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きらいな人から見えてくる、私の視点

自分の中の「熱狂」を外に出すのが苦手です。
熱狂すること自体が苦手、かもしれません。

普段の私を知っているひとは、好きなお芝居や音楽についてめちゃくちゃ語る私を知ってるから
うそつけ!と思うかもしれないけど(笑)
本当にやりたいこと、成し遂げたいこと、取り組んでいることなんかについては
熱狂しながら取り組む、という経験が多くありません。

そんな私から対極に見えるからか、
取り組んでいることと同じ界隈で、熱狂しやすい人に苦手意識があります。
(注:ここからちょっと、悪口みたいになります)

私は時間をかけて深くもぐって、整理整頓して、矛盾を解消して、周りを見回して、もう一度組み立てて…
というふうに、自分と向き合い・すり合わせながら、変化していく過程が好きです。
つまりそれはカメで、がっつりやりたいことほど時間がかかります。
人の輪に入っていくことも、納得いくまでやることも。

熱狂している人は、短期で集中して、すぐに目標が変わって別のところに移っていくように見え、
私の視点からは軸がよくわからなくて、「うっ」てなるんだと思いました。
そして熱狂している人は、熱狂の元(素)が何かを自分でよく知ってるから
私が苦手とする、あっという間に人の中に入り、颯爽と山ほどの言葉を発し、目的を達成して…
ということをナチュラルにできてことが、うらやましいのかもしれません。
ウサギのように飛んで進んでいく姿は、ある部分、まぶしいのです。

また、
自分のテンションが上がっている時、どれだけ周りが見えていないかを知っているし
逆に、周りが見えていない人がやっていることに触れるととても疲れてしまうからというのも、あります。
HSP気味なので、人それぞれの特性のグラデーションを感知して大切にしないといけないという思いと
自分のグラデーションも相手に気にしてほしい!という思いが出てくるからでしょうね。
熱狂は私から見ると嵐のように見えるから。
バランスが偏って感じられて、それはやさしくない!というアラートが鳴るわけです。

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ここまで書いてみて、私、ほんとに熱狂するひとが嫌いなんじゃん(苦笑)と思いました。
テンションが上がっている時の自分を棚に上げて(笑)
自分の好きなやり方が正義みたいなフリをして。

でも1つ、書き出したおかげで、わかったことがあります。
自分と違う方法で、自分と違うベクトルで、同じジャンルのことに取り組む人を強く意識している。

私のやり方は誰にも真似できないかもしれないし、
同じベクトルの人しかいなかったら世界は本当につまらないし、
だけど私はまだ、そう思えていない。
つまり、比べているんです。

私が世界に貢献できるのは私のやり方だけだから。それが強みだから。
強みをもっと生かすために、誰と、何をしたらいいかを考えていくことが、私のしごとだから。
自分を認められたら、熱狂との距離が変わるかもしれないですよね。

じゃあそのために何が必要なんだろう??
今わかっていることは、私がすきなやり方、私の得意なことを、全力で私が認めてあげること。
それは私の大切な特性なんだと、あったかく抱きしめてあげること。

その上で、同じように、
熱狂するだれかの、そのやり方が相手の得意なことなんだと、がっつり認めること。
それは私と交わって一緒にすごいことができる可能性を秘めた
だけど私の得意エリアとは別のところに存在しているものだというのを知っておくこと。
(たとえそれが、同じジャンルの活動の中で見えた違いであっても)

同じマルの中で考えるから、違いを異質なものとして意識しないといけなくなるのだけど
別のマルなんだと知っていれば、別の視点・よい距離から、お互いの質のすてきなところを認められる
そういう風に、思います♪

#note #コラム #自己肯定感 #熱狂

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!