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倶楽部サピオセクシャル日記112:「不適切」はどうやって根付くのか? 感情と同調圧力で狭まる世界を語り合ってみる

副編集長仕事に追われている。ライターは基本、中身を作るだけだが、編集者は側を作りクライアントや外注の事業者と連絡を取るのがお仕事。書籍1冊を仕上げるとなると、作業量がハンパない。

もともと、連絡はずぼらな方なので、けっこう荷が重い。校了まであと少し……気忙しい中、先週のまとめでも書いて、気分転換を図ってみる。


◆クドカンのドラマで注目の「不適切」

今回のテーマはクドカンの人気ドラマ『不適切にもほどがある』にちなんでみた。80年代の中学校教師が現代にタイムリープするというストーリー。テーマとなっているのは息苦しく感じるコンプラの再評価、といったところだろうか?

社会が一定のコンセンサスとして掲げる「不適切」は時代とともに大きく変わってきた。ドラマにも、80年代の一コマとして「路線バスの車中で喫煙するシーン」が登場する。

たしかに、あらためて記憶をたどると、当時はなんとゆるかったことか、とある種の感動すら覚える。言論に対する規制などなきに等しく、女性の容姿や恋愛事情に言及することはごく普通のコミュニケーションとされていた。

そんな時代を経て、今では「頑張れ」と励ますことがパワハラとされるらしい。コンプライアンスの名の下、「不適切」がはびこり、もはやなにがなんだかわからない時代――そんな今を巧みに切り取ったコメディであり、考えさせられることは多い。

◆エコーチェンバーは不適切か?

実生活においてこの「不適切」をくらったのが前々回のルームだった。オーディエンスの1人が、ルームの様子を「エコーチェンバー」と評したのだ。この言葉はぼくも初めて聞いたのだが、あとで詳しく調べて、不快な気持ちになった。

エコーチェンバーとは、よく似た価値観を持つ人が閉鎖的な空間(チェンバー)に集まることで、「反響(エコー)」のように同種の発言がくり返され、特定の意見や思想が増強されていく現象のことをいう。他者が開催しているルームについて、「そのように見なした」と告げてくる行為には非礼を感じる。ルームの参加者を「無批判に他者の意見に同調する人たち」と見なすのは受け入れがたい。

ただ、モデレーター目線で語るなら「同質の人――複雑な話を理解し、同じレベルで会話できる人が集まること」は大変ありがたいし、サピオセクシャルという特殊なルームにおいては、ひとつの理想だとぼくは考える。管理運営のコストが下がるし、少ない言葉数で場の理解が進み、効率よく話が深まっていくからだ。

スポーツと同じく対話も、参加者の能力値がある程度の範囲にそろっていないとプレイを楽しめない。サッカーグラウンドに幼児がいたら、危なくて全力で走れないし、強いシュートを打てないのと同じである。

場が求める能力というものがあり、それを持たない人にどう対応するのか、今後のルーム運営について考察すべき課題が表面化した、と感じた。

◆変数を減らすとあれもこれも不適切

話を不適切に戻そう。この言葉がはびこった要因はSNSにあると思う。SNS上では誰もが理解できる単純な言葉を大声で拡散し続ける人が強い影響力を持つ。現実は無数の変数によって構成されているが、扱う変数を絞って「誰でもわかる話」として語る声が匿名性の高い社会を動かすのだ。

ところがこの変数の低減には副作用がある。社会がひどく大雑把にカテゴライズされてしまうのだ。変数がたくさんあれば別のカテゴリに入るものが、変数を減らすと同じカテゴリに押し込められてしまう。
不適切なものとそうでないものが一緒に含まれるケースが格段に多くなるのだ。

その副作用を無視して「あれもこれも不適切」と言い切る声の大きな人に社会がなんとなく同調してきた結果、令和は息苦しい時代になっているのではなかろうか。

この状況を改善するためには、「勇気ある無視」が必須だ。十次関数を扱える人が二次関数しか扱えない人の「不適切」に対応する必要はない。現実を丁寧に切り分けて、独自の判断を下すことこそ、たくさんの変数を扱える人間の責務なのだから。

◆海外では肘をつきながら「肘つくな」が普通

今回、興味深かった話題に海外と国内の比較がある。他者を不適切と糾弾する際、国内ではいったん我が身を振り返るのが常識とされる。自分がやっていることについて、「それは不適切だからやめろ」と他人に言えないのが日本人の節度というものだ。

ところが、海外では肘をついて食事をしながら、眼前の他者に「肘をつくな」と平気で言うのだそうだ。「罪なき者だけが石を投げなさい」とキリストは言った。裏返せば、わざわざそんなことを言わなきゃいけない文化が世界のスタンダードなのだろう。

ただ、国内にもこれをやる人が実は一定数いる。さすがに不適切な行為の真っ最中に他者を責める人は少ないが、理想を実現し得ない人が、自身には担えぬ理想を他者に押しつけるケースをクラハでもしばしば見かける。

彼らはたぶん、どこか遠い異国で人となりを形成した者たちなのだろう。話が通じないのはそのせい、と思えば腹も立たない。

◆まとめ

なんだかよくわからないのだが、ルームを終えた直後、相方を通じて「今日のヨシヒコさんはかっこ悪かったです」という言葉が届いた。単なる感想? いや、悪口? 

どの角度から評価しても不適切に思えるが、「伝えておいてくれ」との強い要請が相方にあったそうだ。確かに受け取ったので、ご安心召されよ。

雑言をいただいた身としては、発言者の中ではどう位置づけられているのか、興味深いところである。とりあえず、テーマに沿う「不適切な言」を頂戴したので、「Maji で Kakko悪くてゴメンね」とでも言っておこう。


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