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走れるようになりたくて休養期間に8kg増量。フルマラソン走れる身体に。

陸上競技を始めて15年目に入りました。そのうちの2年弱、ちょっと休んでいたときのことを備忘録として記したいと思います。

中学校→高校→大学→実業団→会社員(休養2年弱)→オトバンク

高校→大学→実業団、この間の約7年はケガとの戦いでした。現監督の山崎さんには、大学1年生の頃から治療でお世話になっていて、こんな身体で走れるわけないよ、と言われ続けてきました。

じゃあどうすれば走れるのか、と聞いたときに

「簡単。10㎏くらい体重を増やすこと。太ればいい。」と言われました。

開いた口が塞がらないとはこういうことか、と実感した10代最後の夏でした。

理屈は理解できましたが、選手として、また年ごろの女の子(?)として、体重を増やすことに大きな抵抗がありました。アドバイスは自分のものにしていくタイプですが、そのときばかりは山崎さんの言葉に聞く耳を持ちませんでした。太らなくても走れるようになりたいと、大学4年間体重をキープし続け、試行錯誤の日々を送りました。

細身で筋力がないため、集合時間の1時間前にトレーニング室に行って筋力トレーニングをしたり、誰も走ってない秘密のクロカンコースを見つけてマムシに追われながらも走り込んだり。今思い出しても、なかなかきつかったです。自分で言うのも変ですが、見えない出口の中よく走っていたなと思います。でもがむしゃらに頑張ることが自己満足でしか無かったのかもしれません。全く結果に結びつきませんでした。一方で、周りのチームメートが次々と自己ベストを更新する姿を目の当たりにし、心の中はかなり自暴自棄になっていました。

心機一転し、実業団に入ってからもケガの連続。ここまで走れないんだったら、もうあの言葉を信じるしかないなと「いったん辞めて富山帰ります」と挨拶に行きました。私が聞く耳を持たなかった山崎さんのもとへ。

そして、競技を辞めて、「10kg増量計画」がスタートしました。

なぜ太るのか?

ここまで太る太ると書いてきましたが、なぜ体重を増やす必要があったかというと、私の場合は下記の通りです。

①どちらかというと細身。
(身長ー120)くらいの体重だった。
②細いだけで筋肉少ない。
③筋量少ないので骨をよく折った。
 骨密度は基準値内。疲労骨折3回。手術は2回。
④トレーニングで筋肉を増やすより、
 脂肪を増やして削っていくほうが効率的。

ケガから十分に回復していない状態で、トレーニングを積んでいたので身体の軸はなくスカスカでした。それなら、しっかり身体を作り替えたほうがいいということで、時間はかかるけど1回体重を増やしてそこから絞っていくことになったのです。

増量期間は何を食べてもいいし、べつに動かなくてもいいし、とにかく休んでいいと言われました。「休め」って、素敵すぎます。なかなか言われない言葉だと思います。

初めは、どんな風に休めばいいのか、楽を覚えたらどうしようとか、真面目な自分がいました。それも最初だけで、当時の職場の方から借りた韓流ドラマのDVDを夜な夜な観賞したり、夜遅くに同期とラーメンや焼肉に行ったり、かなり自由な生活を送っていました。あれだけストイックに取り組んでいた陸上競技も、離れてしまえばそんなもんかと。逆に考えすぎる必要は無かったんだなと気持ちが軽くなりました。ただ、どれだけ夜更かししながら遊んでいても、何を食べても、翌朝6時に起きてjogをすることだけは欠かしませんでした。走らなくてもいいと言われても、走らないことがストレスになるのでチョコチョコと走っていました。((ほぼ毎日走ってましたが、太りました。))

そのような感じで、あっという間に約1年半が経過しました。

そして、運良くオトバンクに入社することが決まりました。順調に体重が増え(8kg増)、ちょうどこれから絞っていくというタイミングでした。ちなみに休んでいた約1年半、体重計には乗っていません。見た目で判断していましたが、練習開始する前にしぶしぶ乗ったところ、見た目と数字にズレはなく計画通りの重さでした。ある意味すごい。

入社後は、毎日の朝練習と週2回のポイント練習を一人でこなしました。初めは強度を少し上げたリハビリみたいなものです。1km5分ペースのjogがきつかったですし、300mのインターバルで72秒(1km4分ペース)かかりました。約1年半もナマケモノみたいな生活をしていたので仕方ないですが、身体の不調なく走れることが嬉しくて、食事制限することもなく体重を落としていくことができました。

そして、入社から1年が経ち、陸上部が創設されました。後輩も入ってきて、一人からチームになりました。まだまだ身体はたるんでいましたが、練習相手がいるので質の高い練習ができるようになり、ナマケモノからランナーへと変化することができたと思います。

陸上部創設後、フルマラソンにも2度挑戦しました。

選手なのに全然走れなかった約7年間
 +休養してナマケモノをやっていた約2年間
                  =約9年間のブランク

これくらいの空白がありながらも1年間に2本、42.195kmのレースに出場できるようになったことは大きな収穫です。まだまだ諦めてはいけないと気持ちが高ぶりました。

太るという言葉自体、どの競技においてもけっこう神経質に捉えられる言葉だと思いますが、私の場合はこの手段がぴったりハマって、また競技復帰することができました。時間はかかりましたが、走れる今がとにかく楽しいです。速さや強さが加わればさらに楽しくなると思うので、地道にトレーニングを積んでいきたいと思っています。

そして休んで良かったことが2つ。1つ目は、生理が自然と来るようになったことです。高校生のときから自力で生理が来ることはなく、ピルを飲んでいました。今は追い込む練習の時期にも、薬に頼ることなくほぼ定期的に来ています。身体も丈夫になったと感じています。2つ目は、休み方が分かるようになったことです。陸上しか知らなくて、ストイックに生きていましたが、いろんな世界や逃げ道があることを知り、あんまり張り詰めているのも良くないなと思えるようになりました。オンオフの切り替えや柔軟な考え方が大切だと思います。

結果論ですが、休んで良かったです。幸いにも私は、休んでいる間に、走りたいという気持ちが切れることがありませんでした。いろんな人とお会いする機会があったのですが、自分のことを紹介するときに、「今はこんなんですが、将来はマラソン選手になりたいんです」とたるんだ身体ながらも言い続けていました。上を目指すに当たって、まだまだ身体も気持ちもたるんでいる部分はありますが…ああ疲れたからもう走るのいいわと思えるまでやり尽くしたいなと思います。

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