなってきた時、彼は私に「なんで鳥取にいるの?」と聞いた。「あなたがいるからだよ!」と言いたかったけど黙っていたら、「ここでしかできないことがあるからじゃなかったの?そう言っていたよね」と彼。ぐうの音もでなかった。私は、自分でここに残ることを決めたのだから。頭ではわかるけど、依存先が彼の他になかった当時の私には、相当苦しい出来事だった。

あれから何年も時を経て、感情も浄化し、違う人生を歩む彼と再会した時に彼が私に言った「ごめんね」という言葉。あれは、何に対する「ごめんね」だったのかなとずっと考えていたのが、今、ふとわかった気がした。

彼は、私の気持ちが重たすぎて、受け止めきれなかったのだろう。好きだけど、鳥取に残ると決めた私の気持ちに責任を持てなくて、切り捨てるに近い形で手放した。話もせずに決断を下されたことがずっと許せなかったけど、あの時はああすることしかできなかったのだろう。それに対する、「ごめんね」。そうだとしたら、無情にしか見えなかった彼も、苦しんでいたのかもしれない。私は、私の視点でしか物事を見ていなかったし、自分に酔っていた。そんなあの頃の自分が、滑稽でちっぽけで、抱きしめたくなるほど愛おしい。

人という字は、人と人が支え合って成り立っている。その角度はフレキシブルに変えながら、時に人に支えてもらい、時に人を支えながら、基本的には自分で立つ気持ちを持って。そう思っていると、もたれかかれた時のあたたかさが沁みる。

人は一人でなんて生きていけないから、助けて、は素直に言える方がいい。でも、依存先は、きっとひとつではない方がいい。心地の良いもたれかかりの角度を、常に調整しながら生きていきたい。