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発想の転換による削減化

子どもの頃、疑問に思っていたことがある。

「どうして私の家には、鯉のぼりがあがっていないのだろう」

周りの男の子のいる家は、大抵あがっていた。そういう時代と地域だった。そして田舎で行われる法事。これもお寺に断りを入れた上で、我が家は行っていない。気になっていたので、大人になってから父に聞いてみた。すると

「面倒臭いから」← ( ゚д゚)

との驚きの答えが返ってきた。確かに言われて見れば、鯉のぼりを保管して毎年あげるのも、決まった年に法事を行うのも手間である。(※墓参りは行っている) 鯉のぼりなどは「周りの家にあがっているのを見れば良い」とのこと。これが父の「発想の転換による削減化」だ。(でも、ちょっとやって欲しかった)

現代人は忙しい。昔の人が暇だったなんて言う気は全くないが、「分業化が減って1人の人間が様々なことをやる必要が増した」と言うべきか。加えて、時間内でやるべきことの密度や求められるレベルが高くなった。

だが仕事も家事も人間関係も、やりだしたらキリがない。機械などが代行してくれても限度があるし、どうしても人の手間は必要だ。どこかで「ここまで」と区切りをつけなくては潰れてしまう。物事の内容によるが、

思い切って「やらない」選択肢を選ぶのも良いのではないか

話は変わるが、4月に職場の部長が異動してきた社員に言っていた言葉がある。

「今しか気付けないことがあるから、よく見ておくように」

なるほど、最初は違和感を覚えたりするものも慣れれば景色となる。日々の忙しさも重なり「こんなもんだ」と改善しなくなる。よく言うことだが、新しい視点を取り入れたりしばらく離れてみると、発見があり改善につながる。上手くすれば、リスク回避と問題解決も出来るだろう。

私は今、会社を病気休職中だ。しばらく実家にいたが、この前2ヶ月半ぶりにマンションに戻ってきた。すると「何となく置いていた物」が、あれも要らないこれも要らないと思えて大分断捨離出来た。「これがしばらく離れて気付く、新しい視点か」と実感した。

ところが必要な物が探しても見つからない。「コップ」だ。嫌な予感がして実家に電話したら、「古かったから母が(勝手に)捨ててしまった」とのこと。

…そのコップ、初めて働いた職場の人からもらった思い出のものなんだ(-_-)

仕方がないから笑い話として、思い出と一緒に心の中に留めておくことにする。これも「断捨離出来た」と発想転換したら良いのかもしれない。「必要/不必要」の人の視点って色々だ。



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