瀬奈サヲリ

仙台在住のライター。ひとり売文屋『雨幻筆耕堂(うげんひっこうどう)』店主。取材・記事作…

瀬奈サヲリ

仙台在住のライター。ひとり売文屋『雨幻筆耕堂(うげんひっこうどう)』店主。取材・記事作成・写真撮影ができます。noteではエッセイ風味の文章を中心に、好きな事・感じた事を書いていくつもり。趣味は料理とごはんとうちの犬。おいしいものがあれば大体幸せ。

マガジン

  • 真夜中のラブレター

    真夜中に書いたまま、推敲せずに出してしまったラブレター。

  • 弟よ、心して聞きなさい。

最近の記事

何者でもない私と『ギフト』をもらった彼女のこと

大学時代の先輩の名前を、ふいに本屋やネットで見る事が増えた。 彼女は学生時代から飛び抜けた実力を持っていて、さまざまな賞を軒並み受賞していた。才能がある、ということなのだろう。 私は、学生時代に彼女のことを認識しておきながら、彼女と親交を結ぼうとはしなかった。彼女を近くで見つめることなど、辛くてできるはずがなかった。 多分、彼女のようになりたくてなれなかった学生は、たくさんいただろう。素直に賞賛だけ、できるわけがない。私たちは皆、物書きだった。 「書くこと」はきっと、神

    • クラウドソーシング開始3ヶ月で月収20万円達成して、その後

      もうずうっと長いこと「書くことでメシを食っていきたい」と思い続けてきた。 今、それがなんとなく達成されて、どうにか独立し、なんとか走り出している。 「ライターです」 と名乗ると当然ながら 「どんなジャンルの記事を書いてるの?」 と尋ねられる。 その度に、私はちょっと困っていた。 クラウドソーシングで受ける案件は、特定のジャンルのものではないし、とにかく、食べていくために仕事は選べないと思って、「なんでも書けます」的な姿勢でやっていく方が、仕事が来るようになると思っていた

      • フリーランス歴1週間

         会社を退職して、フリーランスになって、1週間が過ぎた。  少しずつではあるけれど、なんとか仕事をいただくことができて、毎日何かしら「仕事」をしている。  今のこの生活は、会社員だった時よりも格段にストレスが少ない。  鉛のように重い身体を引きずって、薬を何種類も飲みながら、目眩や腹痛、頭痛に耐えながら仕事をする必要がないだけで、天国のようなものだと思う。  好きな時間に好きな場所で、自分で選んだ仕事をするのは、なんて快適なんだろう。  会社勤めをしていた時、私の手取り月

        • 誰かの頑張りが力にならない時

           どんどん日が短くなって、日に日に寒さが増してくる。東北の冬は、いつも思ったより足が速い。いつのまにか襟元に忍び寄り、徐々に身体を冷やしている。そして、そういえば去年もそんな風に思ったのだった、と毎年のように考える。  日照時間が少ない季節が、私はあまり得意ではない。自分の意思とは関係なく、気持ちが落ち込みがちになる。  そういう時には決まって、誰かの頑張りに打ちのめされてしまう日が、週に1度くらいやってくる。自分よりも頑張っている人や、結果を出している人の様子は、普段なら

        何者でもない私と『ギフト』をもらった彼女のこと

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        記事

          いつか私は今日の事を思い出して泣くのだろう

          帰省というものは、得てして帰る側にとっては義務みたいなもので、わたしはいつも間際になって億劫になってしまう。 今回は結局雑務が終わらなくて、帰る日を一日伸ばして帰省した。 実家には私の好きなありとあらゆるものが用意してあり、私は存分に食べて飲んで、少し目方が増えたように思う。 とにかく実家に帰ると私は何もしない。 家の事はもちろん、自分の事も。 「いいでしょう、たまには」という雰囲気に甘えてしまうのだ。 30にもなった娘が、とも思うけれど、嫁に行くまでは許していて欲しいと思

          いつか私は今日の事を思い出して泣くのだろう

          「好き」を集めて世界を作る

          先日、なんの気なしにしたツイートが、思いの外バズって(当社比)しまった。 他の人からしたら大した事はないのかも知れないけれど、私にとっては、というか『瀬奈サヲリ』はじまって以来のバズりだったわけで、少し動揺した。 そもそも、ウケを狙ってしたツイートではなかった。そして私の本心に限りなく近いツイートだった。 これが、私の好きなものに対するツイートだったら、ここまで動揺したりしなかったろう。バズったツイートは概ね批判的な内容だった。案の定、私の意図した所とは違った意味で解釈さ

