【自分軸哲学】バランスの取れない矛盾した3つのベクトルについて


『いよいよ3月だ。』

ようやく冬が終わり、
麗しの暖かい季節がやってきた。

この歳になって初めて
身に染みて実感したのが、

『ひとりの冬は凄く寒いな』

って事だった。

雨なんかが降ると
特に顕著に、身体ごとこころが凍えて
バランスが崩れるのを感じる。

『これらはこんなにも繋がってたんだな』

弱くなって初めて教えられた。

30年間もの歳月、
実家に長くお世話になっていたおかげで
さまざまな寒さから護られていたこと
今更、鋭く突きつけられている気がする。

置かれた状況に振り回されて、
自分のアンバランス加減に
情けなさを感じる日々だ。

◎人がバランスを崩すきっかけ

『人生を変えたければ、恋人、住む場所、仕事を変えることだ』

なんて言葉をよく耳にするけど、
自分の場合は

交際相手はそのままに
住む場所、仕事を手放した。

関西でのブラック企業づとめから、
今は関東の穏やかな会社へと転職し
ほそぼそと日々を紡いでいる。

確かに、僕の人生は劇的に変わったと思う。

労働時間や給与体系は圧倒的に改善され、
自分の時間がすごく長くなった。
精神的肉体的負荷もほとんど消えた。

しかし、メリットばかりでもない。

組織の歯車のひとつとなって
高圧的で厳格な上司のやり方に
何とかハマろうとふらふらする自分は

なんとも硬く、
そして小さい人間になってしまったことか。

確かに変わる。
良い意味でも、悪い意味でも
間違いなく人生は変わるんだ。

でも同時に
どこに行ったところで
『自分』という不安定な観測台から離れることも、出来ない。


◎アンバランスへの憧れ

最近は矛盾した強さに憧れていた。

『高望みぜす、確かに追い求める姿勢』

そういう『青い炎』のような
静かだけれど、熱い強さを求めていた。

でも、あらゆる物事は
常に矛盾を含んでいるんだと
考えを改めなおした。


**◎ひとつの中にある3つのベクトル **

Twitterでこちらの記事と出逢った。

結婚とセックスと恋愛を一緒にするのは無理がある

この記事では、
森林原人さんというセクシー男優の方が
結婚やセックスの役割に対して
3つのベクトルで説明していた。

簡単に捉えるなら、
夫婦関係ひとつにしても

・頭(社会制度・立場)
・こころ
・身体

3つのベクトルの役割が存在していて
それぞれの価値観の比重が
パートナーと完全に一致する事はないよね、
って話だ。
だから、互いの考え価値観を言語化し
相手へ伝え理解し合う努力が求められると。

これの3つのベクトルは
ほかの出来事にも当てはまるんじゃないかな。

例えば仕事とかだと3つの満足があり

・お給料、役職(社会的)
・ビジネスマンとしてのやり甲斐、コミュニケーション(こころ)
・拘束時間、体力的負荷、健康(身体)

などがあり、
これらが同じベクトルを向く事って
なかなかない。
(好きを仕事にする、YouTuberさんですら何かバランスを欠いているように想う)

『楽しい!』って感じて
こころ満たしていた仕事も、
お給料があまり貰えなかったり
歳と共に体力が続かなくなったりしたときには
バランスが崩れる。

全部がずっと同じベクトルを向き続ける事はないのかも知れない。

だから今この瞬間も、
常に矛盾は存在し続けている。


◎それでもバランスと向き合う為に

誰しもその矛盾を
どこかで埋めるたがるけど、

実際にバランスが変わった時に
早く気付けて
『次はどこをいじくる…』って
対応出来る人は
あんまりブレずに生きていけるんだろうな。

すげー羨ましい。
(そういう人が抱える、苦悩も踏まえないような無責任な憧れだけれど)

自分が重きを置く
『主軸』をある程度知って、
環境に対しどう反応しているのかを観察する。

それを見る目が
いつも自分には欠けているなと再認識した。

今更だけど、
また日記をつけてみよう。

最近気づいた事を
Twitterに流したりし始めたんだけど
どうしても言葉が足りなくて
誰かの価値観を傷つけたりするんじゃないかと不安になる。

『自分軸的見方』で
誰かの小川に毒を流してしまうような
そんな罪悪感がある。

だからここに、
『自分軸哲学』を書き留める事にした。

あとで読み返しながら
僕の中にある常に矛盾したベクトルと
なんとかバランスをとりながら付き合ってゆきたい。

(自分の場合、社会的ベクトルからの干渉圧に敏感すぎる…)
(距離感を知らずに無理矢理触れようとするから、バランスが崩れて傾くのよ。やれる事からやればいいの)
(仰る通りです、はい…)

朝4時ブロガーの皿あらいです! ラジオ?というと大袈裟ですが少し喋らせて頂いております。よろしくおねがいします!