発達障害の学生時代
とにかく勉強がくだらないと思う
小学校、中学校はほとんど登校することなく終わりました。代わりにフリースクールに通っていましたが、やはりそこでも勉強には手を付けず「くだらない、やりたくない」と言っていた記憶があります。
漢字の書き取り練習が意味のない行為だと思い始めたのは小学校低学年の頃からでした。途中で横着し始めて教師にすごい怒られた記憶があります。でも成績はトップ。学年が上がってノートに書くことが複雑になるたびにますます授業がくだらなく感じました。
体育は授業はその最たるものでした。今考えてみても意味のない時間を過ごしてしまったと思う。スポーツが大嫌いになりました。テレビでスポーツ関連の映像が流れているとチャンネルを変えてしまうほどでした。大人になった今では身体を動かすことが好きになり、スポーツの素晴らしさもわかるようになりました。体育特有の同調圧力に耐えられなかったのです。
高校は底辺校、大学受験も勉強せず進学
偏差値の低い荒れた高校に進学しました。クラスメイトも教師も死ぬほど悩むような人間関係はなく、理解者が多かったお陰で通学できたと感謝しています。
やはり勉強には興味を持てず、授業中は居眠りと内職。でも試験の点数はしっかり取ってしまうので、普段からやる気のない態度でも教師たちは何も注意しませんでした。
それでも進学にも就職にも興味を持つことはなく「ホームレスになってそのまま死んでもいい」と言っていた記憶があります。見かねた教師の一人から大学進学を勧められ、信頼していた人だったこともあり、地元の国立大学に合格しました。
母親は「大学なんて合格されても入学金も授業料も援助しない」と言い張り、バイトも禁止されていた一文無しの自分はまた道が閉ざされたと思いましたが、親戚が入学金援助、奨学金も下りるようになり、なんとか大学へと進めました。
「ぼっち」の大学生活
大学でも自分は浮いていました。飲み会に誘われても断るようにしていたし、昼食も一人で過ごすことに専念しました。
でも大学は必修科目以外は好きな時間に好きな選択をしてもいいという自由さは好きでした。キャンパスを歩くだけでも楽しかったし、違う学部の科目も取ってみたり、義務教育時代特有の縛りを感じることなく自分なりに楽しんでいました。
就活意欲ゼロ、悪夢のゼミ
就活の時期になっても自分は全く就活に興味を持つことができませんでした。正社員、オフィスに勤めるということは義務教育時代に感じていたあのくだらない生活がまたやってくると思っていたからです。
ゼミと卒論の時期も来ました。誰とも仲良くしていなかったのでゼミではやっぱり浮いているし、担当教授との相性も最悪でした。
なんとか半年遅れて卒業して、新卒カードを使うことなくアルバイト掛け持ち生活を始めるのでした。
もう学習障害でいい
アルバイトも合う職場は長く続いたのですが、基本的には短期間で転々としていて、とにかく合わないと思った仕事は「くだらない」「もっと早くできる方法があるのにどうしてこの人たちはこのやり方にこだわるんだろう」と考えてしまい、覚えることが出来ませんでした。
この「急かされたり非効率だと感じると知力と理解力が著しく低下する」ことが続き、今の社会不適合者の形になっていきました。
「あなたは何をしても完璧だね」という人たちもいれば「あなたには何をやらせてもダメだ」という人たちもいる。残念ながら後者が多数派で、世の中的には自分が悪いということでした。
主治医は発達障害と学習障害と診断することに一旦躊躇いも見せていましたが、世の中が納得してくれるなら学習障害で構わないと自分も納得することが出来ました。
自分が学習障害だというと「そんなに優秀なのにどうして?」と聞かれますが、それが日本社会の答えなんです。「多分こうした方がやりやすく、生産的だ」と口出しするより「あなたのやり方が素晴らしすぎて頭の悪い私にはとてもついていくことが出来ません。さようなら」というスタンスでいた方が平穏に暮らせるのです。
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