働く事と生きるという事

働く事を考える時、イトウは父の背中を思い出す。イトウの知る限りでは、父はほぼ毎日働いている。真面目という言葉を実写化したとしたらこうなるんだろうなぁ、と思うような人だ。だからこそイトウは、父が饒舌に自分の好きなものを話す姿が本当に好きだ。幼い頃に親しんだ多くの虫達、夏に行った海と小さな魚達、胸を震わせた戦車と世界大戦、激動の時代を共に駆け抜けたロックンロール…。

父はイトウとイトウの弟に自分がなし得なかった夢を乗せるかのように、幼い頃から毎年夏になれば海に山に行き自然に親しませてくれた。美術館や博物館で色んな一流を教えてくれた。素晴らしい音楽を聴かせてくれた。最高の映画を観せてくれた。でもある日、父はずっと大切にしていたビートルズのレコードもフォークギターも全て捨ててしまった。あっけらかんと邪魔になったからと理由を話したその真意は今も聞けていない。それでも、ふと労働を終えた父が言った「今でも夏になり虫が鳴き出すと本当に心が震える」という言葉は今でも心に残っている。

こんなに豊かな個性と感性を持っているのに、それを埋没させてしまう労働という行為そのものをイトウは憎んだ。まさに労働からの疎外である。マルクスのいうように、労働力の再生産をする為に働く、すなわち物理的に明日元気に働く為の衣食住に足りるだけのお金を稼いで労働が終わればそのお金を使ってスタミナ回復し、また働くのエンドレスループ。そんな構図を作り出した経済学を、資本主義を憎んだ。

それでも、大人になるにつれてこの考えがいかに甘かったかも学んでいった。イトウは憎んでいた労働によって生かされていた。父の個性と自分の為の時間を代償に、何の不満も不安も抱かず日々退廃的な生活をして、社会の仕組みを皮肉り、頭でっかちなままに分かった気になり哲学者ぶっていた。暗いロックを聴きながら誰にも理解されない事を嘆きつつ喜んだ。父から与えられた個性や教養で自分の虚栄心を満たした。そして、それが生きるということだと思っていた。

でも、生きるという事はそんなに簡単ではなかった。個性を常に発揮させたまま社会に組み込まれる事ができる人は大きな海岸でふと手を差し込んだ時に小指の爪に残った砂よりも少ないのではないかと思う。多くの人は誰にも掬い上げられず、どこにも行けないまま、ただの瑣末な存在として社会に組み込まれる。代わりなら誰でもいる。でもその個性を手放したとしても生きていかないといけないし、守らないといけないものがあるのだ。

それでも顔を失くしながらも何かを数十年と続けているとその人とその行為は一種の神聖さを帯びてくる様に感じる。
きっとルターのvocation理論とはこういうことなのかな、と勝手に理解している。天職とは自分の天賦の才能や誰かの意志や宿命によって決まるものではない。自分がたまたま出会ったその仕事に向き合い、闘い続けて始めてその仕事が後天的に天職になるのだと思う。

きっと今の社会も個性を大々的にフル活用しながら時代を打ち立てた個人よりも、個性を埋没させつつも地道に労働してきた顔のない人達の壮絶な分業に負うものが大変大きいのだろう。

デカイこと言いましたが、イトウはとりあえず親孝行しようと思いつつ帰路に着くのでした。

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