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思い出のストリップ劇場1 新宿「モダンアート」

 新宿3丁目と2丁目を挟んだ「御苑大通り」に面したビルの地下、そこに「モダンアート」があった。住所は新宿2−12−7佐原ビルB1。
 ここに初めて乗ったのは1986年12月。

 この「モダンアート」はストリップ劇場ながら、特殊な形態で営業を続けていた。それは「ショーツを脱がない」こと。ここに至るまでにはいろんな経路があったことであろう。1970年代後半にはジョウジ川上氏が実験演劇をプロデュースしていた時もある。
 私が小耳に挟んだ話では、この地区は住所は新宿区でも警察の管轄が四谷署になるので、取り締まりがとても厳しい(四谷は文教地区であり、駐屯地など公の建物があるため)。ましてや時代は「本番マナ板」時代。とても許されるものではなかった。そこで話し合いがあったのだろう。「一代限りの営業で、ショーツを脱がないこと」と。
 しかしそんなストリップ劇場に来るお客さんはほとんどいない。30人位入る客席もいつも5、6人であった。
 踊り子さんはお客さんに申し訳なく思い、独自の考えで、ビニ本のように透けパンを履いている人が多かった。そしてもう一つの特徴は、執行猶予のある踊り子さんも出演できていた。ショーツを脱がなければ違法ではないから。「執行猶予のある」は、ほとんどが本板で捕まった踊り子さんたちである。
 また「ショーツを脱がない」という理由で、ギャラも若干安かった。こちらが悪いわけじゃないのに、当時はあまり納得できなかったが、仕方ない。

 ここはB1といっても深く、谷底へ降りるようであった。
実際地下の入り口を入り、ステージを見るとステージ高は4メートル位あったであろう。入り口すぐにトイレ(踊り子もここを使う)があり、いつも匂いを発していた。
 楽屋は中2階層だった気がする。いつだったか、オサダゼミナールでの演出で、中2階にある照明室から舞台へ逆さ吊りで降りる、というのをやった。その時に「お、以外に高いな」と若干恐怖感を覚えたのを記憶している(私は高所恐怖症である)。そしてシャワー室はない。
 また、舞台のすぐそばにトイレがあるので、水が床にこぼれてもそれほど困らない、ということもあり、大きな水槽に水を貯めての「水責め」をやったこともある。冬だったため、その水の冷たかったこと!

 1987年8月。ついにモダンアートは閉館の時がきた。その記事は「フォーカス」に載っている。21年の歴史であった。21日からの「さよなら公演」。この時は豪華出演陣でラストを飾り(浅草フランス座のママ、駒太夫さんも乗ってくれ、この時に初めて花魁ショーをみた)いつも満員であった。オサダゼミナールとしてもちろん私もいた。

「フォーカス」より


 ラスト、となると人は集まる。ここでもそうだ。「来ようと思っていたんだけどねぇ」「気になる劇場ではあったんだけど」等々、言い方はそれぞれだ。でも「ラスト」に華向けできたことは幸せだ。そう、あの新宿タイガー氏(タイガーマスクをかぶり、新聞配達をしていた新宿の有名人)も来ていた。「ありがとー!!」と大きな声援を送ってくれた。
 ほんの少ししか見ていない劇場だけど、私のデビュー頃だから、ということと、10代の頃から新宿には縁があったので、思い出深い。長田氏と口論したなぁ、終わってから2丁目の中華屋へ行ったなぁ、アダルトショップ「カバリエ」や「ルミエール」に行ったなぁ、それにしても劇場のトイレ臭かったななど、五感で覚えている。


 
 

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