昼間の外灯
【外灯】建物の外に取り付けた電灯。門灯・街灯の類。屋外灯。
我が家は田舎の一軒家である。この前、車で家族で出掛けたことがあった。昼に出発したのだが、思いの外遅くなってしまった。最近は日が暮れるのが早い。家に着いた時にはすっかり夜になっていた。
普段は誰か一人は家にいて、日が傾いてくると帰ってくる人のために玄関にある外灯の電気を点ける。ところがこの日はうっかり忘れていた。スイッチは数メートル離れた場所だが、そこまでは真っ暗だ。まず私が家の中に入ったが、ワックスで床がつるつる&滑りやすい素材の靴下だったので、危うく転びそうになった。次に父が入ったが、高齢のため暗順応(※暗い所に長い間いると目が慣れて物が見えるようになる現象)しにくくなっていた。多分父が先に入っていても危なかったと思う。一歩間違えれば玄関での家庭内事故だ(T_T)
何故こうなったのか。そう、実は家には弟がいた。無意識下で思っていたのだ。彼が夕方になったら電気を点けてくれるだろうと。ところがその日、彼は偶々寝ていた。仕事が休みだったのだ。「ちゃんと確認すれば良かった…」そんな思いが頭を過った。
外灯は昼間点いていても、さして意味はない。何なら気付かなかったり、下手すると「何で点いているんだ」と思われてしまう。 さて人間社会に於いても、どこにでも
「いなくなったら困る人」
というのは存在する。家庭だったら一番お金を稼ぐ人だったり、会社だと部長等の管理職は分かりやすいだろう。だが普段、「お金に換算出来ない事をしている人」は分かりにくい。例えば、持ち前の明るさで場を和ませていたり、雑用を引き受けてくれていたり。「この人がいると何か良いな」と思ってはいても、「いなくなったら困る順位」では低いのだ。
そう、「昼間の外灯」と同じだ。
生きている限り、みんな誰かの役に立っている。全員が必要な人なのだ。それが普段の生活では中々感じられない。日本は近年中に、人口の5人に1人が75歳以上になる「超高齢化社会」を迎える。そしてこの先、それは更に加速する。
不安を感じている人も多く、「貯蓄する」「健康を保つ」など各々対策をとっているだろう。人は最終的には自分で何も出来なくなるが、そもそも人間の能力にはピークがある。その後は下がっていくが、ではピークをとうに超えた時にはどうしたら良いのか。
そうだ、「昼間の外灯」になったらどうだろうか。
分かりにくくても、誰かの何かの役に立っている。そう実感出来るだけで、心身共に長く健康でいられる気がする。(ついでにお金もついてくると尚良い)
「人は生まれた瞬間から死に向かっている」とは、元々誰が言った言葉であろう。無論、それは間違いない事実である。しかし私は、その中に出来る限り光を見つけて生きていきたいと思っている。そして決して見失うことがないようにと願っている。
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