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倶楽部サピオセクシャル日記115:あえて外す生き方ってどうよ?今夜はギリギリOUTの功罪を考えてみる

こんにちは。
精神科医の和田秀樹さんが書いた『嫉妬学』という本を読んでいるつよぽんです。
嫉妬を「ジェラシー型」と「エンビ―型」に分けて詳しく解説していて、興味深い。
続きを読みたい気持ちを抑えて、このまとめを書くためにパソコンの前に座った。

昨日2024年3月9日のサピオセクシャル部屋のことを書いていこう。

タイトルは、「あえて外す生き方ってどうよ?今夜はギリギリOUTの功罪を考えてみる」

今回のテーマは私が提案した。
どうしてこのテーマについて語り合いたいと思ったのか。
その原点は何年か前にさかのぼる。
オープンダイアローグ関係の仲間に京都のNPO法人スウィングという障害者支援団体の存在を教えてもらった。
それ以来、この団体の活動に興味を持ち続けている。
なぜ関心を持っているか、というと、代表の木ノ戸昌幸さんの考え方にある。

それは、スウィングのモットーの一つ「ギリギリアウトを狙う」である。
私たちは自分の価値観の枠内で生きている。
その価値観の外側はやってはいけないことになる。
しかし、そこであえて外側をやってみると「意外と平気じゃん」とか、「すごく楽しいじゃん」という境地に到達することが出来ることが案外ある。
そういう実験精神を持っての行動が人生を楽しくしてくれる。
結果、「生きやすさ」の幅が広がってゆく。

そのようなことを私は思っている。

昨日の対話の中でこんな話が出た。
「人前で泣く」のはアウトか?セーフか?
様々な意見があった。
参加された方々の意見は十人十色だった。
ちなみに私は人前で泣くのは「セーフ」である。
たとえば、私は精神的に追い詰められ、しんどくなると妻の前で泣く。
そして、しんどい理由を語る。
妻に話を聞いてもらい、妻からの質問に答えていく。
そういうやりとりを通して自分の気持ちを整理していく。
そして、人間関係の悩みを解消する方向を志向する。
まぁ、そう簡単に解消はしないのだが・・・。
少なくとも泣かずに抱え込んでいるだけだったら、自分が潰れてしまうことは確実だ。

そんな訳で、みんなと「人前で泣くこと」について対話した。
この対話を通して「人前で泣くことをアウト」と思っている人が「人前で泣くことをセーフと捉えている人がいること」を実感を伴って知っただろう。
それで充分だと思う。
人の価値観はそんなに簡単には変わらない。
しかし、簡単に変わることもある。
そう。両方あるのだ。
だから対話は楽しいし、対話には価値がある。
そう思っている。

もう一つ。
終わりの感想で私はこんな話をした。
私は「強さ」を諦めた。
そして、「弱さ」をさらけ出すようになった。
この「弱さを人前に晒す」ことをアウトと思う人もいるだろう。
でも私にとってそれはセーフだ。
なぜなら、弱い自分を見せた上で付き合ってもらったほうがラクだから。
これは人生を生き抜く上でのサバイバル術のようなものとして捉えている。
単純なことだ。
そんな弱い自分で生きるしかないのだ。
強くなれたらいいが、そうそう強くもなれない。
そんな等身大の自分として自分の人生を生きるしかない。
そう思っている。
ほんとうにしんどい人は、無理して「強い自分を演じる生き方」から降りてみてもいいんじゃない?と言いたい。
もちろんみんながみんなそう生きなくてもいい。
人それぞれ自分にあった生き方というのがあると思っているから。

今回は「コンフォートゾーン」の話もした。
コンフォートゾーンとは、本人にとって居心地がよい精神状態や環境をいう。
しかし、ずっとそこにいるだけでいいのだろうか、という問題意識がある。
そこから外側に踏み出すことで成長できるのではないか。
そこで調べてみたら、そこにコトバがあった。
それは「ラーニングゾーン」だ。
学びの領域と言ってもいい。
「ラーニングゾーン」はコンフォートゾーンのひとつ外側にある。
たとえば、現在の仕事に関わる内容ではあるものの今よりも高度なスキルと知識が必要となる業務を担当するようになった場合などがあげられる。
「何か新しく挑戦したいことはないか?」
そんな質問を自分に問いかけてみることはラーニングゾーン開拓に有効だろう。
私で言うと二つくらい挑戦したいことがある。
ちなみにこの「ラーニングゾーン」。
ラーニングゾーンの業務に慣れるように努力続けているといつしか、その業務は当たり前にできるスキルになる。
するとそこはもはやコンフォートゾーンになっている。
こうしてコンフォートゾーンが広がる、という考え方だ。

今回はここで終わりにしたいと思う。
また来週、どんなテーマについて話せるか楽しみだ。
この部屋では毎週なんらか新しいテーマについて話す。
ということはまさに私は、私のコンフォートゾーンの外側に踏み出す、という行為を求められる。
案外、私たちは無意識にラーニングゾーンに踏み出す努力をこの部屋で強いられているのかもしれない。

さあ、来週のコンフォートゾーンの外側への「冒険の旅」が楽しみである。

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