7ポケッツ的な考えに至るまで!~たぶん序章~

私はもともと好奇心旺盛な方で、今までいろんなことをやってきた。

0歳からやらせてもらっていたモデルの仕事は、物心つく前は当たり前のように写真を撮ってもらったりしていたけれど、物心がついてからは「楽しい」という気持ちと「お金をいただいてやらせてもらっている」という意識を持っていた。その時は、小学校に通いながら、週6、7くらいで、水泳と新体操と塾とテニスとプロダクションのリズムレッスンなどに通っていた。小学校低学年くらいの時なども深夜3時くらいに母とタクシーで六本木に向かってロケバスで移動して早朝から撮影したり、中々出来ない経験をさせてもらったのは貴重だと思う。

私は水泳も好きで、厳しめのスイミングクラブに通っていて、鬼コーチから指導をしてもらって、ゴーグルの中で涙を流しながら泳いでいたりもした。でもそのおかげで割と速いスピードで一番上のクラスまで進級し、更にその上の特進クラスでメドレーをずっと泳ぎ続けるみたいなこともやっていた。

その反面、新体操も好きで、コーチから「本気でオリンピックを目指すならモデルを辞めて、新体操に専念してください」と言われた。私はその時、母に「新体操とモデルの仕事、どっちが好き?」と聴かれ、すごく悩んで、モデルの道を選んだ。その時に「新体操」と言っていたら、もしかしたら今頃オリンピック選手になれていた可能性もあるなぁと考えることがある。

同時に私は塾にも通っていたわけだけれど、算数がとても苦手だった。なので習い事の中だと塾が一番苦手だったように思う。塾の授業で最後の問題を解く時は、生徒の帰る順番的に最後から数えた方が早いくらいだった。それが何となく悔しかったし悲しかった思いがある。その思いが原動力になったのか私はいつの間にか算数が得意になっていた。学校でも、塾でも、スイスイ解けるようになっていた。当時としては多分それなりに有名な塾に通っていたのだけれど、何と年に1回くらいの全国テストみたいなもので算数の得点が全国3位になって賞状をもらったのだ。当時も今考えても、どうしてそうなったのか分からない(笑)今は数学が苦手だし(笑)
子どもの集中力と、誰にでもある秘めた可能性に驚いた出来事だった。

そんな中、テニスも習っていたのだけれど、その頃に買ってもらったラケットは今でも大切に持っている。毎回、打ち合いの時間などよりも、基本のフォームの確認などの時間の方が断然長かったように思う。だから「すごく楽しかった」という思いはあまり無いのだけれど、その後、中学ではテニス部の部長になった。そこでももちろん基本練習を多くやっていたし、色んなところに飛んで行った沢山のボールを拾ったり、後輩の練習のためにボールを投げることに徹することもしていた。その頃から、段々と「基本」の大切さを少しずつ理解できてきたような気がする。余談だけれど、めずらしく習い事も部活も硬式だったので、大人になってから硬式テニスをやっていた人と出会うと話が盛り上がるのは嬉しい。

この先の話はまだまだ続くのだけれど、予想以上に長い文章になってしまっているので今回はこの辺までにしておきます!

誰かの役に立つ話かは分かりませんが、気が向いたら続きをまた書くと思います。世の中には色んな考え方があって良いよね~というお話!

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