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自尊感情⇔無我という気づき

【富士山麓マインドフルネスリトリート・ふりかえり④】
今回この4日間を通して一番の発見は、私は「自分」が主語ですべてのことを考えてばかりいたということだ。

私は「自尊感情」がずっと大きなテーマで、いかにそれを高めていくかということを考えていた。しかし、自尊感情は自己アイデンティティにつながり、高め続けるとともすると奢りにも繋がる危うい部分もあるのだと知った。一方、マインドフルネスの考え方では、いきつくところが「無我」と、真逆なのだ。

一見、同じようなアプローチにみえることでも、いきつく先が全然違うことに驚く。いくら自尊感情を高めようとしても、やはりどこかで人と比べてしまう自分が顔を出したりして、どうも終わりが見えなかったのはそういうことかと合点がいった。

【歩く瞑想】も、4日間毎日行うことで考えが変化している自分に気づいた。

最初は、裸足で歩くと芝生の感覚を足底で感じられて心地よい反面、日陰に入ると地面が硬くて痛いから集中できないから、やはり私の場合は靴を履いた方が集中できると思った。また、歩いている自分の視界に周りの人が入ってくると、相手に対する自分のペースを考えたりして、自分が集中しづらいので、なるべく視界に人が入らない環境を作ろうと思っていた。つまり、自分の傾向を知り、それをしやすい環境を作ることで自分が何かをスムーズに遂行する環境を作り上げようとしていた。でも、それって全然マインドフルじゃないんじゃないかと気づいた。

最終日は、靴を脱いで、痛みを感じたとしてもそういうものだと認めてみることにした。周りの人が歩く姿が視界に入ってきても、それはそれと眺めてみることにした。

ずっと、せっかく富士山の麓に来たのに、歩く瞑想の場所からは富士山のてっぺんしか見えないとか、私の部屋は富士山側でない部屋だったので、せっかく富士山まで来たのに富士山が見えないとぼやいていた。しかし、目をつぶって自分が見えるか見えないかという概念から離れてみると、確かにそこに在る富士山を感じることができた。

マインドフルネスやブッダの教えは今まで全く学んだことがなかったが、自分が今まで苦しみ、試行錯誤して歩んできた道の中で得た気づきが、要素としてそこここに点在していることが嬉しかった。

私たちの識は、8つある。
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識(これらで五識)・意識・末那(マナ)識・阿頼耶(アラヤ)識の8つ。このアラヤ識(蔵識)というところは最も深い層に位置され、私たちに影響を与えるいろいろな種が眠っている。過去のトラウマもあれば、嬉しいと感じた出来事も。私たちがマインドフルに生きていないときは、アラヤ識の中に何があるのか意識できていないとき。そういう時は、間違った種を育ててしまい、ありもしない誤った解釈・認識が起こってしまう。思い込みほど怖いものはない。これも、最近自分が身を以て学んだことだ。

意識の光を育てたい種に照らせば、それが正しく伸びてくる。まわりの雑草を抜いて、しっかり育てたい種に水やりをしてあげること。私の自尊感情が育まれていると感じていたときは、人からたっぷりと水やりをしてもらったことで、自分の中の良い種が育っていた状態なのだと気づいた。そういう状態のときは、たとえ雑草が伸びてきても、ボーボー伸びきって鬱蒼とする前に、ある程度の所でプチンと切るか抜くかして処理ができる。そして、そうやって正しい種に水をもらってあたたかい気持ちになると、その分今度は自分も誰かに水を注いであげようと思える。これは、「自分」にフォーカスしているだけではたどり着かない観点だった。

こうして、ひとつひとつ、感覚として自分が体験して学んだきたことの答え合わせをしていくような4日間だった。

正直、頭をガツンと殴られるような衝撃はこの4日間の間にはなかったのだが、家に帰ってきて、自分の生活が始まってからじわじわと噛み締めるようにこういった学びが沁み渡ってきているのを感じる。

心がざわついたときは、五識の扉をしっかりと閉めて、正しい認識・解釈へと自分を導く。ああ、今雑草が伸びて来ているな。正しい種に水やりをしよう。こんな風に。

マインドフルネスの考え方は、厳しすぎないゆるさがとてもいいなと思った。ブッダの教えなので仏教寄りではあるけれど、宗教色が強すぎず誰でも受け入れる環境があるし、大量のお布施を払う義務もなければ、サンガという集いに行くことが奨励されてはいるが強制ではない。どこかへ行かなければできないことでもなく、自分が自分の生活の中で取り入れることができる。これは自分にとっても生きていく上でのセーフティネットになると感じた。

今回の学びを、自分の日常に還って、これからどんな風に活かしていけるか。また都度気づいたことを記録していこうと思う。
そして、富士山はやはり日本一だった。美しい。大山と比べるのではなく、目の前の富士山を感じられてよかった。

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