見出し画像

木を見て森を見ない母

私のちょっと変わった母の話をしよう。彼女は、節約に重きを置く。いわば「通帳の貯金残高が増えることに喜びを感じるタイプ」だ。主婦なので、金銭感覚は厳しい。少しでも安いものを求めて、〇〇はA店、△△はB店とスーパーを渡り歩く。底値表が頭に入っていそうだ。

そんな母に私はある日こう言った。
「そんなに節約したいなら、家計簿をつけてみたら?」と。するとこう返ってきた。
「それ、お父さんにも言われた」と。
まあ一般的にそうだよね。しかし彼女は家計簿をつけようと思わないどころか、「なぜ同じことを言うのだろう」と思ったらしい。むしろ私が何でだとツッコんでしまった。彼女の中では「決まった食費でやりくりする」という考えで、それ以外の支出にはさほど興味がない。もちろん固定費など変えられない部分はあるが、方法によっては削減できるものもある。そしてそれらに口出しできない訳ではない。

ああこれ、「木を見て森を見ず」だわと思った。私が若い頃よくやったやつである。細かい部分だけ見て全体像が見れていない。すると要らないところに必要以上に労力をかけたり、ゴールが遠くなったり分からなくなったりする。なぜ彼女はこの状態を続けているのか。理由は

全体として問題はないから

である。幸い暮らせない経済状況ではない。生活が出来ている。だから関心のある「食や生活用品」の分野に限って節約している。他の部分で夫を立てているという点もあるが、概ね合っていると思う。でもさ~、

それって非効率的じゃない?

効率というより本人の趣味って気もするけど。一時期病気になって実家に帰っていた頃、「まだ割引にならないから」と言って必要な薬が買って貰えず足りなくなって辟易した。もうここまでくれば、木の一部しか見てないんじゃないかとすら思う。今は別世帯だし本人の好きにやれば良いと思っているが、私にはちょっと理解できないレベルだ。それで「食費が高い」とこれからも言ってゆくのだろう。思考というのはなかなか変わらないものだと思わされた出来事だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?