          「好き」を集めて世界を作る

          性別という役割から解放されたい

          近頃、日本の性差別の実態が浮き彫りになるような報道が続いていてうんざりする。 まだそんな意識でやってたのか、と思う反面、どこかでその事実を知っていたような気がしている自分もいる。それほどまでに日本の性差別は社会に浸透しているのだと思い知らされる。無知でいた自分も、きっと同罪だ。 女性は家庭に入り、男性は外に出て働く、という固定概念は、女性を抑圧していると言われがちだけど、一方で男性のことも不自由にしているのではないかと思う。 一定以上の収入がなくてはならない。

          性別という役割から解放されたい

          私の青春とauデザインプロジェクト

          auデザインプロジェクトのをことを、覚えている人はどのくらいいるのだろうか。 2002年から行われたそのプロジェクトの全盛期は、ちょうど私の中・高生時代であった。斬新なデザインの携帯電話が次々と発表され、無骨なデザインの多かった他の携帯電話とは一線を画していたのを覚えている。機械のスペックそのものよりも、「かわいい」ことに価値を見出す女子高生だったわたしには、特に憧れの対象だった。 実際に私が高校時代に使っていたのは、「neon」という機種だった。デザインは深澤

          私の青春とauデザインプロジェクト

          足掻きながら前に進む

          どうにもこうにも、上手くいかない。 と、思うのは、もっと上手くできると思っていたからこそで。 自分は自分を買いかぶっていたのだなあという事に気がつかされて、少しきまりの悪い気分になる。 そもそも、変化しようと思っているのだから、上手くいかないのは当たり前なのだ。と、頭ではわかっている。 わたしが今得ようとしている変化は、蛹が一度身体をどろどろに溶かして、芋虫から蝶々になろうとしているくらいの変化なのだから、どうしたって一筋縄ではいかないのである。 ところで、芋虫が蛹から蝶

          足掻きながら前に進む

          ありがとうの価値

          昔付き合っていた男性(仮にMとする)は、全くといっていいほどお礼を言わない人だった。 誰に対してもというわけではなく、むしろ他の人には積極的にお礼を言っていたような気がする。わたしだけが滅多に彼の「ありがとう」を聞いたことがなかった。 余談だが、わたしの家族はお互いに軽率にお礼を言う。リモコンを取ってもらっても「ありがとう」。ケーキを一口もらっても「ありがとう」。盛大に誕生日を祝ってもらっても「ありがとう」。 特に意識したことはなかったし、他の人と比べたことはないけれど、家

          ありがとうの価値

          弟よ、

          弟よ、 お前に彼女ができたと母から聞きました。 お前とはかれこれ二十数年の付き合いになりますが、こんな嬉しいニュースが聞ける日が来るとは思っていませんでした。本当におめでとう。電話口で母も泣いていました。もちろん嬉し泣きです。 お前は気が早いと言うかも知れませんが、自分をよく理解し共に歩める伴侶がいることは、とても幸せなことだと、わたしは近頃とみに思うようになりました。あまり形にこだわることはないけれど、隣にいてくれる人がいるという事は、文字通り「有難い」ことです。 これ

          蝉時雨の縁側

          母方の祖母の家に来ている。 祖母の家は房総にあり、10年ほど前に祖父が他界してからは、祖母がひとりで暮らしている。 昔はこの家に祖父母と母のきょうだい3人、そして私の曽祖母にあたる人が住んでいた。母屋と離れのある大きな家だ。 私が物心つく頃には、母を含めたきょうだいは皆家を出ており、だからこの家には時の止まった部屋が多くあった。 母やそのきょうだいが使っていた部屋は、一通りの片付けがされているものの、残っている荷物も多く、本棚や机、鏡台はわたしにとって宝箱のように見えた。

          蝉時雨の縁側

          雨の幻、私の雅号

          大学時代、恩師と高円寺の安居酒屋で飲んでいる時の事だった。彼は唐突に「アナタにも、雅号がなけりゃいけません」と言った。 当時わたしは、小説で身を立てることを夢見ており、その日は新しく書いた小説を添削してもらうため、原稿を彼に渡したついでの酒席だった。曰く、連句をすると構成力が付くから翌週の連句の会に参加しろ、参加するからには名前がないと、という事らしい。 「ワタシの雅号から、雨の字をとって、アナタに似合いの名前をつけてあげましょう」 彼が逡巡している横で、わたしは「まだ参

          雨の幻、私の雅号