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【ハイキュー!!の作者】古舘春一先生の経歴|25歳で初持ち込み・脱サラして大ヒット漫画家へ

こんにちは。Saraです。

今回ご紹介するのは、劇的青春スポ根漫画「ハイキュー!!」の作者として有名な、古舘春一先生です。

「ハイキュー!!」は、2012年から「週刊少年ジャンプ」にて連載が開始され、現在までのコミックスシリーズ累計発行部数は5,000万部を突破。

舞台化・アニメ化も果たし、アニメはアジア・ヨーロッパを中心に海外でも放映されており、日本のみならず世界規模で人気を獲得している大ヒット漫画となっています。

作者である古舘先生は、学生時代から「漫画家」と「バレーボールの漫画を描きたい」という2つの夢を持ち続け、見事に夢を叶えて大人気漫画家となりました。

また、元々はデザイン系の会社に勤める会社員で、25歳の時に初めて持ち込みを行って漫画家デビューを果たした脱サラ漫画家でもあります。

今回はそんな古舘春一先生の経歴や「ハイキュー!!」が誕生して大ヒット漫画となるまでの経緯についてご紹介していきます。

動画版はこちら。

経歴

1983年3月7日生まれ、岩手県出身。

幼少期から絵を描くことが大好きで、学生の頃には既に漫画家になることを決めていたそうです。

中高時代はバレーボール部に所属して、日向と同じポジションのミドルブロッカーとして大好きなバレーに熱中しますが、決して強いチームではなかったらしく、不完全燃焼で終わってしまったため、

この頃から「漫画家になりたい」という目標と共に「バレーボールの漫画を描きたい」という目標も同時に持ち始めます。

そして、高校生の頃に初めて原稿用紙に1本の漫画を描き上げ、部活を引退してからはより多くの時間を割いて漫画制作に熱中するようになります。

ちなみに、高校生の頃に「ONE PIECE」のアニメを見て感動したことから、「物事をこんなにはっきり言っていいんだ」「シンプルな言葉をハッキリ言うことはかっこいい」と思ったそうで、

セリフに限らず「ONE PIECE」はその後の漫画制作にも強く影響を受けているそうですね。

高校卒業後は、仙台市にあるデザイン系の専門学校に進学。その後、仙台市内の広告を作るデザイン系の会社に就職して会社員として働き始めます。

古舘先生は、会社でイラストを描く仕事をしている時に、職場のデザイナーに「これしか描けないの?」「君の絵は暗いから別の人に描いて貰ってよ」などと言われたことがあるそうで、

そこでとても悔しい思いをして、自分の作画の引き出しがいかに少ないのかを思い知ったそうです。

そこから、作画の幅を広げるために勉強して、今までに描いたことのないタッチのイラストに挑戦し、最終的にはデザイナーに納得してもらえるようになったそうで、

この時の経験は、漫画家になってからも強く活きていると語っています。

そして、会社員として働きながら漫画制作を続け、2005年・25歳の時にジャンプ編集部に持ち込みを行い、

この時に持ち込んだ不治の病の少年と本の世界の王様との奇跡を描いた読み切り作品「王様キッド」で第14回JUMPトレジャー新人漫画賞の佳作を受賞。

続けて、2009年に「赤マルジャンプ」にて読み切り作品「アソビバ。」を掲載したことで、漫画家デビューを果たします。

ちなみに、「アソビバ。」制作時は会社員を続けながらの作業だったため、会社を2日休んで金曜~月曜の間に漫画を描いて、締切ギリギリでなんとか完成させたそうで、

古舘先生はこの時の事を後に「漫画を描いていて最もしんどい瞬間だった」と振り返っていますね。

その後、2009年に「週刊少年ジャンプ」にてホラー漫画となる読み切り作品「詭弁学派、四ッ谷先生の怪談。」を掲載。

読み切りを基に連載用ネームを練り上げ、会社を退職後の2010年から「週刊少年ジャンプ」にて「詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。」の連載をスタートさせます。

ちなみに、古舘先生は持ち込みを行った当初から担当編集に「バレーボールの漫画を描くのが目標」と話していましたが、

担当編集に「それだけ大切で思い入れのある題材は経験も実力も万全の状態でやるべきだ」とアドバイスされたことから、

まずは、別ジャンルである「四ッ谷先輩の怪談。」の連載をスタートすることになったそうですね。

詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。

「詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。」は、怪談噺の創作に絡めて怪奇事件の謎を解決していくホラーサスペンス漫画ですが、

古舘先生は、この作品を連載するにあたり、ホラー小説をめちゃくちゃ読み込んで勉強したそうで、

その甲斐あって、「四ッ谷先輩の怪談。」では、綿密に作り込まれた怪談話と「描き文字」による巧みな恐怖演出で、漫画ならではの「ホラー」を見事に演出しており、

また、当時から圧倒的な画力を誇っていた古舘先生によるホラー描写も加わり、初連載作品ながら極めて完成度の高い作品となっています。

「ハイキュー!!」にも時々ゾッとするようなホラー描写や描き文字による演出が随所に散りばめられていることから、

この時のホラー漫画を描いた経験は、後の「ハイキュー!!」にも強く活かされていると言えますね。

そんな完成度が高かった「四ッ谷先輩の怪談。」ですが、ジャンプの作風には合わなかったとの評価もあり、残念ながら、全18話・全3巻と比較的短く連載が終了してしまいます。

連載終了~ハイキュー連載

「四ッ谷先輩の怪談。」の連載終了後、

古舘先生は、漫画家と共に学生時代からの目標であった「バレーボールを題材にした作品」を描きたいと考えますが、

担当編集との間で愛着のある大切な題材であるバレーボール漫画は「経験も実力も万全の状態で臨ぶべき」との話もあったため、

担当編集と、「古舘春一は、今、バレーボールの漫画を描くべきなのかどうか」を話し合い、最終的には読み切りで確かめることになり、

2011年に「ジャンプNEXT!2011WINTER」と「週刊少年ジャンプ」にてそれぞれ「ハイキュー!!」の前身となる読み切り作品を掲載します。

担当編集は、このネームを読んだ時に、「今こそ、この作品で作家・古舘春一の真価を読者にぶつける時だ」と感じたそうで、

また、読者からの反応もよかったことから、ここから、連載を目指して「ハイキュー!!」の連載用ネームの制作に取り掛かり始めます。

そして、何度も連載会議で落とされながらネームを改良していき、読み切り掲載から約1年後となる、2012年から「週刊少年ジャンプ」にて古舘春一渾身のバレー漫画「ハイキュー!!」の連載をスタートさせます。

ちなみに、連載前の「ハイキュー!!」の1話目は、日向と影山の変人速攻が誕生するまでの1話~7話の内容が詰め込まれた「密度の濃い1話」だったそうですが、

連載会議で度々落とされながら精査していくうちに、最終的に現在の形になったそうですね。

また、古舘先生は、連載が決まった時は「やった!連載取った!!」という嬉しい気持ちよりも、「いよいよ「終わり」の始まりだ」という感情だったそうで、

「ジャンプでバレー漫画を描けるのはこれが最初で最後であり、気を抜けば終わりだ。打ち切りにならずに最後まで描ききりたい」

という良い緊張感と悪い焦りの中で連載をスタートしていったそうですね。

ハイキュー!!

「ハイキュー!!」は、「超凄いセッターが、スパイカーに完璧にトスを合わせる話を描こう!」と思いついたことから物語が練り上げられていったそうで、

また、古舘先生が学生時代に日向と同じポジションのミドルブロッカーで、

クイックが上手く行った時の「ボール来た!!」という感じを漫画で表現したかったらしく、

そこから、「ミドルブロッカー」と「セッター」を主人公にして、クイックを主な武器とした変人コンビが活躍する「ハイキュー!!」の誕生へと繋がっていったそうです。

ちなみに、読み切りの段階では、日向の身長は平均的なサイズでしたが、

「ハイキュー!!」のテーマが、「より高く」よりも「より早く」だったため、

覆せない身長のハンデを抱えながら「どうやってより早くてっぺんに到達するか」の試行錯誤や葛藤を描くために、連載では主人公である日向の身長を小さくしたとのことです。

また、身長というハンデを抱えながら高い壁に立ち向かっていく方が、単純に少年マンガの主人公っぽくなるかなという考えもあったそうですね。

ちなみに、古舘先生は、日向のキャラクターを作るのが最も苦労したと語っており、

読み切りの時からとにかくたくさん表情の落書きをしたり、ストーリーを練り上げていくうちに苦労しながら本当に少しづつ人間味が出てきて、現在の読者が感情移入しやすいキャラクターに出来上がっていったそうです。

一方で、日向とは対照的なキャラクターとなる影山は、古舘先生自身をモデルにした部分もあったため、構想初期の読み切りの段階からほとんど変更することがなかったそうで、

物語序盤の「全部のプレーを自分1人でやればいい」という影山の考えは、高校時代に実際に古舘先生も抱いことがあるとのことで、

古舘先生いわく「影山は学生時代の自分の「独りよがりな部分」や「周囲にもどかしさを感じてイライラする部分」などの「悪い部分」を背負わせているキャラ」だそうですね。

また、古舘先生は漫画を描くにあたり、構図やコマ割りの他に「描き文字」にも強いこだわりがあり、常に意識して試行錯誤しているそうで、

「文字も絵の一部として考えている」と語っています。

「ハイキュー!!」でも、描き文字でできるだけ、音・勢い・雰囲気・画面の奥行・ボールの動きなどが伝わるように意識しているとのことで、

例えば、スパイクが擦れる擬音の「キュッ」という文字に、選手の動きに合わせて矢印をつけたり、

影山のトスの勢いが日向の目の前で「止まる」演出を、ボールの回転と勢いに合わせて文字を描くことで表現したりなど、

「ハイキュー!!」には、「描き文字」による演出が随所に散りばめられており、古舘先生の文字に対する試行錯誤と表現力の凄さが垣間見えますね。

そんな「ハイキュー!!」は、2012年から2020年まで連載され、全402話・全45巻で堂々の完結。

古舘先生の圧倒的な画力と演出力で、バレーボールに魅了された高校生達の胸が熱くなる青春群像劇を、決して甘くはない現実と共にリアルかつ大迫力に描き、

現在までのコミックスシリーズ累計発行部数は5,000万部を突破。

連載を開始した2012年から中学・高校におけるバレーボール部員数が増加し、日本でのバレーボール人気に大きく貢献する大人気作品となりました。

現在アニメは4期まで放映されており、人気ぶりを考えるとおそらく第5期も実現すると思われるので、

「烏野高校vs音駒戦」のゴミ捨て場の決戦をアニメで見れる日が非常に楽しみで待ち遠しいですね。

まとめ

今回は、「ハイキュー!!」作者として有名な古舘春一先生をご紹介しました。

学生時代からの「漫画家」という夢と「バレーボールを題材にした漫画を描きたい」という2つの夢を見事に実現させて大ヒット漫画を生み出した古舘先生。

2022年にはジャンプにて日向たちの現在の姿を描いた特別読み切りの掲載が予定されているため、

アニメ5期の発表と共に非常に楽しみですね。

最後までご視聴いただきありがとうございました。

またね。

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